2.接触
朝起きると、奇怪な生物は部屋から消えていた。
夢だったことにホッとして、会社に出勤する。日中、昨夜の奇妙な夢が少しだけ頭をもたげたが、普段通りつつがなく仕事をこなし、一時間ほどの残業のみで金曜日の職場をあとにした。お気に入りのラーメン屋でつけ麺を食べて帰宅。
今日も暑く、皮脂と汗と加齢臭を早くサッパリさせたかったので、風呂場に直行する。着ていたものを全て洗濯機へと、ぶちこんだ。最近のスーツは洗濯機で洗えるので助かる。オレは臭いのが苦手なのだ。本当にここ数年、自分自身が臭いことに絶望している。だから、仕事から帰って来ての即シャワーは最高だった。
しかし、ウキウキと鼻歌まじりにバスルームの扉を開けたオレに待ち受けていた苦難。
「あ、おかえりなさい」
湯船から顔をだす巨大イカ。そして、声にならない悲鳴をあげるオレ。
「このイカの身体、水分の蒸発が想定以上に早くてですね、昨夜より湯船をお借りしておりました。定期的に海水に近い液体に浸かってないとダメですね。あ、溶かした塩につきましては、ちゃんとバスソルトを使用しましたので風呂釜を傷つけることはありませんので、ご安心ください」
言われてみれば、洗面台の下にしまっていたはずの元カノが残していったバスソルトが、脱衣場の床に置かれている。
「事前に地球人は電気の使用について慎重であると情報を得ておりましたので、ご不在中にエアコンを使用するのも居候の身としましては、いささか躊躇われまして、このように水風呂でしたら、保湿も涼もとれて一石二鳥であると判断いたしました」
風呂の洗い場を挟み、全裸のオレ VS イカのエイリアン。どうしよう。勝ち筋が見えない。オレが何も言えずに口をパクパクしていると、イカのエイリアンはズルズルと湯船から這い出てきた。
「お仕事お疲れ様です。どうぞ、ゆっくりとシャワー浴びられてください。あ、湯船の水はそのままで結構ですので」
そう言って、イカのエイリアンは悠然とオレの横をすり抜けて、慣れた手つきでタオルを触手でつかむと部屋の方へと、ヌルヌルしながら去っていった。
しばらく、シャワーを滝行のように浴びていたが、オレは観念して風呂を出て、部屋へと向かう。いつもは風呂上がりはボクサーパンツとTシャツのみだが、今日は冬でもないのにジャージの下を履いた。防御力はゼロからイチになった程度の差だが、このジャージの装備により外への脱出が可能となったわけだ。
イカのエイリアンは勝手に下駄箱の中を漁ったのか、バケツに水を入れて部屋に置いていた。タオルを浸して軽く絞っては身体にあてて、水分補給しているようだ。
「えっと……なんだっけ。イカゲソさんでしたっけ?」
「イカゲソくん、でお願いします」
謎のこだわりで、すかさず訂正をされた。オレを見つめる黒目がヌラヌラと光る。
「……。それで、イカゲソくんは、どうしてオレの家に?」
「はい。私は正確にいいますと、偵察用の生物でして。あ、生物といいましても、人工知能が搭載された自律型ロボットに近い存在です。つまり、私のいる星の知的生命体によって、地球の調査のために生み出された有機生命体というわけです」
チャプチャプとバケツにタオルをつける音が響く。その度にフローリングの床に水しぶきが飛んだ。
「ただ、昨日も少しお話いたしましたが、私はこの地球が存在している宇宙ではなく、別宇宙の存在ですので、こちら側に肉体を直接持ち込むことができませんでした。
地球人の皆様はまだ解明されるに至っていない宇宙法則となりますが、宇宙と宇宙の間はファイアウォールのような障壁があり、簡単に行き来はできないようになっているんですね。
各宇宙がそれぞれの物理法則を有しておりますから、おのの宇宙を破壊されないための防衛機構をもっているのです。そのため、質量をもった異物はまず入れません。
そこでデータだけ転送し、こちら側の世界で身体を構築する方法をとることにしました。しかしながら、データだけとはいえ、やはり送受信のためには、こちらにいる生命体からの許諾が必要でして、それがあの『アッパラ・プープーパー』となります」
どうしよう。何一つ理解できない。どうでもいいけど、濡らした床はちゃんと拭いて欲しい。できたら、雑巾で。今、イカゲソくんが使っているタオルは身体を拭く用なのだ。そのタオルで床を拭いてほしくはなかった。
「電子領域を伝い地球のインターネットに侵入するまでは容易だったのですが、そこから先が難航いたしました。地球人とコンタクトを取るためには、個人の持つ電子デバイスに侵入する必要がありましたが、あくまでも地球人が自主的に『受け入れる』形でなければなりません。無理に侵入すると、この宇宙の防衛機構によって弾かれてしまいます」
オレは最早、イカゲソくんの話をあんまり聞いてなかった。
「私は作戦を立てるために、インターネット上の情報から地球人の行動を分析いたしました。その結果、地球人におけるオス生命体の中に、著しくメス生命体からの積極的アプローチに対して弱い個体がいることを突き止めたのです。
とりわけ、この日本列島に住む『日本人』と呼ばれる地球人は、その割合が高く、そして他の地域の地球人に比べ比較的温厚であると判断いたしました。そこで、選ばれたのが、あなたです」
イカゲソくんの触手の一本がオレを指差す。
「は? どういうこと」
オレはようやく、イカゲソくんの一方的な演説にツッコミを入れた。最後の「選ばれたのが、あなたです」はさすがにオレでも理解できたが、いや、それどういうことよ。
「先週の木曜日、あなたはお仕事の途中で、コーヒーショップに休憩をかねて立ち寄られましたね?」
「……。まぁ、はい。寄ったと思います」
「そこで、あなたはお店のWi-Fiにつなぎましたね? そして、AirDropで女性の写真を受け取りませんでしたか?」
ぎくりとした。なんでそれを知ってるんだ。普段なら知らない相手からAirDropで写真を受け取ったりしないが、あの日はたまたま斜め向かいに座っていたキレイな女性と目が合って、そのあとすぐにAirDropの通知が来たから……。
「私はずっとタイミングを虎視眈々と狙っていたのです。そう、あなたが性的な欲求から著しく判断能力が下がり勘違いをする時を」
くそぉ。オレの下心を利用されたぁ! なんか、スゲェ悔しい。別に実害あったわけじゃないけど。いや、こんな変な生命体が家に寄生してんだから、すでに実害生じてるわ。
「こうして、あの写真に隠していた私のプログラムデータは、無事にあなたの電子デバイスへの侵入に成功し、あの日記アプリに起動コードを記しました。そして、コードをあなたが音声で入力してくださったおかげで、このように私の肉体構成プログラムが起動できたのです」
十本の触手は喜びでも表しているのか、うねうねと不規則に動いている。
「……で、その迂闊な地球人代表であるオレのところに来た理由はわかったけど、そもそも何しに地球へ来たわけ?」
長々としたイカゲソくんの説明を聞き終わったあとで、オレは本題に切り込んだ。コイツ、さっきから意図的に質問意図を取り違えたフリをしている。オレがどうやって地球に来たのかというHOWではなく、なぜ地球に来たのかという目的……WHYを聞いていることを理解しているはずなのに。
しばらく、イカゲソくんの黒目と見つめ合った。ヌラヌラしてて、若干キモイ。申し訳ないが、やはりクリーチャー感が強すぎる。しかし、我慢して見つめ続ける。
そして、初めてイカゲソくんから目をそらされた。
「おいっ! ちょっと待て! 地球侵略しに来ただろ、お前!!」
「……黙秘いたします」
「絶対に侵略目的の偵察だろ、お前ッ!!」
「……黙秘いたします」
イカゲソくんは、チャプチャプとバケツにタオルをつけると、それをほっかぶりした。
(続く)
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