ミッドヌーン


 今日の朝、僕は、何と言った?


『どうして、起こしてくれなかったんだよ! 学校に遅刻するじゃん!』

『はい、おはよう、お父さん』

『お母さん、お父さんが』

『くそ、みんな、もう行っちゃってる』

『あっ、おはようございます』

『おはようございます!』


 ノートに鉛筆で、朝の言葉を書き起こした。

 一言目、多分、『学校』を忘れたんだ。生徒も先生も。だから、みんな、居ないんだ。

 二言目、『お父さん』を忘れたんだ。だから、お父さんは、『君は、どこの子だい?』なんて。

 三言目、『お母さん』も忘れた。最初は僕に、『お寝坊さんね』なんて言っていたのに、僕が『お母さん』なんて、言わなければ。

 ノートに付いた黒鉛の上に、涙が落ちた。拭うと、灰色に滲んでしまった。

 四言目、『みんな』。みんなが『みんな』を忘れるって、何だろう? お父さんとお母さんが、『お父さん』と『お母さん』を忘れたけれど、お互いのことは、知っているようだったし、自分たちのことも知っているようだった。

 多分、僕との関係性なんだ。

 つまり、『みんな』ってのは、僕を知っている人たち、『みんな』ってこと?

 誰も彼も、僕のことを、忘れているの?

 五、六言目、『おはようございます』。いや、これは、二言目の『おはよう』の時からか。

 お父さんも、犬のお爺さんも、僕に挨拶を返さなかったのは、そういうことか。

「おはようございます」

 僕の口から、小さな声が漏れた。

「おはようございます。おはようございます。おはようございます!」

 何かに、耐えきれなくなった僕は、教室の窓を登って、ベランダに降りた。

「おーはーよーーーーう、ごーざーいーーー、まーーーーー、すーーーーーっ!」

 ありったけの、大声で、校庭に向かって、『みんな』に向けて、挨拶をした。

 もちろん、誰からも、挨拶は返ってこなかった。




 一人。でも、生きいかなきゃ、いけない。

 一人。せっかくなら、楽しくなきゃ、意味ない。

 体育館倉庫にある、ふかふかの二つ折りのマットの間に、挟まって、寝っ転がって、そう考えた。

 まずは、食料だ。

 飛び箱を運ぶための、手押しの台車に、僕は目を見やった。


 買い食いをしてはいけないよ、といつも言われていた、学校から一番近くの、コンビニエンスストア。

「ポテトチップス! コカコーラ!」

 ちょっと怖かったから、けれど、別に、大声で、叫ぶ必要はなかったかな。

 店員さんに、ポテトチップの、せっかくだから、野球カード付きのを、レジに持って行って、

「あの、これ、落ちてたんですけど、持って返っても、いいですか?」

 さっきの大声は、どこへやら、ぼそぼそと小さな、声で、僕は、尋ねた。

「ん? なに? それ? 君のなの? いいよ」

 僕は台車に、ありったけ積もうとした。けれど、不安定で、全然、積めない。

「あの、箱。段ボール箱なんか、ありませんか?」

「箱? 何それ?」

 ああ、しまった。僕が『箱』って言ったから、店員さんが忘れちゃったんだ。

 うーん、箱って、どこに? あった。文房具売り場の一番下の棚。あ、そうだ。

「ガムテープ」

 僕はダンボールを組み立てて、ポテチとコーラを詰め込んで、積んで。

 四つ、は無理だな、三つでいいか。

 僕はコンビニを出ようとして、気づいた。

 火曜日にいつも、教室で、今日はジャンプの発売日だな、とはしゃいでいた、『みんな』のことを思い出す。

「週刊少年ジャンプ」

 箱の上に、ぽんと、一冊置いた。

 外に出ると、すっかり、影は短くなっていた。

 太陽がじりじりと、台車をがらがらと。

 ううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅう。

 正午のサイレンが鳴った。

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