上鳥院の末裔(2)

 川を鎮める秘法を知ろうとしたものは、たっぷりの融けた塩で煮られた。

 人の心を胃のままにする秘法を探った者は、赤々とした心臓の止まらぬうちに曝された。

 人々は神を求め、神もまた人を求める。

 陰惨な欲望を秘めもせず……



「上鳥院は魔術師の家系。あの子も魔術師だと思う」

 風呂に浸かりながら、史織と向かい合ったレーコは話し始めた。狭い浴槽なので、レーコは史織の腰のあたりを跨り、三角座りになっている史織の太もも…かなり骨ばっている…に寄りかかるように座っている。

 史織はなんとなくレーコの身体を直視しないように、レーコの黄色い瞳を見つめる。

「可哀想なことしちゃったと思うけど……優しくしたらもっと酷いことに巻き込まれるかもしれないから……」

 史織は先程のレーコの怒気が演技であったことを悟り、少しだけ安堵した。史織は小心者であるから、目の前の少女がそれほど辛辣な性格ではないと思いたかったのだ。

「知らないことを暴きたがる人間は絶対に私みたいな存在と関わっちゃダメなの。私はしないけど、他の神とか妖怪とか、そういうのはさ、近づいてくる人間を陥れて食ったり、遊び半分で嬲り殺したりするんだ」

「へぇ〜」

 祟りとか、そういうやつかなと史織はボンヤリ思い浮かべた。レーコが次の言葉を紡ぐ直前、史織はレーコと触れ合っている部分がじんわりと暖かくこそばゆいような感覚になり身じろぐ。それに気がついたレーコは史織から身体を離そうとして膝立ちのようになった。

「ごめん……それで、えっと……」

 再び話しだそうとしたレーコは、また史織に話を遮られた。史織が、湯面から出てしまったレーコの肩をきちんと湯に浸からせようとして、肩をグイッと押し下げて元の体勢に戻したのだ。レーコは驚いて目を見開く。

「肩までつかんないと冷えちゃうから……」

 史織は何気ない様子でそう伝えると、レーコの言葉を待つように脱力した。

「……ん、それでね、魔術師って人間が知っちゃいけないことまで知って、それで苦しんで死んじゃうことが多いの。でもさっきの子はまだあんまり知らなそうだから、引き返せるうちに懲り懲りだと思わせたほうが良いんだよ。そうすれば取り返しのつかないことになって後悔しながら死ななくて済むから……」

 レーコの単調な声を聞いているうちに、史織はだんだん意識が沈み、レーコの言葉の意味も頭の中でほどけて溶ける良い心地になった。こくりこくりと頭を振る史織に気がついたレーコは、慌てて風呂の栓を抜く。

「お風呂で寝ちゃだめ!疲れたよね、早く出ておふとんで寝よう」

 史織は頬を軽く叩かれて意識を覚ました。ふらふらと風呂をあがり、適当に体を拭いてパジャマを着る。レーコのパジャマは無いので史織の部屋着で代用した。

 ドライヤーは埃を被りすぎて捨ててしまったので、髪はよく絞ってヨシとする。

 風呂に入る前に新しい敷布団を広げておいて良かった……と感じながら史織は自分の布団に潜り込んだ。昨日の夜はふたりでひとつの布団に入っていたので、いつもの布団なのに妙に広く感じる。

「ね……明日曇りの予報……服買いに行こーね…」

 レーコが隣で新しい布団をもぞもぞと被る音を聞きながら史織はそう言うと、返事を聞く間もなく完全に眠った。


 深夜、ふと目を覚ました史織は、レーコが自分にくっついていることに気がついた。昨日と同じように少し窮屈で、でも息苦しくはない。

 自分の中でなにかずっと空っぽだったものが、少しずつ満たされていくように感じ、その小さな子供を愛おしげに抱きしめる。

 あの時、自分は死んでも良いと思ってしまったら、レーコは今も石の下に居たのだろうか。私はこの愛おしさを知らないまま、諦観の中で死んでいたのだろうか。史織はまた眠りの世界に意識が落ち込んでいくのを感じながら、ずっとその想いを反芻していた。

 この喜びを知らないままのほうが良かっただなんて、思う時が来るのだろうか……


 朝が来ると、ふたりは自然と目を開けた。寝てる間にお互いがもつれ合っていることがおかしくって、くすくすと笑いあう。

 服を買いに行かなくっちゃね。どちらかがそう言って、ふたりは一緒に起き上がった。支度として、水だけで顔を洗う。レーコの歯ブラシは数年前に買ってあった未開封のものを使った。

「お金はATMで引き出して……うん、それで大丈夫。いこっか」

 史織はパジャマからTシャツとジーパンに着替えたが、レーコは変わらずぶかぶかのジャージを着ている。まさに服を買いに行く服がないといった状況だったが背に腹は代えられない。史織にはネットショップでレーコの体格に合う服を買える自信がなかった。

 部屋を出てマンションの外階段を下る。薄暗い曇天は、今の2人には居心地の良い天気だった。

 マンションの敷地外に出ると見覚えのあるリボンが見えた。あれは……

「ウエトリインさん?」

 昨日レーコに脅かされて帰っていったのに、またやってきたのかと史織は訝しんだ。

「……なに、私達になにか」

 レーコは碇紗を咎めるように睨む。碇紗はビクリと肩を強張らせると、口をモゴモゴとさせる。そして数秒ほど後に涙を滲ませながら吐き出した。

「あっ、あたし、あなた達と同盟を結ばないとお家に入れない!お願い、できることなら何でもするから、だから、あたしと同盟を結んでください!」

「おおお、落ち着こっか。ここ人がいるから、ね」

 碇紗が大きな声で言うものだから、マンションの住民や通行人が、なんだなんだと3人を眺める。史織はなんとか碇紗を宥めすかしてその場から離れようとした。レーコのぶかぶかのジャージ姿が大衆の目に晒されるのが心苦しかったし、史織自身が視線に耐えられないからだ。

「どうめいっ……同盟結んでくれたらっ……」

 必死に懇願する碇紗を前に、レーコは人目がある以上ヘタに手を出すわけにもいかず、さりとて放って置いたら何をするかわかったものではないので、困って史織を見やった。史織が解決方法を思いつくわけもないのだが。

「あわ、私たち、これから買い物行くので、あの……」

 史織もどうしようもないといった様子でたどたどしく説明する。碇紗は顔を上げると

「じゃああなた達の欲しいもの、なんでもお金を出します。それで同盟を結んでくれませんか」

 と言い放った。

 少女は曇りのない、真っすぐとした瞳をしていた。

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