第5話

 人間。


 前世におけるそれは、ヒト科に属する霊長類の一種を指す言葉だ。

 特徴としては知能が高く道具を使い、複雑な言葉を用いてコミュニケーションを行うなどが挙げられる。

 その人間は文明と数の力でもって、確かに地上の支配者と呼べる程度には強大な種だったが、動物一個体単位として、つまり個人として見た際決して強力な種であるとは言えない。体温調節と長距離の移動能力は目を見張るものがあるが、知能を除けばその程度の生き物だった。


 けれどどうやらこの世界における人間は僕の常識の中のそれとは大きく異なる様相を呈しているらしい。


「えっと。つまりミスティルちゃん。キミは人間がそういう化け物だって言っているのか?」


「そういうもどういうも、人間は地上でもっとも強大な化け物の一種よ。熱に強く冷気に強く、雷に打たれても毒を飲もうと死ぬことはなく、傷ついても数日もすれば回復する。弱点らしい弱点は寿命の長さと強すぎる同族への対抗心くらいね」


「寿命って?」


「人間は長くみても百年足らずで老衰するわ。他の種族が長命なもので数万年を生きることを考えれば瞬きする程度しか生きられないの。……いえ、比率的にそれは流石に誇張が過ぎるかしら」


 そこを気にするのか。


 百年対数万年は数百倍の差。長命種を五万年と仮定すると五百倍の差である。人間の寿命百年に置き換えると約二ヵ月半。瞬きほどではないけれど十分以上に短い。


「同族への対抗心ってのは?」


「天使であるワタシが知るはずないでしょう。人間をもっとも多く殺している種族は人間。そういうことよ」


「……生態学的ニッチが独立していて同種間競争が激しいわけか」


「は?」


「なんでもない」


 しかし、暑さにも寒さにも強くて電気も毒も効かない、そんな生き物なのか人間。

 しかも人間同士は殺し合うらしい。


 人が人と争うのはそういうものなのかもしれないが、これはつまり、人間は大抵の状況で生きていける化け物を殺せるということを意味している。矛と盾では矛が勝利をおさめる形。


「人間は繁殖力も高いけれど同種で殺し合うなんて馬鹿げた習性を持っているから、いつの時代も増えたり減ったりを繰り返しているの」


「怖いね。実に怖い。それで、その人間とかいう化け物はどこに住んでいるんだ? いや、そこまで化け物染みていると僕と同種だという実感が湧かないから棲んでいると言い換えようか」


「どこにでも、よ」


「どこにでも?」


「さっき少し話したけれど、人間は他種族を襲ってそこを支配地にして、その他種族の文明文化に寄生する形で生きていくのよ。だから人間を嫌う種族は多い」


 と、そこまで彼女が口にしたとほぼ同時。

 ひゅん、と風を切る音と同時に僕の足元に矢が突き刺さった。


 ひゅん。


 そしてもう一本。


 その二本目は、黒い風切り羽根が付けられた矢は、僕の右の胸に突き刺さっていた。


 地面に倒れる僕。


「なんてこった。僕はもうだめかもしれない」


 真剣な口調でミスティルにそう告げるが、彼女は僕に呆れたような馬鹿を見るようなそんな視線を向けてきた。


「馬鹿でしょう、アナタ」


 視線だけではなかった。

 直接馬鹿にされてしまった。


「天界から墜落して生きているような生き物がたかだかエルフの弓矢で死ぬはずがないでしょう」


「それもそうか」


 僕は立ち上がると胸から矢を引き抜いた。

 矢は服を貫いてこそいたが、胸の表皮に傷一つ付けることができずにいた。


「すごいね、人間」


「あら、あまり驚かないのね」


「あるがままを受け入れるのが僕の主義なんだ」


 目の前で起きた事実はどう解釈しようと事実でしかないのだ。


「それで、なんだっけ。エルフの弓矢? これってエルフが撃ってきたの?」


「ここはエルフの森なのだからそう考えるのが自然よね」


 ミスティルはそう言うと、どこからともなく取り出した剣を構えた。

 白い翼のような意匠の施された長剣だった。刃は透明で淡く発光している。かっこいいと僕は思った。


「森の中の侵入者を追い出そうって訳。モモモ人と天使相手に良い度胸じゃない、生命としての出来の違いをその野蛮な脳髄に刻み込んであげる」


「戦うのかよ、おいおい物騒だな。危ないし逃げようぜ。きっと追ってはこない」


「仕掛けてきたのは向こうよ。それにワタシはヴァルキリー、天使よ。地上の低俗で野蛮な生命相手に逃げだすだなんてプライドが許さないわ。かかって来なさい、陰険なエルフ。自身の無力さを思い知らせて――」


 すこーん、と。

 発言の途中で飛来した矢が彼女の額に見事に命中した。


「……大丈夫か?」


「……やはり蛮族ね、人が話している最中に弓を射るだなんて。これだから森に籠りきりでまともなコミュニケーションも取れない野蛮じいたっ、いたたっ、ちょっと、ワタシが話している最中でしょう止めなさい止めて痛いじゃない止めてと言っているでしょうはうっ」


 木々の隙間を縫うようにして、矢は彼女の体、それも鎧に覆われていない箇所を狙って何本も飛んできた。

 たまらずミスティルは悲鳴を上げる。手に持った剣をぶんぶんと振り回すが、悲しいかな一本の矢も叩き落すことは出来ず空を切るばかり。


「うぅぅ……痛い……」


「もう一度聞くけど本当に大丈夫? 生命としての出来の違いをエルフに教えられそうか?」


「見て分からないの大丈夫なはずないでしょうっ。くぅっ、痛い……」


 矢を受けたミスティルは涙目になりながら僕の後ろに回り込んだ。同時に矢の襲来も治まる。射手は僕に弓矢が通じないことを理解しているらしい。

 僕は彼女に盾にされていた。


「もしかしてお前、弱いのか?」


「実践は初めてなのよ。……地上に天使が降臨する機会なんてそうあるものじゃないのだから仕方ないでしょう。初めてなのだし。慣れていないから仕方がないの。ワタシは悪くない、悪くないんだからっ……」


 泣いちゃった。

 ミスティル、泣いちゃったよ。


 ぐずぐずと僕の陰で丸くなるミスティル。ただ矢が痛かった、というよりも彼女の言と通りプライドが許さないというか誇りが傷ついたといった様子だ。


 綺麗なおねえさんが丸まって涙を流す姿には嗜虐心をそそられないこともないのだけど、それより。


「短い付き合い、というか初対面未満の付き合いだけど。あーあ、駄目だな僕は。どうしようもなく惚れっぽい」


 状況も分からず、立場も定まらず。そんな僕を一応彼女は助けるつもりだったみたいだし。それは僕にとって彼女に好感を持つに足る理由になる。


「あっちの方向だったね」


「……なにをするつもりなの」


 オレの服の裾を掴むミスティルの問いかけには答えず僕はその方角を見やる。

 ……いた。めちゃ遠い距離だけど、木の上でこちらに向かって弓を構えている人影が見えた。矢は曲射でなく直線的な軌道でこちらへ向かっていたから、視界は通る場所にいるとは思ったけれど。


「届くかな」


 先ほど胸から引き抜いた矢を握りしめて。


 普通に考えれば届くはずがない。けれど、今の僕はモモモ人だ。ミスティルの言葉が正しいなら、化け物染みた人間の中でも特に化け物なのがモモモ人。ならばいける。だから届く。理屈じゃなく本能で感じることにした。


「そぉ、らぁっ――!」


 矢を振りかぶって放り投げた。狙うは射手がいる木の根元。


 投げる瞬間、ぴりっと電流が流れるような違和感があった。しかしその弱い抵抗を意に介することなく矢は宙を駆け、流星と化したそれは空を裂き真っすぐ突き進んで。


 ――爆ぜた。


「…………嘘、でしょう?」


「すごいなモモモ人。ようやく僕自身が化け物だって実感が湧いてきた」


 木々をその衝撃波でなぎ倒しながら、一直線に標的たる場所へと着弾。


「マズいかな、加減が分からなくて殺してしまったかもしれない。ねぇミスティルちゃん、エルフって人型なだけで実は知性とかそんなにない生き物だったりしないかな。虫とか魚ならなんとなく普通に殺せる僕だけどいきなり人型知生体を殺しちゃったとなればどうにも居心地が悪いんだけどさ」


「嘘でしょうファルシエル様ワタシは一介のヴァルキリーですよこんな化け物をワタシ一人で管理しろだなんて流石に冗談でしょう無理だわ無理です天界に帰りたい……」


 ミスティルが壊れた。


 なんだか焦点の合わなくなった目で虚空を見ながら呟く彼女を抱えて僕は着弾点まで走った。

 抱き上げる際、ビクッと体を震わせて怯えた目線を向けられてしまった。可愛い。定期的にビビらせてあげたくなるから本当に止めて欲しい。

 恐怖故か信頼故か、抱え上げた彼女はぷるぷると震えるばかりで抵抗もせず。多分これは信頼だ。なにせ僕らはついさっき出会ったばかりの大親友。きっと気分はさながらクマに抱き着かれたハムスター。信じる僕らはいつも一緒。そんな感じ。


「おっとよかった、生きてる。……生きてるよな?」


 衝撃波で一本道のように拓けた森を進むと、小さなクレーターの中央で伸びている青年を見つけた。

 緑色の木々に紛れるような服を着た金髪のイケメンだった。

 僕の背後では無理矢理運ばれたミスティルがまたキラキラを吐いていた。酔ったのかもしれない。


「ミスティルちゃんミスティルちゃん。キミは天使なんだろ、回復魔法的なあれこれとかできたりしないかな。僕は怪我とか病気とかには明るくないからこのままだとコイツが生き延びるのか死ぬのかすら分からないんだけど」


「……治癒の奇跡なんて高位の天使でもそう扱えるものじゃないわ、ワタシなんかにできるはずないでしょう」


「そうなのか」


 戦えず、回復系も駄目。

 ミスティルちゃん、いったいなになら出来るのだろうか。

 天使は可愛いのが仕事だったりするのかな。


「心配しなくてもエルフがそう死んだりしないわ。それに仮に死んだとしても問題ないでしょう? ソレはワタシ達を撃ってきたのよ」


 キラキラを吐き終わったのか、口元を拭いながら僕の背後から前に出た彼女は悪態を吐きながら転がったイケメンの脇腹を蹴った。

 完全に動作が三下悪役のそれだった。

 初対面の際に受けたクール系美人おねえさんという印象はすでにあんまり残ってなかった。


「げふっ」


「ほら、生きてるでしょう?」


 そう言ってもう一発。イケメンは苦し気に呻く。


「よかった生きてた。えっと、こういう時はどうするんだっけ、気道確保? 心肺蘇生? 男相手に人工呼吸はちょっと気乗りしないけど人命のためだし仕方ないか」


 心臓マッサージって胸骨を砕く勢いでするんだっけか。骨より心臓の方が大切だから。


「ちょっと、なにをする気なのか知らないけれど止めなさいアナタが胸を押したりなんてしたら本当に死ぬわよ止めなさいこのっ、止めっ、力強いわね止めろと言っているのが分からないのっ」

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