グラーキー

 グラーキの身体の一部となれた者たちは幸運です。

 グラーキの身体の一部となれた人間に幸あれ。

 偉大な魔術師は、常にその一部となる人間を求めているのですから。

 偉大な伝道師たちに祝福あれ。



 史織が部屋の鍵を閉めると、レーコは黒い本を服の中から滑らせるように取り出す。

「これ……借りてないのに持ち出して大丈夫……?」

 いや、そんなことは問題ではないと史織自身もわかっている。わかったうえで、なにか言葉を発したかったのだ。

 この本は異常だ。

「……見られてる。干渉しようとしてる」

 レーコが震えていることに気が付き、史織は僅かに躊躇した後、膝をついてそっと抱きしめた。

 レーコは抱き返さないが、史織にほんの少し体重を預ける。黒い本を握る手に徐々に力が入る。

「レーコちゃん。レーコちゃんが怖がってること、教えて。何もできないかもしれないけど、せめておんなじ世界を見たいな」

 耳元で囁くと、レーコは涙を零しながら頷いた。

「ごめんなさい……」

「いいよ。謝んなくっても」

 レーコの背中をあやすようにトントンと叩く。史織はレーコを抱えあげると、布団の上へ座らせた。

「……グラーキ、グラアキ。それがアイツ……いや、アレを造った神の名前。正確じゃないけど、グラアキが近い発音。」

 レーコはポツリポツリと語り始める。

「グラアキは、前の宇宙から今の宇宙の飛躍の際の誤算で、この次元に直接干渉することが不可能になった。宇宙で最初の生物でありながら、閉鎖された次元に閉じ込められたことでこの宇宙へ影響をもたらすことも困難だった……でも、この宇宙の中、地球からは気が遠くなるほどうんと離れた星に生まれた生命体の精神を、夢を介して乗っ取ることでその足がかりを掴み、その星の文明で自分の似姿を造らせた。それがこの宇宙におけるグラアキの最初の顕現」

 レーコはため息を……呼吸を止めたあとのように苦しげに息を吐いた。

「その似姿によって直接的な干渉とより強力な精神干渉を可能にし、支配域を広げていったの。やがて精神のみならず、肉体まで変容させ、己の器官とした。様々な手段で似姿を操り精神干渉を広げ、星の生命体を食い潰し服従させ、うんと永い時間をかけて宇宙を渡ってる。それで今、目をつけられている星が地球なの……ただ、グラアキの似姿が滅びた星の残骸とともに飛んできたのがほんの百数十年前……着地の際に形成された湖の中で眠ってる。おそらくイギリスのどこかだけど、しばらく休憩期間。ここまでが私の知っているグラアキのこと。これが事実かは……わかんないけど……」

「それで……そのグラアキがアイツをつくって、それがレーコちゃんにどう関係するの?」

 レーコは目を泳がせて、それを言う決心がまだついてないとでもいうように、遠回りな話を続ける。

「……グラアキが地球にやってきたのはつい最近だけど、グラアキによる精神干渉が始まったのはもっと前。夢を介して肉体をも変容させるって言ったでしょ?アレもそうなの。アレも夢を介して肉体を変容させられて、グラアキの一部になった。それからずっと人間を取って食ったり、グラアキの為に働いてる」

 史織は静かにそれを聞いている。レーコが自分の正体を言いたがっていないことを理解していたのに、言わざるを得なくしたのは自分のせいなのだから、今ここで話をやめてしまっても構わないと思っていた。

「私の肉体も変容してるけど、それはグラアキの直接的な影響じゃない。アイツは、グラアキの一部だけど、独立した自我をまだ持っていて別物でもあるから、名前の発音が一致しないようにグラーキーと名乗ってる。私はグラーキーの精神干渉でこうなった。日光に極端に弱くなって、身体は老いなくなって、他人と不可逆な契約することで力を与えられる。もっとあるけど、全部言うと多すぎるから言わない」

 史織はしっかり聞いていたが、なんだかよく分からなかった。つまり史織にとって重要なことは、グラアキという怖い存在が、地球にいた人間の肉体を変容させてそれがグラーキーという奴に、そのグラーキーがさらに別の人間を変容させてレーコちゃんが生まれた。ということだろうと理解した。

「それで……グラーキーがレーコちゃんを苦しめてるの?」

「……よくわかんない。私、ただの人間だったのにグラーキーのせいでこうなった。それしかわかんないの。グラーキーはきっと私が苦しむ姿が好きで、私がこうなった後からずっと私をいじめてる。でもどうすれば逃げられるのか分かんない。どうすれば満足してやめてくれるのか分かんない。私……」

 レーコは三角座りで膝に顔をうずめて、しゃくりあげる。

「……私と関わったら、グラーキーのせいで不幸にされるから、それを知ってたのにシオリと関わっちゃったから、言ったら、言ったら失望されると思ったから、ずっと言わないで……」

 史織はなんて声をかければいいのか分からなかった。気にしてないよ?言ってくれてありがとう?大丈夫だよ?

「レーコちゃんは何も悪くないんでしょ?じゃあ戦おうよ!」

 レーコはびっくりして顔をあげた。史織は言い切ったあとにどんどん顔を赤くして

「む、無理だったりする……?」

 と弱々しく付け足した。

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