第4話 沸き立つ反骨精神~我が大学時代の安保闘争~

まだ私が高校生だったころ我が国の総理大臣は岸信介だった。

その岸首相は1960年1月にアメリカとこれまでの「日米安全保障条約」を改定して「新日米安全保障条約」を締結すると、それに反対して国内で騒動が起こり始め、それが後に安保闘争と呼ばれるものだ。

その時は「安保騒動」と呼ばれていたような気がする。

この条約では何でもアメリカ軍が引き続き日本に駐留すること、日本の領域内で日米どちらかが武力攻撃を受けた場合は共同作戦をとること、日米それぞれの防衛力を強化することなどが決められたらしい。


どうも反対している連中はこの条約を日本をアメリカの戦争に巻き込むものだと思ったようで、戦争の記憶が生々しかったこの当時、全国の各所で学生や労働者が安保条約の改定に反対するデモを連日行っていたのだ。

大学生になったばかりの私はラジオや新聞でそのことは知っていたし、私の学校でもその話題で持ちきりになって、実際にデモに参加した者もいた。


正直、安保のことはよくわからなかったし、なぜアメリカの戦争に巻き込まれるのかも知らなかったが、連日報道される安保騒動のニュースに触れるうちに私はアドレナリンが沸き立ち始めるのを感じていた。


私の父は体制に唯々諾々と従うことを潔しとしない反骨精神旺盛な人物だ。

戦中は村の男たちがお上に言われるがまま大人しく戦地に赴いて行く中、知恵を絞って徴兵検査で見事不合格し、六尺豊かな大男だったにもかかわらず堂々と徴兵を免れた。

戦後は政府の食糧管理制度に逆らって収穫量をごまかし、闇市の第三国人に米や作物を高値で卸していた。

そして任侠団体の組長や幹部と積極的に交わり、彼らが反社会的勢力と世間にみなされるようになっても、彼らとの公私にわたる親密な交際を終生断つことはなかった。


そんな反権力を貫き通した父の血を受け継いだ私だからこそ、安保闘争というこの反政府運動を目の当たりにして血が騒ぎ、いてもたってもいられなくなったのだ。


聞けば、我が大学の安保改定反対のデモは主に学生自治会が組織してるという。

学生自治会は元々うさん臭いと思っていたので入学以来距離をとっていたが、自治会役員をしている串田は同郷大宮市の中学の先輩で知り合いだ。

串田に自分もデモに参加したいと言うと、一人でも多く頭数が欲しかったらしく大歓迎してくれた。

近々大規模な行動を起こす予定らしい。


一人より大勢の方がいいと、私は普段レポートの代筆や授業での代返をさせている同級生の中島と澤村も引き連れ、安保闘争の戦列に加わった。


時は昭和35年6月、ちょうど60年安保闘争が一番燃え上がっていた頃だ。

私の心もカッカと熱くなって発火寸前だった。

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