第3話

「すごいなこれ、いやホントにすごい。マジモンの蛇じゃねえかよ。鱗の手触りからなにに至るまで全部蛇だぜ。僕は蛇に触った事ないんだけどさ。抱きしめた時になんかちょっと冷たいなーとは思ったんだぜ? あれって変温動物だからってことかよ上半身は人なのに蛇系の属性が優先されるのか」


「はううっ、そう触らないでください色々と敏感なんですよああでもなんだかこれって異性に求められている感じがして悪くありませんねなんというか自己肯定感が高まっていくのと同時に別のものも高まるというか昂るというかほどほどでお願いします本当にっ!」


 場所を移してなんだか教会っぽい建物の隣に併設された小さな小屋。

 僕は目の前の彼女の体に夢中になっていた。

 探究心的な意味で。知的好奇心的な意味で。


 目の前の彼女は決して年上の女の子ではなく、僕にとっては未知の生物だった。未確認生命体だった。未知との遭遇である。


「もしかしてあれか、火とか吐いたりもできるのか、それとも猛毒のガスとかなんでも溶かすような酸とかそういう系? モンスターといえば鉄板だよねブレス攻撃」


「出来ませんよそんな化け物みたいなことっ、誰がモンスターですかっ!? 私は至って普通っ、ごく普通のラミアなんですからっ、それに毒も持っていない家系ですしっ! ……女王様とかなら火炎や冷気を吐いたり出来ると聞いたことはありますけれど」


「化け物じゃん」


「女王様に化け物とは失礼なっ」


「一応誉め言葉なんだけどね。怪物、魔物、モンスター、すごいヤツのことをそんな風に言ったりするだろ? アスリートとか」


「知りませんよっ、そんな野蛮な文化ラミア族にはありませんっ」


 さっきまで僕達がいたのは教会の地下にあるという、過去の偉人の遺体が埋葬してあるという墓地だった。その中の一つが、モモモ人という太古に繁栄した原始人の初代族長の子どもの遺体だった。

 その原始人の名は、モモモ人。

 なんともふざけた名前だ。モモモ人、モモモ人。

 ……モモモ人。


 とはいえモモモ人も所詮は人、人間だ。そんなありふれた、少なくとも前世において地球上に七十億以上の個体数がいたような珍しくもなんともない生き物のことよりも重要なことがある。


「ねえねえ、ラミアってどんな生き物なんだよ。それとここには他に人間じゃないヤツとかいるのか? 異世界のお約束の勇者や魔王みたいなアレコレとかあったりするの?」


「ああああああ揺すらないで揺すらないでくださいそれと質問が早い一つずつでおねがいしますううぅぅ!」


「おっと」


 きゅうと目を回してしまった彼女に少し冷静さを取り戻した僕は居住まいを正して彼女から離れた。


 ちなみに全裸だった僕はこの小屋に入って早々、彼女から渡された長い布みたいなもので全身を覆っている。流石にいつまでも真っ裸でいる訳にはいかないが、彼女の替えの服ではサイズが合わないとのことで応急処置。僕と彼女とでは年齢差か種族差か分からないけれど彼女の方が一回り位大きかった。


 別に僕としてはぶかぶかの彼女の服を着るのもやぶさかではなかったけれど、乙女の尊厳とやらでその意見は却下されてしまった。もう少し僕が体格に恵まれて肉付きが良かったらゴリ押しも出来たかもしれないけれど、僕は紳士かつ真摯だったから素直に引き下がった。


「ところで、紳士な人も真摯な人も自分のことをそうだと言わないよね」


「な、なんですか藪から棒に……」


 そんな胸中の素直な所感を口にしたら変な人を見る目で彼女に見られてしまった。


 そういえばこの布、一体なんだろうか。無地かつ細長い布。タオルにしては僕の体を覆うことが出来る程度に大きすぎる。


 ……………………。


「こほんっ、それじゃあラミア族について……ってわあぁぁあなにをしているんですかっ!?」


「わわわわわ」


 今度は僕の方が彼女に揺さぶられることになった。


「なんですかなんなんですか馬鹿ですか馬鹿なんですかなんで匂いなんて嗅ぐんですかひょっとしてそういう趣味ですか正直私も匂いフェチの気はあるので気持ちは分かりますけど抑えてくださいまだ日は高いですよっ!?」


「突然なにをするのさ」


「それはこちらのセリフですよ!?」


「僕はただこの布の正体が気になっただけだよ。宗教的儀式に使うような、たとえば聖骸布みたいなやつ? ほら、僕って一応そういう感じなんじゃなかったっけ?」


「だとしたらなぜ匂いを!?」


「僕の予想だとこれはキミのベッドかなにかから取ってきたタオルケット的なあれじゃないかなって。それにしてはあんまり匂いがしないけど」


「分かってやっていますかっ!? 分かってやっているのですよねっ!?」


「やだなぁ僕はなにも知らないよ。世界のこともキミのことも、そして僕自身のこともね」


「どうしてそこで哲学的になるのです!?」


 あながち冗談でもないのが困ったところ。

 今の僕は割とマジでなにも知らないんだぜ。


 まったくまったく、とぷんすこしつつこちらを窘めるように。


「びっくりしちゃいましたよ、まったくもう。これだから人間は性欲旺盛でいけませんね」


 彼女はぺしぺしと長い尾の先で地面を叩きつつ、少し赤くなった頬を膨らませてから一度ため息を吐いた。


「こほん。こほんこほん。ええと、なんでしたか……そうそう、ラミアについてでしたね。私達ラミア族は見ての通り下半身が蛇の一族です。この辺りはラミアの女王様が統治していて、私達ラミアが沢山暮らしています。種族としての特徴は……なんでしょうか、私にとってはどれも当たり前のことですからなにから話せばよいのやら、といった感じです。どうでしょう、聞いてみたいことはありますか?」


「そうだね……そうだ! まずはお名前からっていうのはどうかな。僕は百山ミゲル」


「まさかの私個人のことでした」


 僕の名乗りにあまり戸惑うことなく、そういえば自己紹介もまだでしたねと呟いて彼女はこちらににこりと微笑んだ。


「ラミア族は本名を両親と、それと人生の伴侶となる方にしか明かさないのです。ですからお互いのことは職業や体の特徴、住んでいる場所などで呼び合うという文化を持ちます。沼地のラミア、とか花屋のラミア、とか。ですので私のことはシスターラミアと呼んでください。あっ……もし私とどうしても結婚したいというのであれば、名乗るのもそうやぶさかではありませんけれど……」


「シスターラミア」


「……そうですか」


 そう呼べと言った割に彼女はシスターラミアと呼ばれて少しがっかりしたような様子を見せた。

 変な人だ。いや、変なラミアと言うべきか。もっともラミアの標準を知らない僕が変だと判断することはできないけれど。母数は彼女一人、Nイコール一はデータとして信頼性がない。

 なんてこった、ラミアについて僕のデータにないぞ。


「シスターラミアさん」


「さんは必要ありませんよ、どうぞシスターラミアと呼んでください」


「そんな照れるじゃないか。僕らはさっき出会ったばかりだぜ」


「アナタの文化では先輩さん、先生さんと立場にさんを付けるのでしょうか?」


「んー、なくはないけど僕にそういう文化はないかな。シスターラミア」


「はい、シスターラミアです」


「ご飯とかはどうしてる? この狭っ苦しい小屋にはキッチンみたいなのが見当たらないけど」


 いや、キッチンだけではない。およそ食事に必要と思われる家具がこの場所には一切ないのだ。シスターラミア、彼女は外食主義なのだろうか。


「食事は月に一度か二度、山へ狩りに行きますね。山の中の動物やはぐれたオークなどを見つけたらパクリです。食事をしたら消化のために数日は動けなくなってしまいますから、私は友人に山から運び出していただいていますね。あまり人口が多いわけではありませんけれど狩りの時期が重なると獲物の奪い合いが起きてしまうので、そこは女王様と相談して皆で譲り合っています。ですから運が悪いと……ラミア族は人間とは異なり比較的飢餓耐性は高いのですが、それでもお腹は空いてしまうのが辛いですね、えへへ」


「ヤベえなラミア。思ってたよりずっと蛇っぽいぞ。アナコンダかなにかかよ……」


 とんでもない情報が出てきちまったぜ。

 上半身は人、というか下半身を除けば全部人だから人間に近いというちょっとした先入観があったけど、もしかすると人よりも蛇に近い生物なのか、ラミア。

 卵生か胎生か、ちょっと気になるところ。胸はあるし一応哺乳類なのか? それでもカモノハシとかいう特異点が繁殖形態を確定させてくれないけれど。


「……あまり褒められている気はしませんね、それ」


 アナコンダ……? とシスターラミアは首を傾げた。生まれ変わったこの世界にはアナコンダはいないのか。

 明るい紺色のシスター服から伸びる尻尾を気持ち不機嫌気味に揺らす彼女の様子を察するに、蛇蛇と蛇呼ばわりし続けていたがラミアは蛇っぽいけど蛇呼ばわりは不服なのだろう。感覚的には人間でいう猿呼ばわりに近かったりするのかもしれない。


「ええと、それでは私からもいくつか質問をしてもいいでしょうか。……モモヤマ、ミゲルくん?」


「ミゲルでいいよ。百山は苗字だし」


「ミョージ? 人間の、それもモモモ人の命名文化には明るくないのですが……ミゲルくん、アナタはモモモ人ですよね?」


「生まれも育ちも日本、原産国日本の純正日本人だぜ。……と言いたいけれど、それは前世の僕の話」


「前世、ですか? ニホン人?」


「おっと。こういう時にそういうことを語るのは説明が面倒になりそうだな。あー、僕はモモモ人だよ。良いモモモ人だから食べないで、ぷるぷる」


「食べません」


「ところでモモモ人ってなに?」


「……はぁ。アナタと話すのは小気味よいとは思いますけど、少し疲れますね」


 困ったような表情でため息を吐いてから彼女は小さく笑った。


「ミゲルくん。アナタは自分のことがなにも分からない。この認識は正しいですか?」


「名前以外はなに一つ分からない。それどころか常識とかなにからなにまで分からない。こいつは困った、きっと記憶喪失ってやつだな。言葉が話せるのが不思議なくらいに今の僕の頭の中にはなにも入っていないんだ」


「なるほど……先ほども少しだけ話しましたが、アナタの体はモモモ人初代族長の実子の遺体です。いえ、遺体だったと言うべきでしょうか、今はこうして生きているのですから。……生きて、いるのですよね?」


「そこを不安になられても困るな。一応心臓は動いているし呼吸もしているけど、これで生きているという条件は満たしているかな」


「モモモ人の遺体は聖遺物としてこの世界の各地に残されています。腐らず、朽ちず、ものによっては死後も成長を続けることもあるそうです。死産であった遺体が成人まで育った、という記録も経典には記されていましたね。生き返った、という話は聞いたことありませんけれど」


「……あのさ。それってホントは死んでなかったんじゃないの?」


「それは……ない、と思いますよ? なにせモモモ人が繁栄していたのは数千万年前で、彼らは現代では遺体を残して絶滅した人間の民族ですから」


「嘘だろおい」


 数千万年前って……流石に眉唾モノだろ。

 卓越したエンバーミング技術があってもそんなに長い間死体が原型を留めていられる訳がない。いや、死体でなくともそれだけの時間が流れれば風化し劣化し変化するのが自然の理だろう。まるでファンタジーだ。


「いやファンタジーなら目の前にいるじゃん」


「……? えっと、私をじっと見てどうしたのでしょうか?」


 このシスターラミアもファンタジーといえばファンタジーだ。現実的じゃないという話なら彼女の存在もまた程度こそ違えど同じだろう。

 きっとここはそういう世界。常識を捨てて考えるんだ百山ミゲル。


「……なるほど。つまりはこの世界の人間も大概化け物なんだ」


「モモモ人ほどの人間の民族はそういるものではありませんけどね」


「僕はモモモ人なのか」


「多分、モモモ人だと思います。完全な黒髪黒目の人間はモモモ人だけ、ですから」


「僕ってどんな外見なんだ? ハンサムか? イケメンか?」


「えっと、そういうことを聞かれると困ってしまいます、よ?」


 おずおずと手鏡のようなものを渡される。

 それを覗き込むと、そこには二十代手前かといった年齢の青年が映っていた。


「うーん。僕ってば男の顔にあんまり興味がないからいまいちピンとこないな。これってイケメンかな、それともブサイクなのかな。一応人間だって認識できる程度には整っていると思うけど。まぁいいや」


 それはそれとして。


「僕ってこれからどう生きていけばいいのかな? 人間は人間らしく人間が暮らす街にでも言った方がいい? でもせっかく人間じゃないやつらがいるのに人間とばっかりつるむのも面白くないよね。一度きりの人生楽しまないと損から損だぜ」


 二度目だけど、人生。


 そんな言葉にシスターはというと。


「ミゲルくんに身寄りや行く当ては……まぁ、ありませんよね。先ほどまで遺体でしたから」


「…………そういやそうじゃん! 今の僕ってどこにも行く場所のない誰でもない誰かじゃないか! これからどうしたらいいんだよ泣けばいいのか笑えばいいのか!?」


「なんですか急に大きな声でっ!? うわぁっ、本当に泣かないでくださいどうしましょうどうしましょうどうしたらいいのですかこういう時小さい子の相手は少しは経験がありますが人間の子は初めてですしここまで育った子どもの相手なんてしたことありませんよどうしましょうああ泣かないでください困ってしまうじゃありませんかえいっ!」


 ――不意に、全身をぎゅっと包まれる感覚。ひんやりしていて、とても柔らかい。安心する感じ。


 滲む目を開くと、シスターが僕のことを抱きしめていた。


「シスター……」


「大丈夫、大丈夫ですからね……」


「シスター…………」


「あっ、ちょっと大丈夫じゃないかもしれません私の方がだいじょうぶじゃないですはわわわわわわななななんですかこれああああ暖かいヤバいですこれヤバすぎますもう私一生ここに住みますあわわわわわ」


「シスター……?」


 シスターが壊れた。


 僕はなに食わぬ顔で彼女の抱擁から抜け出すと、シスターは驚いた表情で。


「……あれっ!? 嘘泣きだったのですかっ!?」


「まるっきり嘘ではないよ。ちょっとした誇張表現。僕は感情表現が苦手だから相手に伝える時につい大げさになってしまうんだよ。素の僕はクールの化身だから」


「失礼ながらクールさとは対極の存在のように思えるのですが!?」


 顔を覆って尻尾を振る彼女は、なんというか実に可愛らしかった。

 檻に入れて飼いたい。毎日甲斐甲斐しく世話をして僕無しでは生きられないようにしてから寿命で先に死にたい。


「なんですかその視線はっ、酷く不穏な空気を感じるのですけど!?」


「気のせいだよ気のせい。僕は人畜無害のチワワだよ」


「チワワってなんですか化け物ですか!?」


「吠えるし暴れるし噛みついてくる化け物だよ」


「どこが人畜無害なのですか狂暴な化け物ですよねそれ!?」


「だってほら、可愛いし」


「可愛い!?いえよしんば可愛らしくても、可愛ければ全て許されるとでも!?」


 許されるでしょ、そりゃあ。チワワだし。

 この世界では可愛いのは許されないのかな。世知辛い世界だね。


「……適当なことばかり言って、私をからかっていますね? いじわるです。ミゲルくんはとてもいじわるな人間さんです」


 責めるような視線、しかし嘆息の後に諦めたような優しい笑顔で。


「そんないじわるなミゲルくんの世話をしてくれる方なんて世界にそう多くはないでしょう。仕方がないので、当面の間だけは私が面倒を見て差し上げましょう」


「えっ、いいの?」


「勘違いしないでくださいね、仕方がないからですよ? ここは小さな教会ですしあまり裕福とは言えませんが、一人くらいならなんとかなるはずです。寄り辺のない方を救うのもまた敬虔なる神の僕の責務でしょう。……もちろん、ミゲルくんがよろしければ、ですけれど……」


 最後の方は小さな声で、ちらりとこちらへ視線を寄越しながら不安そうに、そんな顔をされたから僕は――


「――その必要はないわ」


 ――瞬間、割って入った謎の声と共に、眩い光が狭い部屋の中を照らしだした。


「なっ、なんだ!?」


「この光は……まさか天使様!?」


 天井を貫通して天から降り注ぐような光の柱。その中から鎧のような不思議な装束を纏った銀髪の女性が姿を現した。


「聖遺物……モモモ人初代族長の子、死産した遺体がまさか数千万年の時を経て命を宿すなんて。このような奇跡を地上の者に任せるわけにはいかないわ。彼は天界で保護します。シスター、彼をこちらに寄越しなさい」


「はわわわわわどうしましょうどうしましょう私天使様なんて初めてみましたどうしましょう実在したのですかっ!?」


 頭上に光輪を携えた彼女の背には、一対の純白の翼が見て取れた。

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