第8話 出世街道~我が新たなる挑戦~

昭和41年、私、飯藤芳三は主任に昇進した。

普通ならば最低でも五年はかかると言われるところを何と入行後三年で果たしたのである。

これも私の才覚と実績のおかげだ。

課長どころか支店長だってぐうの音も出ぬであろう。

彼らに対しては思ってもないお礼を大げさに述べてやったが。


私はこれから大田区蒲田支店の融資課主任として、ますます銀行の舵取りを任されることになった。

一昨年の東京オリンピックは日本の活気を世界に示したが、私もその勢いに乗ってさらなる成果を上げる覚悟だ。


新たなる挑戦が待っている――それが私の信条だ。


主任になると、さらに広い視野が求められる。

新たな顧客を開拓し、既存の顧客との信頼関係を深める――そのバランスが重要だ。

私は目先の利益だけでなく、長期的な視点も持ち続けなければならない。


そして、それは単なる数字だけではなく、人々の暮らしや地域の発展にも目を向けることだ。

私はヒラの行員の頃からそれを旨とし、実践してきた。

かつて私が融資した街の景観を損ねるような小商店や小工場は、返済が滞るように仕向けて担保とした土地を明け渡させていたから全て姿を消し、新しい大工場や商業施設の建設が始まっているではないか。

この街の発展の立役者の一人であることは間違いないであろう。


私の信念は揺るがない。それが私を主任に導いた。


しかし、新たな地位についたとはいえ、課題は増えるばかりだ。

上司たちはますます厳しく私を見守り、私の成果を期待している。

そう成果を出さなければならない。


実はここからが私の真骨頂なのだ。

主任になった私には部下ができたが、私は自分が動くより他人を動かす方が向いているからである。


現に私のチームは私の指揮の元で着々と成果を上げていったものだ。


私は仕事には厳しい。

成果を出せない者は出させるまでだ。

何かポカをやらかしたら自分でしりぬぐいをさせる。

私のミスをカバーするのも部下の仕事だ。


これが私のやり方だ。


体調を崩す者や辞める者が続出したが、闘志無き者は去れ。

自宅から失踪して水死体で見つかった者や通勤途中に線路に落ちて死んだ者もいたが、不運な者というのはどこにでもいる。

私の所に異動が決まった者で、まだ働く前から辞表を書いた者がいたのはけしからん。


どちらにせよ、当時の私は銀行員としての誇りを胸に、常に自分が正しいと思う道を歩むことを決意していた。

私自身は今でもあの決意ができた当時の自分を今でも誇りに思うのだ。

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