一度は夢見た摩天楼
石の戸の下でいくつもの夢を見た。人々は争い、悲嘆に暮れ、自分たちを救うはずもない神にそれでも縋った。
人間は弱く、その割には身の丈に合わない望みを持ち、同じ過ちを飽きることなく繰り返す。
自分もまた、その愚かな営みの一部として生きて死ぬはずだった。
顔を赤くして俯く史織を、レーコはぽかんと口を開けて見つめる。
「……戦うの?」
史織はきまりの悪そうな顔で、できるなら、と蚊の鳴くような声で答える。
「私にもわかんないよ。最初っから戦うなんて考えが無かったから」
レーコは笑いながら腫れた目を擦る。
「ありがとう。そう言ってくれて。そうだよね……できることはしないと」
「だよね!うん!なにか弱点とかさ、無いかな?」
史織は勢いづいて、倒す話を進める。
「無い」
レーコは微笑みを浮かべて返した。
史織は布団で横になり、レーコをギュッと抱き締めながら悶絶していた。レーコがわからないなら自分に分かるはずがない。真正面から戦って勝てる相手ではない。弱点の一つも無いならお話にならない。
詰んでる……史織は素直にそう思った。
なんか都合よくグラーキーにものすごく詳しい寺生まれのTさんだとか、そういう頼れる知り合いなんて誰ひとりいない。そもそも知り合いがいない。姉は一人いるが、絶対にこんなことは知らない。なにも知らない人をやたらと巻き込むのは不幸を撒き散らすことと同義だ。
詰んだ……しかし、戦おうと啖呵を切った手前……あとは何かしらの抵抗をすれば未来が開けるという希望を手放したくないので……どうにか足掻く方法を考えるしかなかった。
「日光は?ほらソーラークッカーみたいに太陽光集めたら効くんじゃない?」
「そこまで集めたことはないけど、直射日光でもピンピンしてたから効かないかも……アイツは周囲の時空を歪めて光を避けることもできるから効かないと思ったほうが良いかな」
強すぎる。史織は出した案を片っ端から折られていた。レーコの話が正しいならグラーキーも元は地球の生物のはずだが、随分とデタラメな力の持ち主だ。レーコが最初から諦めていた理由を理解できてしまった。
「グラーキーって、元はなんの生き物だったの?もしかしたらそこから弱点見つかんないかな〜なんて」
「グラーキーも元は人間のはずだよ。私も元は人間だけど、グラーキーが生まれたばかりのときに造ったからうんと弱いの。グラーキーは本物の神の被造物だから人智の及ぶものじゃない」
じゃあ無理じゃん。史織は嫌になった。こんな理不尽な存在がいることが、そんなものがよりにもよって嗜虐的ということが。
上鳥院と手を取り合えれば何か手立てはあったのか?しかし、上鳥院は既にグラーキーと懇ろになっている可能性がある。
史織はそんなことをグルグル考えながら、ふと黒い本のことを思い出した。
「そういえばレーコちゃん、あの本はなんだったの?」
「……史織に干渉するために仕掛けた罠だと思う。夢に現れたり精神に直接侵入しない理由は分かんないけど……多分今はまだ面白がってるだけだと思う」
レーコが起き上がって『肉體の回顧』を開く。史織も起き上がって覗き込む。どのページを開いても、文字が浮かび上がったりはしてこないし、見開きがまっさらな箇所もなかった。
「内容に意味はなさそう。シオリに私のことを教えて、喧嘩でもすることを期待したのかもね……」
レーコは、シオリのお陰で思い通りにならずにすんだ、と言いながら本を閉じる。
「一日中暗い話しちゃったね。ごめん。今日はもうお風呂入って寝よ?」
史織は閉じられた本の中身が気になったが、それをレーコに悟られないように直ぐに立ち上がって、風呂の準備をした。
史織は、全てを済ませてベッドに横になっても中々寝付けず、電気をつけたまま自分にくっついて寝息を立てるレーコの背中をトントンと叩いていた。
あの本になにか活路を見出だせないか……溺れる者は藁をも掴むとはこのことか。レーコを起こさないようにそ~っと体勢を変えて『肉體の回顧』を取る。
最初からじっくりと読み込む。なにか良い手はないか探すように。
残酷な死と、恥辱と、苦痛と、殺戮の悦楽がつらつらと述べられる。ただひたすらに陰鬱でグロテスクなだけの内容にウンザリとする。
参考にできそうな記述はひとつもない。後書きも意味不明だ。
『自己実現に向けて動くための忠告。小さな虫を払うのに竹箒を使うように、尊重の本質を忘れないでください。熟れて落ちた果実のみで生きることができないならば、不必要に痛みを訴えることはありません。あなたはあなたのために部屋に煙を燻し、わたしはわたしのために水面の月を覗き込みました。人々の行く末に悦びがあることを確かめます。』
史織は本を閉じて、床の上を滑らせるように遠くへやってしまうと、レーコを抱え込むような体勢になって目を閉じた。
惨たらしく残忍な内容を読んだせいで電気を消すことができず、レーコの髪の毛を指でくるくると巻きながら気を紛らわせる。ひつじが一匹……と頭の中で数えたが、逆に気が散るのでやめた。
ともかくいつの間にか寝落ちた史織は、朝になって髪の一部がくるんくるんになってしまったレーコに土下座せんばかりの勢いで謝るのだった。
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