第8話 falling
『死に際の声はなく
かつての記憶が呼び覚まされる
俺はここで、失くしては見つけてを繰り返し
叫んでいるんだよ』
「世の中くそくらえだよ。」
少年のツイートのツイートはネガティブなものばかりである。でも、そこそこいいねされるから、共感してくれる人は世の中に一定数いるのだろう。少年のユーザー名は「鉄肺」である。好きなバンドの好きな曲から借りてきたものである。ツイッター上でつながっている人たちからは「鉄肺さん」と呼ばれている。また、ツイッター上で見知らぬ人とつながるのはいいが、リアルの知り合いとはつながらないことを信条にしている。少年は「鉄肺」をかぶって、愚痴を言いまくるといったツイッターの使い方が身にあっていた。
入院してからはあまりツイッターを見なくなった。たいしてつぶやくこともないし、何より、他人が楽しそうにしている様子を目に入れたくなかったからだ。「こんなはずじゃないのに。」と思いながら、デイルームに居座っていた。
ラジオ体操終わりの午前十時ごろ、美穂ちゃんが笑顔で話しかけてきた。
「ねえ。私、退院きまった!」
その発言と笑顔に、少年は驚いた。
「まじ?おめでとう。」
「おめでとう。」の声が少し小さかったのは、寂しさの表れだった。
「体重、クリアしたの?」
「うん。目標のちょうどだった。」
「良かったじゃん。」
「明後日、退院する。」
明後日からは話し相手が減ってしまうのかと思うと、このことは少年にとって残念な出来事だ。でも仕方がない。ここがいくら居心地のいい場所だとしても、ずっと生活できるわけがない。それから、いつものようにデイルームでおしゃべりした。話す話題は自然と湧いてくる。話し尽くしたと言えるほど、語り合った。翌日もそんな感じであった。
美穂ちゃんの退院日になった。朝から美穂ちゃんは忙しそうであった。細い腕でまとめた荷物を面会室まで運ぶ。面会室には、美穂ちゃんの両親が待っていた。廊下で彼女にとすれ違うと、バイバイと手を振ってくれた。少年は、同年代の患者がいなくなることにわびしさを感じた。
面会室の横には、体重計がある。少年は、体重をはかっているふりをして、面会室から漏れ出る会話に耳をたてていた。元来、少年にはそういった盗み聞きの癖はなかったのだが、今回ばかりは仕方がない。気になってしまったのだ。
「美穂、退院したら何がしたい。どっか行きたいでしょ。」
優しい声は、おそらく母親だろう。
「うん。ケンタッキー食べたい。」
少年は声が出そうになるほど、驚いた。おそらく、美穂ちゃんの両親も驚いたのだろう。ちょっとした無言の時間ができた。
「いこう。いこうね。」
喜びの声色は美穂ちゃんの母親のものだ。少年だってうれしい気持ちがある。
それから、主治医がきて、退院説明が始まった。さすがに、少年はその場を離れて、デイルームで時間を過ごした。瑛子さんがいたから、一緒に美穂ちゃんの見送りまで待つことにした。
しばらくして、面会室の扉が開いた。細い腕で荷物を持った少女がでてくる。出入口付近で待っていた少年と瑛子さんを見つけると、美穂ちゃんは綺麗な笑顔で近づいてきた。
「お世話になりました。またどこかで会えるといいですね。
この声を聴くのも最後だろう。瑛子さんが「退院おめでとう。」と言い、少年も続けて同じセリフを言った。
そして、美穂ちゃんは少年の目を見て、
「ありがとう。」
と、はっきり言った。
まさか感謝されるとは思わなかった。少年は何かを言おうとしたが、その間に美穂ちゃんは、出入口の外まで行ってしまった。ガチャンと扉が閉まり、電子錠がかかる音がする。切り離されてしまった。もう何を言っても届くことは無い。「ありがとう。」という声が少年の脳に強く残っていた。
午後になって、デイルームでのんびりしていると、水岡
先生がやってきた。
「いま、いい?」
「はい。もちろん。」
そう言って、面会室に連れていかれた。少年は面会室の中を見渡す。午前中は、美穂ちゃんがこの部屋にいたのだ。少年は、寂しさを感じていた。
「最近は、症状落ち着いてきたね。」
「はい。」
「退院って考えている?」
「うーん。」
やはり聞かれると思った。
「正直に言ったら、ここが居心地よすぎるから、ずっと居たいです。でも、そんなことはできないから、退院して実生活に早くなれた方がいいのかな。」
「僕もそう思うよ。」
さらっとした感じで、先生は言った。少年の心の内は、寂しさで溢れていたから、退院することに気が傾いていた。精神症状については、実生活で様子をみた方がいいのではないかと思った。先生も同意見のようで、話は順調に進んだ。
「じゃあ、お母さんに日程を聞いてくるね。」
会話は、行き詰まることなく終わった。少年は、デイルームには戻らず、自室のベッドに座り、音楽を聴いた。一ヶ月ほど続いた入院生活が終わりそうであり、実生活はどうなるのだろうかと想像していた。
嫌なことが数多く思い出される。また、あの生活に戻るのかと思うと、大きなため息が出る。やはり、退院したくないというべきだっただろうか。夕食の時間になっても、そんなことを考え続けていた。想像して、ストレスを勝手に産み出し、食欲は全くなかった。ちょっとだけ食べて下膳した。
それからというもの、少年の身体は常に緊張状態にあるようだった。夜は寝付けず、食欲もない、まるで死戦地に向かう兵士のようだった。楽しいことなどほとんど考えていなかった。それが、少年という生き物である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます