ハヤマカオリ
いとっしゃのう。いとっしゃのう。
おのれ、オレに何度もそんな言葉をかけるなよ。
アレが何かで作り出した、棘の生えた大きなナメクジが、どういう理由かアレの疎んだ言葉を繰り返す。
いとっしゃのう。いとっしゃのう。
お気の毒に、という意味らしい。
ハヤマカオリ。シオリの姉。
レーコは史織の腕の中でぼんやりと考えていた。
羽山薫。史織の姉。
史織と薫はそれなりに仲良しな姉妹だった。史織にとって薫は少々過保護だった。史織にとって薫はできすぎた姉だった。両親の死後、史織がしなかったことを薫がすべて代わりにやっていた。
史織は史織の幸福のために尽力してくれる薫に対して大きな負い目を感じていた。姉に負い目を感じる自分を責めていた。だからこそ数年間は電話越しでしか関わらなかった。
レーコには史織の心境の変化がわかっていた。
史織は寂しいのだ。孤独なのだ。
人が恋しくてたまらないのだ。
レーコとの関わりで、ずっと閉ざしていた感情を自覚してしまった。
「私は……」
人でなければ、人の孤独を癒せないのだろうか?
『私はずっとレーコちゃんと一緒にいるからね』
自分の孤独は、史織との生活で癒えたのに。
十時きっかりにインターホンが鳴る。
「はぁい」
史織はドタドタと無駄に大きな足音を立てて玄関へ向かい、ドアスコープを覗く。
見慣れない顔がある。
「シーちゃぁん。やっほ〜」
聞き慣れた声だ。史織は今の姉のことを電話越しの声でしか知らないのだから当然だ。
恐る恐るドアを開ける。
「シーちゃん!変わってないねぇ」
嬉しそうな姉の姿。直接見ても史織には覚えのない人間だった。面影さえも。
姉はこんな目をしていたか。声だって、鮮明すぎて現実味がない。
そして、姉を思い出そうと記憶を探るうちに、両親の顔も声も思い出せないことに気がついて、頭の中が冷たくなり息が詰まった。
「……シーちゃん、大丈夫?もしかして具合が悪いの?」
あなたは誰ですか?羽山薫。私の姉だ。私の姉は、私のなんなのでしょうか。彼女はどうしてここにいるのだろう。羽山史織をご存知ですか?私のことですが。
しっかりしないと。
史織は目の前が暗くなり、視界が回るのを抑える。いい、いい、とボソボソ呟きながら部屋の奥へ歩いていく。
「ま、まって」
薫は慌てて靴を脱いで部屋に上がると今にも倒れそうな史織の肩を支え、ゆっくりと座らせた。
「シーちゃん、しっかり食べてる?冷蔵庫、見てもいい?」
史織は、好きなように、と小さな声で答える。頭が掻き回されているみたいに考えが纏まらず、船に乗っているかのようにグワングワンと身体が揺られる感覚になり、今にも倒れそうだ。
薫は座ってもなおユラユラと身体を揺する史織の様子を伺いながら冷蔵庫を開けた。
「シーちゃん、ゼリーばっか食べてるの」
スパウトパウチのゼリーばかりがギッシリ入った冷蔵庫に、薫は呆れやら心配やらが混じった複雑な心境になる。味も同じだ、と気がついてさらに不安になった。
さらに冷蔵庫の横のダンボールにチーズ味のカロリーメイトが詰まっているのを見て、薫は前々から考えていたことを実行に移すべきだと確信し、相変わらずグワングワンと揺れている史織の隣に座り、肩を抱き寄せた。
「ねえシーちゃん、聞いて」
史織は、姉への親近感を思い出すことはできなかったが、少なくとも自分に危害を加えない人間に触れることで安心し、めまいが軽くなる。
「私の家で暮らそう。ね、ふたりで暮らそう?」
意識が朦朧としている史織には、その言葉の意味がわからなかった。
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