第2話 ほとばしる若き血潮~我が中学・高校生時代~
昭和20年代後半、戦後復興の時流に乗って百姓から実業家に転身した父の一存で我が家は大宮市内に転居、中学や高校は市内の学校に通った。
私の青春時代のはじまりだ。
私は中学高校とも一貫して野球部に所属。
身体能力が極めて高い私ではあったが、一年坊主の頃は上級生の奴隷というのが今も昔も変わらぬ運動部の宿命だ。
だが、私は中学でも高校でも身分は奴隷ではあっても待遇は平民であった。
なぜなら私は上の者には絶対服従で忠義を尽くす上に先輩のかゆいところに手が届く後輩であり、そんなこともあって先輩には可愛がられたからだ。
そして自身が先輩の二年生や三年生になると、私は先輩たちのやり方を忠実に受け継いで率先して後輩たちを指導した。
だが私より後に入って来た学年の者たちは根性のない者が多く、退部者が例年の五割増しだったのはけしからんことだ。
なおポジションはピッチャーだったが、他のナインが役に立たず、試合は負けてばかりだったのは遺憾なことである。
野球以外で、私は学校の不良グループとも友好関係にあった。
身体能力抜群の私には彼らも一目置いていたとみられる。
私は野球部の練習の傍ら、彼らとつるんでよく大宮の街に出かけて遊び、若気の至りで警察沙汰になるような少々無鉄砲なことを街でやらかしたのもいい思い出だ。
そして当時の私は、同級生や下級生の女子にも結構モテた。
不良たちと一緒に後輩や街で出くわした他の学校の生徒から借りた金で映画館によく出入りし、映画の影響で同世代の少年と比べて少々大人びていた私は、石原裕次郎やハリウッド映画の男優のように女子を積極的にリード。
だがついついやりすぎて、中にはその後学校に姿を現さなくなったシャイな女の子も何人かいたし、「ウチの娘に何をした」と逆恨みして我が家に怒鳴り込んで来るバカ親も何人かいた。
そんな時は父が私に代わって、仕事上付き合いのあった弁護士或いは任侠団体の人間を伴って相手の親に対応し、私の正当な主張である「双方同意の上だった」「挑発したのはそちら側」であることを代弁してくれた。
戦後米の私的な売買で得た金を元手に屑鉄を買い集め、朝鮮戦争の特需でそれを売って大儲けした商魂たくましい父は不動産業や金融業に進出してそこでも成功、それなりの財力と影響力を持っていたために警察や市会議員にも顔が利いたからバカ親の言いがかりにはひるまない。
私を殺しかねない剣幕だった親も父と会って以降、間違っているのは自分たちの方だとわかったらしく二度と何か言ってくることはなかった。
ずいぶん父には面倒をかけてしまったかもしれないが、「若さゆえの過ち」なんだから仕方ないではないか。
子供の過ちのしりぬぐいをするのが親の役目で、父はそれを立派に果たしてくれたことには今も感謝している。
それに若い時にロクな過ちも犯せん奴は大人になっても大したことはできんのだ。
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