第11話 無双の銀行マン~戦後の混乱期を生き抜いた自負と誇り~

昭和48年、32歳の私飯藤芳三は銀行の融資課の課長代理として、無双の活躍を見せておった。

振り返ってみれば、あの頃の私は自分の行動を誇りに思い、周りの誰よりも賢く、有能であることを信じて疑わなかった。

事実そうであったのだから仕方がない。


融資の審査過程での手心など、朝飯前のこと。

顧客企業からの接待や裏金を受け取ることは、業界の常識であり、むしろそれが銀行員としての成功の証だったのだ。

ある時など、高級料亭での接待やゴルフクラブ一式を受け取ったが、それも全て「仕事の一環」であり、顧客との信頼関係を築くための重要なステップだったのである。

私の厳正な審査が、どれほど多くの企業を救ってきたか、また、どれだけ無能な害悪にしかならない企業の息の根を止めて社会から淘汰したか、考えるだけで誇らしい。


私は部下には常に厳しく接していた。

私は仕事には厳しい男だったからな。

そして、部下の手柄は私の手柄、当たり前であろう。

特に新入社員や若手には冷酷であったが、それも彼らの成長のためだったのだ。

奴らがミスをすれば即座に叱責し、改善策を練る時間など与えない。

それが彼らにとって最善の教育であったのだ。


何人か辞めたのと、病気になった者が何人かいたが、何度も言う。

「無能と闘志無き者は人にあらず」が私のモットーだ。


社会全体が不安定な昭和48年、若者たちはまだ安保闘争の余韻を引きずり、反発心を抱えていた。

しかし、そんなことは当時の私には関係ない。

自分の出世と利益を最優先に考え、他人のことなど気にかける必要はないのだ。

部下たちには「厳しさを持って接することで彼らの成長を促す」モットーとし、私のこの冷酷さこそが正しかったのだ。


何?

実際には、自分のポジションを守るための方便に過ぎなかっただと?

それが何か問題だというのか?


まあ、結果として多くの部下や同僚たちが私を避けるようになったが、そんなこと気にしないであろう、普通は。

彼らが私を避けることは、私がいかに強く、優れた存在であるかの証明であったからな。

最終的に重要なのは、私自分の出世と利益だけで何が悪い。


今振り返ると、その時代の自分がいかに狡猾で冷酷だったかを思い出し、少しの後悔もなく苦笑する。

むしろ、そんな自分を誇りに思う。

それが私の生き方であり、戦後の混乱期を生き抜いた者としての誇りでもあるのだ。

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