譫妄

 僕、少し楽しみなんですよ。

 人間の友達なんて……

 ああ、そういえばそうでしたね。



 生きたいと思ったってどうしようもない。そもそも死なないのだから、死にたくないも何も無い。

 消えてなくなってしまいたいわけではない。さりとて他者を苦しめてまで生きながらえたいわけでもない。

 でもやっぱり、他人のために消えなければならないなんて嫌だ。

 私はどうしたいの?

 複雑に絡まった紐のように、どこから解き明かせばいいのか分からない。

 ただただ目的もなく生き汚いだけ?

 生きたいと願うことに、生存欲求以上の望みがあるのかさえも、史織には分からない。

「レーコちゃん……」

 史織はレーコの首筋に顔を埋める。応答するように、レーコは史織の背中に腕をまわす。

「私さぁ、もっと逃げ続けてもいいのかな?」

 レーコは黙って頷く。

「戦うなんて無理だよ。それに、他の人なんて、どうでもいいんじゃないかなぁ…」

 頭をよぎる言葉が止め処なく口から溢れる。

「だって近隣の人たちって誰も、私たちがどんな思いをしたかって知らないんだよ。全然知らない人だし、お互い様じゃん、知らんぷりは。ねえ、私が知らない人たちのために苦しんだって、その人たちは全然そんなの知らないじゃん。でもそれって私も同じでしょ……」

 逃げる言い訳ばかりが饒舌なことに気がついた史織は、レーコを布団に優しく寝かせ、立ち上がった。

「レーコちゃん……ごめん、私……わたし……」

 自分の言っていることの無責任で非道なことを自覚し、顔が熱くなる。

 そんなこと言いたいんじゃない。こんなのは本心ではない。言い訳の言い訳をしたいのに、今度は言葉がちっとも出てこなかった。

 史織はふらふらと洗面所へ向かい、顔を洗う。右手の痣は水の冷たさを感じない。

「シオリ。大丈夫?」

 レーコが突然顔を洗い出した史織を心配そうに覗き込む。

「大丈…夫じゃない」

 史織はへたり込み、びしょびしょの顔でみっともなく泣いた。



 史織はスベスベとした石の上に倒れ込んでいた。

 周囲は暗く、ぬるい空気に満たされている。風はないのに葉の擦れる音がやけにうるさい。

「そんなところで寝たら、体を壊してしまいますよ」

 聞き覚えのある声がする。この声は―――

「ああ、壊す身体も、もうないんだった」

 テイサちゃん。上鳥院碇紗ちゃんだ。史織は木々の隙間から差し込む僅かな月明かりを頼りに彼女の姿を探した。

「どうしたんですか。そんなにキョロキョロして」

「テイサちゃん、どこにいるの?姿が見えなくって」

 ズリズリ、と這う音が聞こえる。木々はいっそうざわめいて、月明かりがチカチカと瞬く。

「こちら、こちらですよ。こちらですよ、こっち、こっちですよ」

 繰り返されても見つからないものは見つからない。史織は困ってしまった。

「こちらですよ」

 史織はやけに重い上体を起こして、石の縁を覗き込んだ。

 トゲの生えた大きな太ったナメクジが、3つの黄色い目を史織に向けていた。

 なんだ、そこにいたんだ。



 気がつけば朝だった。

 レーコが泣き疲れて半ば気絶するように眠った史織を布団に運んだらしい。

 すごく嫌な夢を見たな。史織はもやもやとした気持ちを洗い流すように、枕元のペットボトルを一気に飲み干した。

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