第10話 戦後ベビーブームの時期に生まれたガキはなっとらん~我が70年安保闘争への見解~
私飯藤芳三が銀行マンとしてバリバリ働いていた1967年(昭和42年)ころからまたぞろ安保にまつわる騒動が起こり、大学界隈が騒がしくなってきた。
私も確かに大学時代は若気の至りで安保反対の立場でデモに参加したことはあるが、反対しても無駄だとは気づかぬのかのう。
この乱痴気騒ぎの中心になっているのは戦後の昭和22年とか24年くらいのベビーブームとか言われてた時期にボロボロ生まれよったガキどもだ。
あのひよっ子どもがもう大学生になっておるとは、私もどうりで歳をとったわけである。
どうでもよいが私は後に団塊の世代とか呼ばれるようになった彼らが子供の頃から気に入らん。
何かとラジオをつければ奴らの話題だったし、あちこちで生まれてうじゃうじゃいて目障りったらありゃしない。
小学校の時は赤ん坊や幼児だった彼らによく石ころをぶつけてたし、中学生になった時に小学生くらいになった奴らが私の前を横切ろうものなら蹴飛ばしていたものだ。
そんな奴らが偉そうに天下大道を語り、石ころどころか火炎瓶まで使って機動隊と合戦ごっこまで始めとる。
なんだか面白そうなことやっててうらやましい…、いやいやけしからん!
「最近の若いモンはやることが度を越してる」とか言うとる同僚もおるが、彼らはしょせん戦後生まれのもやしっ子。
戦争中に生まれた我々の持っていた気合いなんてありゃしない。
私たちが彼らの年齢だった時は一本筋が通っていたもんだ。
それに比べて奴らの何と甘やかされてひ弱なことか。
もし我々戦前世代が奴らと同じことをしたら警官が最低百人は死んでいるだろうし、機動隊どころか自衛隊が出動し、政府も内閣総辞職じゃ済ませなかったであろう。
大学生なんだから大人しく勉強しとらんかい。
昭和44年ころから奴らの世代の新卒者たちが我々の銀行にも続々入行してきた。
手ぐすね引いて待っていた私たちは社会と戦前生まれの厳しさをたっぷり味わわせてやったものだ。
特に学生運動に参加していたとかぬかした奴にはつきっきりで個人レッスンしてやったわ。
私と働くことは機動隊につかまって取り調べを受けるより厳しかったらしい。
そういう奴の多くが辞めてしまった。
しょせんはこんなもんだ、ベビーブームの時に生まれたガキなんて。
そうはいってもやはり数が多いから私もいちいちレッスンが追い付かない。
知らないうちにわが銀行にも少なからぬ数が居つくようになってしまった
のは遺憾だ。
「こんな奴らが我が銀行の、いや日本の中核を担うようになったらどうなるんだ?」と思ったのを覚えている。
その時の私の懸念は、その後にやはり当たってしまうことになったが。
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