グッドモーニングを忘れた日

あめはしつつじ

グッドモーニング

 月曜日の、朝。

 僕を目覚ませなかった時計は、七時十五分。

 集合時間の五分前を表示していた。

 跳ね起き、制服に着替える。

 ランドセルを背負い、食卓に駆け降りる。

 パンをひとかじり、牛乳を一口、

「おはよう、今日はお寝坊さんね」

 お母さんが、僕を、優しく、笑った目で見て、言った。

「どうして、起こしてくれなかったんだよ! 学校に遅刻するじゃん!」

 自分の夜更かしを棚に上げて、文句を言うと、

「こら、いくら慌てているからといっても、まず挨拶は、しっかりとしなさい」

 と、お父さんが、眉をひそめ、厳しい目で、言う。

「はい、おはよう、お父さん」

 口をとがらせて、渋々、僕が言ったら、

「おや? 何を、言っているんだい? 君は、どこの子だい?」

 何を、何を言っているのか、僕には分からなかった。

「お母さん、お父さんが」

 僕の、不安な声に、

「あら、嫌だ。あなた、どこの子なの?」

 お母さんは、僕よりも、不安げな声で返した。

 お母さんと、お父さんと、僕は、目を見合わせる。

 僕を見る目は、僕を、見ていなかった。

 僕は耐えきれず、視線をそらした。


 なんて、ひどい両親なんだ、寝坊して、あいさつをしなかったくらいで、

 すんっ、と、僕は鼻をすすった。目には、ほんのちょっと、涙が溜まっていた。

 今は、おふざけに付き合っていられない。

 洗面所で急いで歯磨きをしながら、頭から水をかぶり寝癖をなおす。

 家を飛び出る。

 いってきますは言わなかった。

 集合場所に駆けていく。

 だれもいない。

 しまった遅かったか、

「くそ、みんな、もう行っちゃってる」

 肩で息をしながら、一人愚痴る。

 僕は走り続ける。

 おかしいな、すぐに追いつくはずと思ったんだけど、おかしい。

 通学路に、登校している、みんながいない。

 そんなに遅れてるはずじゃ、ないんだけど。

 僕は走るのをやめて、とぼとぼと、歩き始めた。

「あっ、おはようございます」

 いつもすれ違う、犬の散歩をしているお爺さんに、僕は挨拶をした。

 お爺さんは、僕をじっと見つめたまま、何も、言わなかった。

 耳が遠くなって、聞こえてないのかな?

「おはようございます!」

 大きな声で、言ったけれど、お爺さんは、ただ、僕をぼうっと、見つめるだけだった。

 四十分かけて、結局、学校に着いてしまった。

 学校には、誰も彼もいなかった。影も形もなかった。


 校舎の鍵は空いていたので、僕は学校に入った。

 誰もいない教室。カーテンを全部開けて、うらうらな光にうつらうつら。

 ただ、ぼんやりと過ごしていた。

 キーンコーン、キーンコーン。

 誰もいないのに、始業ベルが鳴るんだ。

 僕は、ここまできて、やっと、世界がおかしいことに、気がついた。


 変だ。なんでだ。どうしてだ。

 お母さんもお父さんも変だった。

 みんな、いなくなった。

 考えろ考えろ考えろ。

 あっ、そうだ、算数の時間、先生が言っていたっけ。

『計算ミスが多いな。途中式を、書かないからだ。頭の中だけで、考えてちゃ駄目なんだ。紙とペンを使って、考えるんだ』

 僕はランドセルから、筆箱と、ノートを、あっ、しまった、算数の宿題をやったノート、家に、忘れてきちゃった。

 あっ。

 先生が言っていた。

 忘れてきちゃった。

 言っていた。

 忘れた。

 言う。

 忘れる。


 僕、の、言ったことを、忘れた?

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