第2話 

「死んだかと思ったぜ……なんだろうここは、箱かな?」


 薄靄がかかったかのようだった意識が次第にはっきりしてくると同時に、僕は自分がなにか箱のようなものに入っていることを自覚した。


 箱。細長い長方形……直方体? みたいな形の箱。横たわるようにして僕が入ったそれは、体よりも少し大きめに作られているらしい。触ってみるとゴツゴツというかザラザラというか、石みたいな質感だなと思った。というか石だこれ。

 閉じられているから当たり前だけど箱の中は真っ暗闇でなにも見えない。


 先ほどの光景。奇妙な川、あの世の入り口のイメージ。あれがもし本当に僕の記憶違いとか夢とかそういうのじゃない限り、オレは一度死んで生まれ変わった、ってことだよね。

 それで箱の中で新たな世界でリスポーン。まったく、とんだ異世界転生もあったものだよ。


 と、そんなことを考えていると、思考を巡らせて状況を整理していると、箱の外から奇妙な音が聞こえてくることに気が付いた。

 なにかを引きずるような音。


 音は箱の近くで止まり、そして。


「――――、――――――――」


 日本語ではない、けれどどういう訳かなんとなく意味が分かる不思議な言語で話す声。若い女の人の、というか女の子の声だ。


 声が止み、僕の入った箱の上部が取り除かれる。


「……えっ、えぇっ!?」


「やあおはよう。それともこんばんはかな? ともかく僕は起きたばかり、というか生き返ったばかりだし僕に合わせて挨拶をしよう。おはよう」


「きゃぁぁぁぁぁああぁっ――!?」


 突然の叫び声。狭い室内に反響したその女の人の声に僕は思わず耳を塞いだ。


 目の前にいたのは、金髪の同い年か少し上かな、ってくらいの年齢の女の子だった。


「うるさいな、いったいどうしたっていうのさ。そんなまるで死人が生き返ったのを見てしまったかのようなリアクションをとるなんて。死んだ人間が生き返る訳ないのにさ」


「きゃぁぁぁっ――!? やだっ、駄目ですそんなのっ! いやっ、いやっ! 来ないでくださいっ――あぅっ」


 僕の入っていた箱――石で出来た棺、石棺だった――の様相からそんな軽口を叩きつつ体を起こすと、目の前の少女は物凄い勢いで物凄い叫び声を上げながら僕から離れ、もつれたのか地面に倒れてしまった。


 周囲を見渡すと、そこは土の臭いが広がる暗がりだった。薄暗くて湿度が高くて少し肌寒い。地下なのか、それとも洞窟なのか。壁に備えられたいくつかのかがり火が淡く照らすだけであまり視界がよろしくない。


 目の前の叫び声を上げた彼女は、なんかゲームとかで見たことのある恰好をしていた。あれだ、シスター服ってやつだ。ゲームとかで僧侶系のキャラが着ているような服。アレを着ている。


「おいおい、いきなりご挨拶だな。傷つくじゃないか。僕が傷ついたらどうしてくれる。僕は世界に一匹しかいないんだぜ、ヤンバルテナガコガネよりも貴重な存在だ」


「やだっ、やだっ、来ないでっ!」


「待てよ。ちょっと待てよ。落ち着けよ。そう拒絶しないで欲しい、これじゃあまるで僕が怪しい人物みたいじゃないか。僕はちっとも怪しくなんてない」


「怪しくない方は自分のことを怪しくないと言いませんよっ、そう言ってくる時点で怪しいですっ! そっ、それにアナタっ、は、ははは裸じゃありませんかっ!?」


「おっと、なんてこったい」


 指摘されて気が付いたことだったが、なんということだ僕は全裸だった。

 一糸まとわぬ生まれたままの姿。包み隠さず全てをさらけ出した姿。全裸、まっぱ、ネイキッド。


 そうか、今の僕は突然現れた全裸なのか。彼女の立場がどのようなものか僕は知り得ないけれど、確かに全裸が現れて驚かない立場こそ珍しい。拒絶の意は多分、というか確実にそこにある。


 だがしかし、僕にとっては僕が全裸でいることなんて些細な問題だった。問題ですらなかった。僕は僕が全裸であっても困らない。


 彼女はオレをその真っ赤な双眸で睨みつけると。


「こんなのあんまりですよ禁欲に禁欲を重ねた戒律のせいで男の人とまともに話したことがないのに初めてがこんなのってあんまりですでも正直突然乱暴にって展開にうっすらとした憧れはありましただってその場合私悪くありませんからそう思うとこの状況って中々いいのではないでしょうかでも体と心は屈しても信仰心だけは崩せませんよ私は悪くありませんバッチコイですっ!」


「うわぁ、びっくりしたなぁ」


 突然すごい早口でまくしたてられた。


 ぎゅっと目をつぶって両腕をこっちの方に伸ばしてぷるぷるし始めた彼女を前に僕はすごくびっくりした。

 それはもうめちゃびっくりしたと言っても過言ではないくらいにはびっくりした。びっくりオブザイヤー受賞だ。ベストオブびっくりだ。


「どういうことだよいきなり」


「どういうこともこういうこともありませんよ見たままです好きにすればいいじゃないですかそれともあれですか私にそういう言葉を言わせて辱めようということですかいくらなんでも初めてがそれってアブノーマル過ぎると思うのですけれどっ!」


「……つまり僕のことが好きってこと? いやぁ、色男は罪作りでいけないね」


「バカじゃないですかそんな訳ありませんっ!」


 んっ! ……んっ!

 そう言って両手を突き出す彼女はそれっきり黙ってしまった。

 真っ赤なおめめも固く閉じられて、完全になすがまま、でも心は屈していませんアピール中。


「それじゃあ失礼して」


 ぎゅうっ。


「ううううううこんな所に人間なんかがいるなんて初めては神に祝福された者同士結婚してから捧げあうと決めていたのにでもこんな形で雑に食べられてしまうのもやっぱりそれはそれで背徳的で興奮しますぅぅぅうあああぁぁぁああ暖かいぃ恒温動物特有の温もり別種だというのになんだか色々と興奮してしまいますどうしましょうどうしましょうかええこれはもう実質合意みたいになっちゃいますよ拒まなきゃだめなのにぃぃぃっ!」


 抱きしめてみると彼女はへにゃりと表情を崩してまた奇妙な叫び声を上げた。


「よーしよしよし。いい子いい子」


「あああぁぁぁぁあ人間の方の年齢には明るくありませんけれどそれでも初対面の自分より年下の男の子に抱きしめられるの気持ち良すぎますうううぅぅどうしましょう尊厳とか色々と捨ててはいけないものが溶けていっちゃうきがしますどうしましょうどうしましょう!」


 どうしましょうと繰り返す彼女は僕が抱きしめたままでいると突然ピタリと動きを止めた。


「……その、急かす訳ではありませんし全然、これっぽっちも、微塵も体も心も許したつもりはありませんけれど一つ聞いてもよろしいでしょうか?」


「あれ、ハグじゃなかった?」


「いえそれはもう多分合っていると思いますけど、えっ、えっ? ……その、いい加減次に移らないのでしょうか? いえそのっ、私もそういったことには疎いので手順とか詳しい訳ではありませんけれどっ!?」


「奇遇だね、僕も詳しくない」


「えっと……え、えっちなことをするのでしょう……?」


「いいのっ!?」


「よくないですよどうして確認を取るのですか気が利きませんねまったくっ! ……ではなく、こほんっ。ち、違うとは言わせませんよっ、私知っているのですからっ! 人間はとても好色で淫らな生き物なのだとっ! それにどうして蘇ったのか分かりませんけれど、アナタはモモモ人じゃありませんかっ!」


 おっと。

 モモモ人なる謎の単語が出てきてしまった。


「モモモ人」


「黒髪に黒い瞳っ、その特徴はモモモ人にしかありませんっ! 太古の昔この大地を支配したとされるモモモ人だけですっ! 何故今の時代にと驚きがありますがそこはきっと今重要な部分じゃないと思うので置いておきましょうさぁさぁ続きをどうぞっ、私は抵抗しましたからねっ!」


「ねぇ、僕ってモモモ人なの?」


「そこ重要ですかっ!? 本当にそこ重要でしたかっ!? 察しの悪い方でも察してしまうほど丁寧に私の意図を口にしたつもりだったのですが!?」


 割とマジで重要そうな情報を中途半端に出してきた彼女は僕に絡みついてきた。

 ぐるぐると、絡みついてきた。


「モモモ人は色々とめちゃ強だった代わりに寿命がとても短くて繁殖力が旺盛だったそうですねつまりはそういうことですよね覚悟は出来ましたっ!」


 彼女はその長い下半身をオレの胴体に巻き付けて……長い下半身?


「……あれ、蛇?」


「ひゃぁんっ!? きゅ、急に触らないでくださいえっちですよ!?」


 僕の体を拘束してきた彼女の下半身――まるで蛇、蛇としか形容できない――に触れる。鱗のような不思議な手触り。長く長く伸びたそれの辿り着く先は目の前のシスター服の中。


 これってつまり……


「蛇子さん?」


「ラミアです」


「ラミア」


「はい、私はどこにでもいるようなごく普通の薄幸シスターラミアです」


「薄幸って自分で言っちゃうんだ」


 ラミア。起源はともかく、昨今の日本のファンタジー界隈においては蛇の下半身を持つ女性型モンスターのことを指す。


「シスターラミアさん」


「はいシスターラミアです。あっ、本名はちゃんと別にあるのですがラミアのしきたりで運命を共にする方にしか名乗ってはいけないことになっているんです。……その、気になりますか? どうしてもというのであれば私も覚悟を決めて名乗らざるを得ないのですけれど」


「シスターラミア」


「もし結婚するならええ子どもは欲しいですね私達ラミアは基本的に卵胎生ですから人間の方とそう変わることなく出産できますね産むなら十人は欲しいです」


「多くない?」


「むしろひかえめかと……ひゃわっ!?」


 暗くてよく見えない。そう思った僕は彼女を抱えて壁際のかがり火に近づいた。


「おおおおわわわわわわわつつつつついに本性を表しましたねモモモ人さん私は経典を読み込んでいたから人間の性欲が私達の何倍も強いって知ってるんですからもう覚悟は決まりました好きにしてください激しいのでも優しいのでも一向にかまいませんでも要望を聞いてくださるのなら痛くない程度に激しめでよろしくお願いしますっ!」


 炎に照らされて彼女の全貌が明らかとなる。

 金色のふわふわの長い髪、紺色のシスター服、二十歳前後の少し年上のおねえさんといったような、優しそうでけれどなんとなく弱そうな印象を受ける顔立ち、そして――そして、シスター服のスカートから伸びる、真っ白な鱗で覆われた太くて長い蛇の尻尾。尻尾というよりも半分以上は胴体と言った方が正しいかもしれない。


「私これでも体重が軽く三桁以上はあるのですけれどよく軽々と持ち上げられましたねやはり人間の方の力は強いです少しときめいてしまったじゃありませんかどうしてくれるのでしょう責任を取ってください色々ともう我慢できなくなってきましたよまだ焦らすのですかっ!?」


「すっ……すっ……」


「…………す?」


「すごいっ、本物だ! 正直異世界に生まれ変わりってのも眉唾だったけど、これは本格的に信憑性が出てきちゃったかなぁ!?」


「わぁっぁあああぁあぁっ、急に叫ばないでくださいびっくりするじゃありませんかっ!?」

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