第7話 モーレツ行員~我が新米行員時代~

昭和38年から東京首都銀行で私の銀行員人生は始まった。

時は高度成長期の時代、来年開催される東京オリンピックを前に日本経済は活気がみなぎっていたものだ。


私は融資課に配属された。

融資課と言えば銀行の花形、企業や個人に金を融資し、返済管理などを行う、まあ銀行の利益に直結する部門だ。

そんなもん常識であろう。

まあ私自身が花形なんだから、私が行くところが花形なんだが。


しかし私が配属されたのは大田区蒲田の東京首都銀行太田支店。

本店に勤務できると思っていたのに場所が悪すぎだろう、こんな低級な街の支店に放り込むとは。

最初不満ではあったが、この時代大田区は登り龍がごとき発展を見せていた。

特にこの蒲田周辺は町工場がまだ多く、新規の融資先を探すのが比較的容易だったものだ。

渉外担当が私だったからな。

何というか私は昔から弁舌さわやかで、女を口説くように工場のおっちゃんを我が東京首都銀行の顧客にしていった。

自分で言うのもなんだが、断りにくい印象の持ち主でもあるしな。

断ったりして怒らせたり不快にしてはいけないと、相手が無意識のうちに思ってくれることも多い。

おいしい個性であろう?


だが私はむやみやたらと顧客を開拓していったんじゃない。

ちゃんとその工場の財務状況や担保をきっちり見た上で判断していたんだ。

私は大学一年の時から父親の貸金業を手伝ってたんだから、その辺はそんじゃそこらの新人じゃマネできないだろう。

もちろん主任や係長ら上司にはきっちり報告はしていたのは言うまでもない。

私は上の者には絶対服従なんだから。


しかもこのまま長い付き合いができそうな工場ばかり選んでたんじゃない。

中にはこの先長くないなと思った工場には融資条件を厳しくして提案した。

それじゃつぶれちゃうじゃないかって?

それが目的なんだ。


ちゃんと土地や建物など担保は押さえているし、何よりこの辺りは大規模な工業団地化や都市開発が進むであろうから土地の値段は上がるだろう。

もう工場は長くないんだから、もうそろそろこれくらいでとどめを刺してやるのが優しさってもんだ。

「貸しはがし」だって?ばか者。

いただいた土地をより高く、より有効に使ってくれる相手に売る。

まさに理想的なリサイクルじゃないか。

社会のためなっているではないか。

これも貸金業を手伝ったことで会得したことだ。

不動産や貸金業を営む父や兄たち一族の者たちの入れ智恵もあるにはあったが。


私は元から基礎があったことで新人の頃からいきなり着々と成果を上げていったが、上司の係長は肝の座らん男で、「少しは顧客に対する思いやりを持て」とか「人間性を忘れるな」とか私に銀行マンにあるまじき小言をぬかすことがあった。

たかだか係長の分際で偉そうに、私は結果出してるだろうが。

一回「飯藤って名前のガキを出せ!」って包丁持って我が支店に怒鳴り込んできた町工場のおやじがいたりして、ビビりよったんだろう。

そのおやじは私本人が直々に椅子を使って取り押さえ、警察に突き出す前にじっくり叩きのめしてウチの銀行ナメたらどうなるか分からせてやった。


だがそんな根性なしな係長を差し置き、私の出した成果は着実にもっと上の課のトップ、課長の注目を浴びるようになっていた。




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