第4話

 ピカリと光が辺り一面に広がる。光源は翼の生えた彼女だった。


 そして、眩しさに目を閉じた僕が次に目を開けた時、そこはあの教会横のボロ小屋じゃなかった。


 白を基調とした、石造りの神殿のような場所。床に敷かれたカーペットから装飾のための柱、あろうことかどういう原理か柱に灯された炎まで白い。白とアイボリーだけの空間。唯一とも言える色彩は、どこまでも続くかに思える青く青く広がった大空だけだ。


「空の上、かな。おいおいファンタジーだなまったく。大空広がりすぎだぜ」


 雲一つない晴天は視界を真横へと移しても続いている。それどころか、長い大理石の床の奥にまで伸び続けていた。まるでこの床の下にまで空が続いているかのように。


「ご名答、と褒めて差し上げた方がよろしいのでしょうか。それともモモモ人は知性も優秀だそうですからこの程度は褒められるに値しないのでしょうか。どちらにしても、ええ、ここは空の上。厳密には下界とは位相が異なるので物理的に上空という訳ではありませんけれど」


 はっ、と声の方向を向くとそこには二人の羽根の生えた女の人がいた。


 一人はあの小屋に突然現れた、シスターに天使様と呼ばれていた人物。かしずくようにもう一人に頭を垂れている。

 そのもう一人の方は僕の方を見てクスクスと笑みを浮かべている。なんだか偉そうな椅子に座っていて、きっと彼女は偉い人なんだと僕は直感的に思った。

 そして気が付けば、僕は羽根の生えた大勢の女の人に囲まれてしまっていた。


「……随分壮観というか。僕ってなにかしちゃったかな。それともこの世界にとって僕って勇者的な特別な存在だったりする? 歓迎ムードにしてはおねえさん達の雰囲気が物々しいと思うんだけど」


 周囲の人たちは皆揃って顔が銀色の髪に隠れてしまっていてよく見えない。ただ一人その表情を伺えるのは椅子に座った彼女だけだった。

 偉そう、というのもそうだけれど、彼女は他の羽根のおねえさんと比べて一際異質だった。他の人が皆銀髪に真っ白な羽根であるのに対し、彼女はそのどちらもがくすんだ様に鈍い色合いをしていた。羽根の数も、他は一対なのに彼女だけたくさん。小柄ながらも可愛いというよりは綺麗という言葉が似合いそうな彼女はなにが面白いのかオレを見て笑っていた。


「強引な手段に出てしまった非礼、まずは謝罪しましょう。ですが、アナタ自身は自覚していないことでしょうが事態は急を要したのです。災厄の人類、数千万年前の支配者、モモモ人。それにしてはアナタは気性が穏やかですし、まだその力を十全には使いこなせていないようですが……前世の名残か、幼さ故か、あるいは目覚めたてだからでしょうか」


「支配者」


 これまた随分と僕とは縁遠い言葉が出てきてしまった。

 モモモ人。今世の僕はそういう人間らしいんだけど、いったいモモモ人とはなんなのだろう。


 椅子から立ち上がると彼女はオレの方へと近づいてくる。


「その力が目覚めぬよう、まずは保険をかけさせていただきます」


 言うや否や、彼女はオレの頬に触れ。


 そっとキスをした。


「…………額なんだ」


「光栄に思っていただいて構いませんよ? かつて勝利の女神とも呼ばれた私の祝福を直に受けられる機会などそうありませんので」


 もっとも、私は女神ではなく天使ですが。

 そう言うと淫行をかましてきた自称天使は再び偉そうな椅子に座った。


「さて、それではまずは挨拶から。初めまして、ワタシは天界第二総合局局長のファルシエル、下界の治安を管理する者。下界の者に分かりやすい言葉を用いるなら、いわゆる天使というものです。天の使徒、神たる主の僕、そういったニュアンスで理解してください」


「ファルシエル。天使?」


「その粗末な格好は天界に相応しくありませんね、サービスしてさしあげましょう」


 僕に向かって翳された彼女の手から淡い光が放たれ体を包み込む。

 するとどういう理屈だろう。


「どうでしょう、気に入りましたか?」


「なんだこれ、ギリシャ人が着てそうな服」


「ギリシャ人? そんな民族、いたでしょうか?」


 シスターラミアから渡された布を体に巻き付けただけの姿であった僕は、いつの間にか不思議な格好になっていた。

 布といえば布。しかしどういう構造になっているのかヒダの多いそれは不思議と衣服としての様相を成している。一回脱いだらもう二度としっかりと着ることが出来なさそうどあることを除けば軽くて多少動き回っても平気そう。

 シスターから受け取った布の方はいつの間にか僕の腕に巻き付けられていた。


「古代の記憶、というものでしょうか。まあいいでしょう。ミゲル、アナタがこの世界で蘇った経緯は天界から見させていただきました。死者の復活などワタシ達天使ですら行うことが出来ない高度な奇跡、なぜ現世の理を乱すような行いを父なる主はなさったのかワタシには分かりません。けれど、下界で今起きている危機を思えばアナタが成すべき使命は自ずと見えてき……なにをしているのです?」


「防御力低そう。というかノーパンじゃん」


「本当になにをしているのですかはしたない」


 布みたいな服をピラピラさせる僕に向かってコホン、と咳払いをするファルシエル。顔を向けると彼女はやや呆れたような表情でこちらを見ていた。


「モモモ人は野蛮かつ好戦的な民族であったと聞いていましたが……やや想定外の人格ですね。いえ、想定外というのなら古代人が蘇ったことそのものが想定外なのですけれど」


 コホン、コホン。

 意識を落ち着ける際のクセなのだろうか、ファルシエルは数度咳ばらいをしてから、彼女にかしずくあの小屋に現れた天使に向かって一言。


「後のことは任せましたよ、ミスティル」


「…………えっ」


「大丈夫、アナタなら私の期待に応えてくれるって信じていますよ」


「えっ? えっ、えっ?」


「くれぐれも、その期待を裏切らないでくださいね?」


 その声とほとんど同時に。


 バチンとファルシエルは指を鳴らして。


 僕は、唐突に重力を感じた。

 視界が急激に上にスライドして。

 風が全身を叩いて。


 立っていた地面が消え、空の上から落ちていると気が付くまで数秒ほど。


 ――重力加速度というものがある。超簡単に言うと、重力に引かれた物体が落ちるにあたって秒間どれほど早くなるかというものだ。

 この世界の重力が地球と等しいのか、また空気の密度や抵抗といった物理学的要因が等しいのかは分からない。


 ただ、確かに言えるのは――


 僕が今、地上に向かって加速中だということだ。

 既に、数秒も。


 下を、地上を見るよりも早くその瞬間は訪れた。


 緑色の木々に覆われた大地に僕は突っ込む。着地というよりも着弾と表現すべきだった。重力によって引っ張られた肉体は無情にも位置エネルギーを変換した運動エネルギーを以て、地面に思考よりも早く辿り着き――


「…………あれ、あんまり痛くないや。また死んだのかな僕」


「死んでいる訳ないでしょう。モモモ人が高所からの落下程度で死ぬはずないじゃない」


 轟音と衝撃、それを伴って墜落したはずの、木をなぎ倒しながら落ちた地面の上で、僕はなにごともなかったかのように傷一つなく立ちあがった。足が地面に突き刺さっている。


 その僕の背後から凛とした声。聞き覚えのあるその声に振り返ると、そこには教会の小屋に突然現れたあの天使の姿があった。


「やぁ、さっきぶり。えっと、キミの名前はたしか……ファルシオン?」


「ファルシエル様と間違っていないかしら、その名前。ワタシはミスティルよ」


「ミスティル。ミスティル。……ミスティルちゃんね。うん覚えた。もう絶対忘れないよ」


「……堂々とし過ぎじゃないかしら。今の状況が分かっているの?」


「もちろんさっぱり分かっていないとも! 僕がどうしてあの教会で目覚めたのかも、なぜキミに空の上に連れていかれたのかも、こうして地上に落ちた理由も生きている意味もさっぱりだ! でも嘆いても騒いでも意味がないでしょ? 僕は無意味なことが青魚の次に嫌いなんだ」


「変な人間。モモモ人というのは皆こうなのかしら。だとしたらかつての地上は地獄そのものね」


「酷い言い草だ」


 なるほど。ミスティルと名乗った彼女はいかにも不服だと言わんばかりの態度と表情で僕のことを睨みつけている。あまり友好的ではなさそうな雰囲気。


 銀の髪に白い素肌。青く碧い透明感のある双眸はこちらの胸の内を見透かすかのよう。氷を思わせる冷たい美しさの彼女はふんと鼻を鳴らす。


「ミゲルといったわね、モモモ人。地上でのアナタの行動の監視および管理がワタシの任務、だそうよ。つまりはこの地上で生きる面倒をワタシが見てあげるということ。感謝しなさい」


 命令でなければ絶対にしないのだけれど。天使はより上位の者に逆らえないのよ。

 そう呟いて僕をよいしょと地面から引き抜いた。


「ありがと、めちゃ感謝するよミスティルちゃん」


「……随分素直ね、調子狂うじゃない」


「僕を引き抜いてくれたことに感謝してるんだよ」


「……本当に調子が狂うわね。人間は嘘を吐かないからその点分かりやすくて楽だけど」


「嘘をつかない?」


「それで、早速だけどどこに向かうのかしら。龍の棲む渓流? 悪魔の潜む山脈? それともこのエルフの森からかしら」


 僕の疑問の声を無視してミスティルはそんなことを言う。


「どこに向かうって。僕はここいら一帯どころか世界中どこにも土地勘がないんだ、急に言われても困っちゃうぜ。それに行ってなにをするんだよ。お家探しか?」


「家……まぁ、少し大きい規模だけどそんなところね。人間は始めから作るのは面倒なんでしょう? モモモ人の適応力の高さがどの程度かは分からないけれど、やはりおすすめは人間に近い形の種ね」


「分からないな。僕がこう聞くのは変だけど、僕の目的ってなんなんだよ。ファルシエルさんとかいってたっけ。キミの上司的なあの人も使命がどうとか言ってたけど、キミ達天使は僕がどう動くと思ってるんだ?」


「どう動く、だなんて不思議なことを言うのね。モモモ人の、いえ、人間の本能がその辺りは詳しいんじゃないかしら」


 その言葉で、あの世的な場所で影法師の言っていた言葉を思い出した。

 人間に有利な世界。僕はそこに来た。


 人間に、有利な世界。

 それはつまり、前の世界と比べて人間が生きやすく死ににくいということだろう。死ににくいというのはきっと天から落ちようとも大丈夫なこの体のことだと思ったのだけれど。

 ……もしかすると、それは少し違うのかもしれない。


「確認なんだけどさ、ミスティルちゃん。人間ってどんな生き物?」


「人間であるアナタが天使のワタシに聞くの?」


「僕の脳みそはとびきり残念でね。人間がどんな風なのかってことを本能レベルで分かっていないらしいんだ。ね、頼むよ。僕達友達だろ?」


「出会ってすぐのアナタに友情や友誼なんて微塵も感じないのだけれど……それに、人間相手に友情なんて」


「なあなあ頼むよ教えてくれよ。僕はまだ同種たる人間に会ったことがないんだあらかじめ知っておかないといざあった時に緊張で吐いちゃうかもしれないだろ」


「待って待ってちょうだいそう揺さぶらないで力が強いただでさえ地上に慣れていないというのにそう無理に揺すられては気分がおろろろろろろ」


 目を回しながら彼女は吐いた。


「大丈夫かミスティルちゃん。突然吐くからびっくりしたぜ」


「大丈夫な訳ないでしょう。なにをするの。人間は、モモモ人はやはり危険ね」


 キラキラを一通り吐いてから――ゲロの比喩ではなく本当にキラキラしたなにかを吐いていた――彼女は口元を拭うと。


「モモモ人は太古に生きた原始人、だからワタシもその生態には明るくないわ。だからワタシが語ることが出来るのは今の時代の一般的な人間についてだけ。アナタの同族ではないわ。いいわね?」


 そう前置きをして。


「人間は……そうね。端的に言い表すなら、地上に蔓延る世界最悪の侵略種よ」


「侵略種」


「知性を有する他種族に進行し支配下において彼らの文明文化の下適応し、それらの種と交雑し、異なる生息圏の人間同士が出会えば争う。そういうとんでもない蛮族種を、ワタシ達は……いえ、この世界では人間と呼ぶの」

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