邂逅 四

結城さんが言葉を発するたび、空気が重みを含んでいくような気がする。鬼のような形相で睨まれている訳でもない。ただ真っ直ぐに見つめられているだけだ。それなのに、まるで夜空を舞う大烏に狙われた小虫のように全身が竦み上がって、内臓を食い破るような恐怖がせりあがってくる。一体どんな人生を歩めば、こんな巨岩のような威厳が身に付くのだろう。少なくとも太陽の下をのうのうと生きてきた自分とは根本から何かが違う気がした。

 でも、これくらいなら、まだ大丈夫。

 戦慄く心を何とか奮い立たせ、ぐっと顔を上げて正面から視線を交える。すると、結城さんの瞳が僅かに揺れた。少し驚いたのかもしれない。これだけの気迫、普通なら恐怖でまともに身動きもとれなってもおかしくない。結城さんもそれを分かった上で、私の出方を計るための牽制としてこの威圧を使っている。だから敢えて、耐えてみることにした。

 私は別に特別な人間じゃない。ただ、他の人よりも少しだけ死が身近な人生を送ってきた。

 お陰様で火事場の胆力だけは、少しだけ優れているかもしれない。

 落ち着いて、胸を張って。射殺すような目線にも決して怯まずに、微笑みさえ浮かべて夜色の瞳を真直ぐに見返した。

「怪しまれるのも無理はないと思います。でも、私は何も知りません。ドライブ中に人が倒れているのを見かけたから放っておけなかっただけなんです。それ以上でもそれ以下でもありません」

「それなら何故警察を頼らなかった?放っておけなかったとあんたは言うが、自信を持って対処できるほど慣れている訳でもないんだろう」

「そうするべきだったんでしょう。でもさっき、筒みたいな金属の塊が見えた気がして。私の勘違いでなければ、あれは薬莢ですね?」

 結城さんの目が僅かに揺れる。正直言えば、はっきりと分かったわけじゃない。しかしこの反応はきっと当たりだ。

「訳ありなんですよね?なら、いっそ連れ帰った方がいいと思ったんです」

「あんた、他に何か見たか?」

「いいえ、それ以外は何も」

「言い切れるのか」

「さすがに、あれ以上は冷静でいられませんよ」

 核心を探るように爛々と瞬く獣のような瞳に、喉元に刃を突き付けられるような本能的な恐怖に脳が侵食されていく感覚を覚えた。ジワリと冷たい汗が背中を伝う。

 延々と続く沈黙を破るように、結城さんがふうっと息を吐き出した。

「……つまりあんたは、俺を社会的にも身体的にも助けようとしてくれた恩人ってことか。なるほど、それは理解した。それで、あんたの目的はなんだ?」

「目的……?」

「何かあるだろう。じゃなきゃこんなリスクを背負ったりはしない」

 一瞬言葉を失った。そんなこと、考えもしなかった。

何も、純粋な正義感で助けたわけじゃない。衝動の根本には欲があった。でも、それは私の心臓の部分に埋め込まれた渇望だ。行動原理のような稚拙で曖昧なものであって、目的と呼べるほどはっきりとしたものじゃない。

 言葉を失って黙り込むと、掠れた吐息交じりの笑い声が耳に入ってきた。途端にふわりと空気が緩み、息苦しさから解放されていくのを肌で感じる。結城さんは仏頂面を崩して、口の端に滲むような笑みを浮かべた。

「聞き方を変えようか。あんたは今何が欲しい?俺は見ての通り訳ありだ。命の恩人でさえ疑わないとやっていけないような面倒な立場だが、大抵の望みを叶えてやれるだけの力はある。金でもコネでも、俺に出来ることなら何でも言って欲しい」

「………へっ?」

「そんなに驚くことか?」

「い、いえだって!何も要りませんよ‼そういうつもりじゃなかったですし……」

 ぶんぶん首を振りながら全身で遠慮の意を表明する。結城さんは何か言いたげに涼しげな眉目を歪めていたが、私としても譲れない。正直何を貰っても持て余す自信しかない。

 だが、結城さんは簡単に引き下がるような性格はしていないようで。

「それじゃあ俺の気が済まない。あんたがいなかったら死んでいただろうから」

「だからいりませんって」

「俺が納得できないんだ」

 真剣に食い下がる彼の姿に、私は思わず息を呑んだ。もしかすると、彼は難儀なくらい律気で義理堅い人なのかもしれない。事情も知らずに連れ込んだのに、応急手当と夜食を提供しただけで、大したことも出来なかった。お礼なんて、欲しいとすら思えない。

「特に欲しいものもありませんし、本当に大したことはしていないので……」

「些細なことでもいい。最低限の筋は通させてくれ」

 結城さんは、思っていたよりもずっと強情な人だった。このままじゃ平行線で夜が明けかねない。それどころか、これ以上言い募れば問答無用で札束でも突っ込まれそう気配すら感じる。

 いっそのこと、お言葉に甘えてしまえばいいんじゃないだろうか。ふと、とある妥協案が頭を過った。金やコネではなく、もっとささやかな何か。物質的なものは要らない。出来れば形がない方がいい。それでいて、私の願望を満たしてくれるもの。

「なら、これから定期的に私の家で一緒に食事を摂ってください」

「………はっ?」

 流石の彼も予想外だったのか、豆鉄砲でも食らったような声を上げた。それはそうだろう。でも、私としてもここが最大限の譲歩だった。それに、仕事場兼自宅で一人で暮らす身としては、一緒に食卓を囲んでくれる人の存在は本当に励みになる。それこそお金なんかよりもよっぽど嬉しいものだ。未だに納得いかない様子の結城さんに力説すると、押し問答の末に渋々首を縦に振ってくれた。

「まあ、何でも聞くと言った手前無碍にはしないが……本当にいいのか?下手したらあんたも厄介なことに巻き込まれるかもしれない」

 結城さんの言葉に、私はそれでもにっこりと笑ってみせる。巻き込まれたって平気だ。じゃなきゃこんなバカなこと、きっと思いつきもしなかっただろうから。

「私には身寄りもありませんし、心臓に持病を抱えているので長生きも出来ません。だから何も問題なんてないんですよ。それに…私としては今夜の出来事を他言する気は一切ありませんけど、しばらくは見張っていた方が結城さんも都合がいいでしょう?」

 結城さんはもうそれ以上何も食い下がろうとはしなかった。拒絶する理由はないのだと思う。恩人とは言ってくれたけれど、私は見てはいけない現場を目撃してしまった傍迷惑な女かもしれない。彼の世界のことはよく分からないけれど、監視はしやすい方がいいだろう。

「……随分と変わった人だとは思ったが、筋金入りの善人なんだな」

 深く頷きながら零された独り言のような言葉に、私は笑顔を崩さないように気を付けながら曖昧な首肯を返した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る