苦ヨモギの星は夢の中
前から思っていたんですけど、ちょっと悪趣味すぎませんか?なんか誰かが困ってる姿が好きすぎるというか……かなりサディストじゃないですか。
いや、動機とか思惑とか抜きに、楽しむ時点で。
神の感性とか知らないですけど、嗜虐というのは人間らしい感性ですよね。
うーん……
史織はレーコを抱きしめる。意味はない。空虚な安堵のために無意識にそうした。
「シオリ……わた、わたし……」
レーコはハッハッと浅い呼吸をする。
「私のせいだ……何も悪くない人たちが死んじゃった……子どもたちもきっと……」
「レーコちゃんは何もしてないよ」
「私がここにいるから、目をつけられたんだ」
「レーコちゃんがやったんじゃないんだよ」
史織はなんとか宥めすかす。レーコの為のようで、自分に言い聞かせていた。
レーコちゃんが悪いなら、私も同罪だ。いや、私だけが悪いんだ。私があの時、野垂れ死ぬことを選んでいれば一人の死で済んだはずなんだから。
そのような自責が、史織の頭を満たす。
心の何処かで、そこまで重大な事は起きないものだと思っていた。グラーキーに見られていることは知っていたのに、まだ大変なことにはならないだろうと、根本的な解決を先延ばしにし続けた。
「私が悪いんだ」
史織はポツリと溢した。
「生きたいなんて思わなきゃ……」
言ってはいけないことは重々承知だった。レーコの心を深く傷つける言葉だという自覚はあった。レーコに対する裏切りだとわかっている。
「ちゃんと死ねばよかったんだ」
史織は何故自分が山に入り、遭難したのかを思い出した。誰かに抑えつけられていた記憶の蓋が、スルリと外れてしまったようだ。
「死ぬつもりだったのに」
三年前、篠木山で悲惨な事故が発生した。
バスが道路から転落し乗客全員が死亡。遺体は著しく損壊しており、転落時の衝撃を物語っていた。
それだけならば、ただただ悲惨な事故。
やれバスの運転手の労働環境云々、やれバスの点検に問題はなかったのか、やれ道路の整備はどうなっていたのか……
何も知らない人々のテンプレじみた議論が白熱している最中、このような報道がなされ、議論の方向性を完全に変えた。
『バスのフロントに何かが激しく衝突した痕跡がある。バスと衝突したと思われるものは未だに見つかっていない』
『遺体からは、事故の衝撃が原因とは考えられない損傷がいくつも発見されている』
『警察は事件の可能性を視野に入れて調査を進めている』
想像力豊かな人々は勝手な推測をアレコレとした。バスに乗っていた人はどうだった。都合の悪い人間を粛清するためのああだこうだと。
どうせ全部説明がつくことだと冷めた目で見る人々もいた。安直に言ってしまえば運が悪かっただけだと。悪者はいないのだと。
結局、1年もしない内に、事故の全容も不明のまま人々の興味は失せて、オカルト話を扱うチャンネルの面白おかしい話題の種として取り上げられるくらいに落ち着いた。
史織は事故の直後、遺族として向けられる種々の眼差しに耐えられず、部屋に籠もることを選んだ。
直接危害を加えられたり、傷つけられたことはない。他者を言い訳に使った単なる逃避だった。
埃っぽい暗い部屋で生命を繋ぐだけの生活の中で、史織は少しも立ち直ることができず、精神状態は悪化の一途を辿る。結局、行き着くところへ行き着いた。
死んでしまおう。
これ以上、金を食いつぶして生きるのは懲り懲りだ。さりとて、今更どの面下げて人間社会へ混ぜてくださいなんて言えるのか。
姉に苦労もかけたくない。
どうせ死ぬなら、あの山へ行こう。親が死んでしまった山で、自分も彷徨って死のう。事故死を装おう。あからさまに自殺すれば姉が気に病むだろうから。
事故を装うなら転落死でも溺死でも良かった。にも関わらず、わざわざ少し遠くの山……それも両親の亡くなった事故の現場……を選んだのは、心の何処かで、史織が超常的な救いを求めていたからかもしれない。ひょっとして何かが変わってはくれないかと、無様な希望を抱えたのだ。
ともかく、史織は山の適当なところで彷徨い眠り込んだ。飛び降りるのにちょうど良さそうな急斜面を見つけられず、一旦力尽きたのだ。そうして山の中で目を覚ました時、どういうわけか死のうとしていたことを全く覚えておらず、生きようと藻掻いた挙げ句にこのような事態を引き起こすに至った。
『後悔とか、しない? 死んだほうがマシだなんて、絶対思わない?』
あの時濁した問いかけの答え。
史織は腕に力を込め、数秒躊躇うと、観念したように言葉を溢す。
「死にたくない。レーコちゃん、私死ぬのは嫌だよ」
史織に掻き抱かれたレーコは呼吸を止めた。
「でも、でも私が生きてるだけでみんなが不幸になってるとして、そんなのどうすればいいの?」
レーコは一瞬綻んだ口元を硬く引き締める。史織にその顔を見られたくなかったから。
レーコにとって、今の状況は悪かった。自分のせいで無関係な人たちが狂わされているかもしれない。自分の存在が不幸を撒き散らしているかもしれない。それは間違いなく、悪いことだった。
「レーコちゃん、私、死にたくない。でも、誰も苦しめたくない。ねえ、どうしよう」
レーコは山で勝手に封印していた史織の記憶を開示して、その上で史織がもう死んでしまいたいと言ったら、全面降伏しようかとすら考えていた。
でも、史織は生きたいのだ。レーコにとって、史織が生きることを望み、レーコの存在を求めていることは、最高の歓びなのだ。
神は笑みを浮かべぬように、下卑た幸福を噛み締めていた。
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