第9話

「あの大男の正体は大英雄、勇者ストマックだ」


「……誰?」


 翌日。一睡も出来なかったにも関わらず一切の体調不良の兆しも見せない自身の体にいい加減驚かなくなってきた僕は、レーナにそう告げた。


「エルフの森には何万年も前から人間からエルフを守る英雄がいるらしいんだ。ソイツはエルフを守るために森からエルフを出さないようにもしている。きっと、それがアイツだ」


「だから誰よ、そのストマックっていうのは」


 勇者ストマック。

 僕が彼について知っていることはあまりに少ない。


 一つ。エルフであること。エルフの英雄なんだからそりゃあ当然の話だ。

 二つ。彼は邪神と契約して何万年も前からこの森でエルフを守っていること。こっちに関しては正直よく分かっていない。なにせ邪神がなんなのか、契約とはどのようなものなのかをミスティルが話してくれなかったからだ。

 三つ。化け物染みた耐久力を持つモモモ人、つまりは僕を一撃で昏倒させる腕力がある。


「万年単位で過去の人、ね。エルフがそこまで長命だとは知らなかったわ」


「多分だけど延命しているんだと思う。邪神の契約ってやつかな」


 ディアザは自分達を森から出さない存在が守護者であるとは知らない様子だった。つまり、エルフの寿命が長いことを考えても数万年という歳月は記録や伝承が錆びつくには十分だということだ。普通のエルフはそんなに長寿ではない。


 ここからは推測だけれど、ストマックはエルフを森から出さない、人間を襲う、この二つの行動だけを行っているんだと思う。

 エルフを守るためにエルフを襲うのは本末転倒、それにあのオークの二人組には目もくれず僕らに襲い掛かってきていた。きっと人間だけを襲うという予想は外れていない。


 一つ気になることがあるとするなら。


「……どうして、僕らは逃げ延びれたんだ?」


 あの瞬間移動めいた動き。あれがあれば、森の中どこにいようとすぐに補足できるはずだ。隠れていて見つからない、なんて状況ならともかく、僕らはあの時すぐ目の前にいたし僕自身は気絶していた。

 どう考えても全滅、バッドエンドまったなしの状況だったはずなのに。


「不思議よね。あれからアンタを引きずって逃げていたんだけど、しばらくしたら追いかけて来なくなったのよ」


「引きずってって……道理で服が泥まみれな訳だ」


 しかし、追いかけて来なくなった、か。

 もしかすると、彼は行動範囲が制限されているのかもしれない。


 具体的には、森の外縁部。森から出さないのも、森に入れないのも、結局はそこさえ押さえておけばこなせる。森全体をカバーする必要はない。

 勿論それは森全体である方が良いだろうが、なんらかのコスト、あるいは不都合によってそうせざるを得なかったのかもしれない。

 だから、空から落ちてきた僕は森に入った初日に彼に襲われなかった。


 ……一応理屈は通っている気がする。


 そのことをレーナに話すと。


「……ちょっと、止めてよね。アタシが思いつきそうだったことを先に言わないでよ、今その発想に至るとこだったかもしれないんだから」


 非常に面倒くさいことを言われた。

 なんだコイツ。


「ともかく、つまりアイツは高々エルフってことよね! だったら話は簡単よ!」


「どうするんだよ」


「決まっているでしょう? アタシ達は人間よ、他種族からの略奪こそが本懐だわ!」


「真面目な顔でなんてこというのさ」


「真面目に言っているのよ」


 だがまあ、しかし。

 人間の本懐が他種からの略奪であることはあながち否定できない。


 前世でもそうだけど、捕食者であるという以上に人間は他種から奪って生きる生き物だ。分厚い体毛を持つ代わりに動物から毛皮を、植物から繊維を奪って衣服を作る。速く走る代わりに速く走れる獣に乗る。力を得る代わりに力の強い動物を使う。毒を持つ代わりに毒を持つ生き物を使う。

 それだけではない。長い進化の過程で生まれた形態的特徴、例えばサメの鱗や蚊の口吻といった形を、技術という形で奪い別のものに役立てる。


 人間とは略奪者なのだ。


「……それはいいよ。いいことにしよう。だけどさ、具体的にはどうするっていうんだ」


 理由は分からないけれど、僕はまともに戦えない。

 ストマックを相手取ろうとしたあの時、突然全身に電気が流れたかのように動けなくなってしまった。矢を受けた時は平気だったから、きっと攻撃しようとするとああなるのだろう。

 少しだけその兆候はあった。ディアザの矢を投げ返したあの時、ぴりっとした感じがあったから。それがそうだとはその時気が付かなかったけれど。


 僕の疑問にレーナは勝ち気な笑みを浮かべた。


「原始的な解決法って、原始的だからこそ単純かつ簡単なのよ。既に死んでいるはずの大英雄なんて、ちゃんと死ぬべきだと思わない?」


 加虐心溢れる獰猛な、彼女の容貌によく似合う笑顔だった。


――――


 それから僕らは、森の中を走り回った。


 何故か、なんて説明するまでもないだろう。動物は、食事をしなければ死ぬ。

 つまりはそういうことだ。


「……これ、本当に食べても大丈夫なの? なんか随分と随分な色合いなんだけど」


 集めた木の実を前にすぐさま食いつけるほど僕の肝は太くない。

 やたらケミカルな色合いの木の実だった。赤、青、緑、黄色。そういった色とりどりのそれらは全部が全部、どういう訳か原色で塗りつぶされたかのようである。合成着色料青色一号も真っ青になるほど。

 警戒色なんじゃないのかこれは。


「バカね、そんなこと気にする意味があるの?」


 しかし目の前の少女、レーナは一切気にした様子なく、パクパクとそれを口に放り込む。シャク、と硬めの果肉から果汁が染み出す音がした。


 ……大丈夫なのだろうか。


「ほら、早くアンタも食べなさいよ。仲良くなるには一緒に食事をするのが一番なんだから」


「それはそうだと僕も思うけど。仲良くって、キミは僕と仲良くなりたいの?」


「? 当然でしょ? これから一緒にあの大男……ストマックだっけ? あれをボコボコにしてやるんだから。アンタと仲良くなりたいに決まってるじゃない。強いんでしょ、アンタ」


「ああ、そういう」


 状況的に感心がいった。森の外縁部を守護する勇者ストマック。彼を打倒しないことには僕らは一生森から出られない。それは旅をしているというレーナにとっても、シスターラミアに布切れを返さなきゃならない僕にとっても実に不都合だ。

 であれば、目的が一致している戦力とは出来るだけ仲良くしたい。納得のいく話だった。友達になりたいなんて言われるよりも分かりやすくてとても良い。僕は分かりやすいことが大好きだった。


「キミとは仲良くできそうだと僕は思うよ」


「そう? それは良かったわ」


 差し出された真っ赤な果実を受け取る。

 ……赤い。とても真っ赤だ。赤い実といえばリンゴやイチゴ、トマトなんかがメジャーだけれど、これはそれらの比じゃないくらい赤い。毒々しいと表現してもいい。


 赤い食べ物といえばなんとなく辛い印象を抱いてしまうのはきっとトウガラシの所為。そんなことを思いながら、受け取ったそれに歯を立てた。


「むぐむぐ。…………。なんだこれ」


 食感はリンゴやナシに近い。けれど、味は全然しない。甘くも酸っぱくもない。水の味が一番近いだろうか。それも、あんまり美味しくない類の水の味。


 正直、とてもマズい。ギリギリ食べられなくはない、という感覚だ。リンゴの食感のする水を吸ったスポンジを食べている気分である。


「どう? 美味しい?」


「めちゃマズいと言っても過言ではないね」


「そう。じゃあこれは?」


 次に手渡されたのは青い木の実。緑の比喩表現として青いのではなく直球で青い。青系の色素といえばアントシアニンなんかだけど、紫っぽさを含むアレとは違う純粋混じりっ気なしの青である。


 ぱっと見て美味しくはなさそう。


「もごもご。…………。すごく青臭い」


 草の味がした。雑草の味である。この味はおよそ人が食べるものではない。


「もしかしてこれって全部美味しくないんじゃないか?」


「そうだと思うわよ? ここってエルフの森なんでしょう? 昔読んだ本に書いてあったわ、エルフの森の植物はオークが育てているものを除いて全部マズいって」


「そりゃまたどうして」


「美味しい植物はアホのエルフが種ごと全部食べちゃったからだって」


「なんてこった」


 果実というのは種子を運んでもらうために捕食者に渡す対価みたいなものだ。栄養を含んでいたり美味しかったりするのも種を運んでもらって自分たちの生息圏を広げるためである。

 それを種ごと食べられでもしたら、そりゃあ他種との競争で敗北してしまう。より美味しくない方向に淘汰圧がかけられた結果がこの木の実か。


「エルフ、ドアホなのか」


「ドアホよ、ドアホ」


 美味しくない木の実を食べながら僕らはよく知りもしないエルフの悪口を言い合った。人間が仲良くなる話題の一つが共通の嫌いなものに対する悪口である。そこまで考えてのことではまさかないだろうけれど、結果的に僕らの心的距離は一歩近づいた気がする。


「ついでに言うと、この森の木の実のほとんどは有毒らしいわ」


 さらっとそんなことを言ってのけた彼女を前に僕は今食べていた木の実を吐き出した。


「あら、もったいない」


「もったいないじゃないよ、僕ら今絶賛毒物摂取中じゃん」


「バカね、バカ。アタシ達は人間でしょ、食べられないものなんてないわよ」


「……そうなのか?」


「そうよ。毒っていっても結局は量だもの、毒で死ぬ前にお腹いっぱいで死ぬわ」


 言われて、少し考える。

 前世でも人間の毒物耐性は高かった。要因は様々だけれど、大きな肝臓と優秀な腎臓による代謝能力がその一環を担っているのは間違いない。この世界の人間もまた、前世以上に強力な肝臓と腎臓、解毒機能を有しているのかも。

 もっというと、ヒガンバナ科を始めとする有毒植物を僕らは当たり前に食べていた。具体的にはネギなんか。あれらはイヌとかに食べさせると死んでしまうのだ。それ以外にもトマトなんかもごく微量の毒素を含んでいたりもする。

 生物によってなにが毒になるのかは違うし耐性も違う。


 ……いや、それでも毒があるって正面から言われたら食べにくいよなぁ。


「……ねぇ、なんでわざわざ平気なはずなのに毒があるって言ったの?」


「決まってるでしょ。アタシだけこれって実は毒があるのよね、なんて思いながら食べるのは不公平だからよ」


「いい性格してるね」


「でしょ?」


 褒めてないよ。


「それじゃ、腹ごしらえも済んだことだし具体的なお話をしましょうか」


 こじんまりとした山、程度はあった木の実を全部食べつくしてから僕らは立ち上がった。


「あのデカブツを叩きのめすにはどうすべきだと思うかしら?」


「……どうもこうも、あの瞬間移動をどうにかしなきゃ始まらないよ」


「そうね。攻撃するにしても相手に当たらなきゃ仕方がないもの。でもそこは大丈夫よ」


「大丈夫なの?」


「多分ね。アイツ、攻撃してくる時は止まってたでしょ? カウンターよカウンター。アイツが攻撃してきた時にぶん殴ってやればいいの」


 なるほど。

 気が付いたらそこにいたという瞬間移動。しかしそれは、気が付いたらいたというだけで、気が付いたら攻撃されていたというものではなかった。

 超スピードによる移動ではなく座標の移動が近いのだろうか。過程を無視して突然現れる瞬間移動。

 それが十分驚異的であることは変わらないけれど。


「ぶん殴るって、キミはなにも出来ないんだろう?」


「出来ないわ。アレに攻撃しても全然ダメでしょうね。というかダメだったわ。だから逃げてた訳なのだし」


「じゃあどうするのさ」


「アンタが殴ればいいじゃない」


「無理だよ。どういう訳か、僕は暴力が出来ない体質らしいんだ。びりびりくるんだ」


「バカね。ホントにバカ」


 レーナは僕の胸を小突くとにんまりと笑った。


「暴力と思うからいけないのよ。歩くことや呼吸をすることを態々意識しないでしょ? それと同じように自然に殴ればいいの。何も考えずにね」


 そんな暴力以上に暴力的な、解決策と呼べない策を告げて彼女は叫んだ。


「さぁ、略奪の時間よ!」

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