第3話 番狐
赤き糸に締められし番狐は猫背に蹲る。
――――――
天音Side
見慣れない広い屋敷で誰かが泣いている…。助けを求める悲痛な叫びが虚しく木霊する。
―.貴方は誰?
―.どうして泣いているの?
ああ、そうかこれは夢だ。だから私の声は聴こえないんだ。
突き当たりを左へ曲がり、回廊の先の部屋でその人は泣いていた。次第に遠ざかる声が掠れる。目覚めの時は近い。
『助けてっ………あさ、ぎ…!』
____ _ ____ _ ____
瞬間的に目を覚ましバッと上半身を起こす。
「あ!学校!!ん?待って昨日土曜日だったから今日は日曜日…?何だ休みじゃん。ならもう少し……お休みなさ……って違う!!!ここは私の家じゃないし、そもそもそもそも別のせか……」
「朝から何してんだ…?」
「うわっ!!?リオン、何時からそこに……っ?」
一人ツッコミをかましながら視線を上げると扉に凭れ掛かるリオンと目が合った。
非常に恥ずかしい場面を見られた。昨日から彼の呆れ顔しか見ていない気がするのは、きっと気のせいだ。そうであってほしい。
「朝食、できてるから降りてこいってよ」
「うんっ今行く」
弁解する余地もなく呆れ顔のリオンは一言伝え終わると秒速で一階に降りていった。平常心、平常心と心の中で念仏し朝支度を始める。
乱れた髪を整える為、櫛を探して引き出しを開けると端に引っ掛かっていた一枚の紙がひらひらと床に落ちた。
(写真…?)
拾い上げて見るとどうやら写真のようで。見てはいけないと思いながらも己の好奇心に抗えず、少しだけならと心の中で家主に謝り髪を梳かしつつ薄目で確認する。
(…かわいい)
写真に写っている人物は二人。仲良さげに草原で遊ぶ姿が切り取られていたが、その内の一人に見覚えがあった。写真はモノクロで分かりにくいが狐耳と尻尾の模様は間違いなく昨日出会ったばかりのアサギの模様だ。幼少のまだあどけなさが残る風貌が微笑ましい。
何気なく裏を見ると右下に小さくメモ書きが残されているのを発見する。が古い写真である事と長年、日の目に当てられなかった事が原因で文字はほぼ消えかかっており、何が書かれていたかまでは分からなかった。
アサギの隣にいるおとなしそうな女の子も抑の撮影者も知りたいが目を凝らしてもそれ以上の情報は得られず再度、下から声がかかったタイミングで写真を引き出しに仕舞い、皆の待つリビングへと足を運んだ。
(そういえば私…夢を見ていたような?何時もなら忘れないのになぁ…まいっか)
後で知った"エトワール"とは広く一般普及されている護身用武器の事らしい。
形状も様々でリオンの腰元に光る近接戦闘向きの刀タイプもあれば弓タイプのような後方支援に特化したものまであるのだが、あくまで護身用武器の為、騎士団長が所持するのは珍しく印象に残りやすかったのだとか。
――――――
「お待たせ〜。ん、アサギどこか出掛けるの?」
「ああちょっと。食べ終わったら食器片付けといてくれな」
リュウシン曰くアサギは毎朝出掛けているらしい。此方としてはアサギが居ない方が積もる話もしやすくなるので正直有難い。
アサギが去り、既に朝食を済ませたリュウシンはリュートの調弦がてら軽く演奏していた。耳に残る玲瓏を独占出来る環境に感謝し椅子に座る。
「リュウシン、情報とやらを話してもらうぞ」
アイスコーヒーを一口啜り本題へ入る。丸い氷がカランと調子よく音を立てて透明なグラスに写り込む。
「ん〜。それも良いけど…まずは君達を知りたいな。百年間表舞台から姿を消していた理由とか……ね?」
「出会ったばかりの奴に話せる訳…」
「わ、私はこの国のお姫様…カグヤさんの生まれ変わり!!昨日のペンダントもカグヤさんの持物で…だから私は王族の血を引く最後の一人なの。リオンはずっと待っていただけ…」
「天音!?」
リオンの言葉を遮るように天音は矢継ぎ早に俯きながら話した。予想外の行動にリオンは思わず立ち上がり彼女を見やる。
一方リュウシンは伝えられた情報、天音の正体に驚愕し目を見張った。
当の本人はリオンの睨みに萎縮しながらも続けざまにハッキリと言葉を紡いだ。
「…上手く言えないんだけどなんて言うか…、そのリュウシンは私達を騙そうとかそんな事を考えるような悪い人じゃないと思う…。だって悪い人には綺麗な音は出せないよ」
「な!?んな理由で話してんじゃねぇ!!」
「ええ!?だってぇ………」
壮大なツッコミ。当たり前だ。"悪い人には見えない"という理由で王族の末裔などと言う絶対秘匿情報を話してしまったのだから。机を叩いた勢いで空になったグラスやら食器やらがカタカタと揺れる。
まるで夫婦漫才のようだとリュウシンは思うのであった。
「本当に面白いね君達は。とりあえず信じてくれてありがとう。天音…様?」
「天音でいいよ、寧ろその方がありがたいっていうか…」
「そっか。じゃあ天音だ!」
「うん!」
「そろそろ本題に入るぞ…」
「そう、だね」
本来リオンの性格はボケ寄りであり、少年の頃はボケ寄りの性格故に様々なバカをやらかしたが今その話はよそう。
兎にも角にもツッコミタイプではない為、天音の天然回答に頭を抱えながらも静かに席に付き溜息を零す。
翠緑色の瞳をスッと細め、リュウシンは重苦しい言葉を発した。彼の様子にのほほんとした天音も気を引き締め背筋を伸ばした。
「君達も知っての通りあの日、永く封印されていた霊族が蘇り戦が始まった。突然の出来事で最初こそ劣勢だったものの星の民も霊族側も一歩も譲らず混戦状態に陥った。
……王様と騎士長が亡くなったと風の噂が流れてきた頃、同時に状況は一変した。正体不明の星の民が霊族の王であるアース・アルカディアと"停戦協定"を結び、表向きには戦は終結した。
停戦以降アルカディアに帰った霊族もいると思うけどメトロジア城や王都メトロポリスは今でもアースを含めた一部の霊族の出入りが盛んで一般人の接近は禁じられているんだ」
「そんな…」
「これが僕が集めた情報。リオン、君なら正体不明の星の民について何か分かるかい?噂じゃ仙人のような老人だとか幼い少年だとか…女神様だ、なんて言う人もいたよ」
「いや思い当たらねぇ」
(まさかな……)
「でも停戦協定を結べるくらいの権力があるって事だよね」
冷めていく朝食に手を付ける余裕はなく、天音は固唾を飲んで耳を傾ける。彼女の漏れ出た問いにリュウシンは真剣な表情で頷き、続ける。
「そう。そして停戦協定がある限り霊族と戦う事は出来ない…破ればまた大勢を巻き込んだ戦争に発展しかねないからね」
「つまり、霊族の対抗戦力を揃えソイツに協定破棄させれば俺は戦えるんだな」
「えっ!?それはそうだけども……」
「態々停戦破棄する必要も無いと思うけど」
「霊族とはアース…アイツとだけは決着を付けなきゃなんねぇんだ」
「むぅ…。決着が付いたから停戦してるんじゃないの!?」
「停戦の意味知らねぇのか?表向きだって言っただろ」
メトロジア国内で言う停戦協定とは星の民と霊族の戦を一時的に停止すると言う意味だ。百年の平和はあくまで一時的に過ぎず、何が切っ掛けで火蓋が切られるか分からない。それでもリオンは霊族との決着を望んでいるようだった。並々ならない意志に付いていけない天音は、ついリオンに反抗する。
「コホン。対抗戦力はともかく国中を探し回ってただひとりを見つけ出すのは至難の業だよ。生きているかもわからないし」
「そうだよね…あーあ、その人が見つからなくてもさ、せめて同じくらいの権力者が現れてくれればいいのになぁ…勿論、停戦破棄なんてしないでね。霊族の王様?と話す事くらい…」
(ん?二人とも私を見てる…?)
天音の呟きを聴き逃す二人ではない。
「同じどころか……」
「それ以上の…」
「…、……?えっ………え!!わたし!?!ムリムリムリムリ!!!!」
数秒遅れでやっと気づいたようだ。自身の存在がどれだけ貴重か。現状、天音に権力はない。然し彼女が正式に戴冠し女王として君臨すれば、行うかどうかは兎も角として協定破棄は容易い。
必死の否定も虚しく目の前の男共の考えは残念な事に変わらない。乾いた喉を潤す為にアイスココアを一気に飲み干し再び否定しようとした瞬間、引き戸が少々乱暴に開けられ狐族の彼が戻ってきた。
「アサギ?何時もより早いね…ってまたどこか行くの?」
「…っ今日は戻らねぇ」
「待ってアサギ!……行っちゃった」
リュウシンの言葉に振り向きもせず返事も最低限に済ますと直ぐに出ていってしまった。呼び止める声は聞こえてすらない。
暫くアサギが消えた玄関を見続けている天音の様子に疑念を抱いたリオンは彼女の背に声を掛けた。
「どうした?」
「うん。あの赤い糸がなんだか苦しそうに見えてさ…まるでアサギを縛ってるみたい」
――――――
アサギSide
遡ること数時間前。
「アサギ!!やっと来た」
「遅い」
「悪い悪い、すぐ作るから待っとけ。んー?ミツ目赤くないか?」
頼れる親が居ない烏族の少年ミツとミワの為に飯を作るようになってから随分と時が過ぎた。食事の前に仔烏達の健康診断を行うのが朝の日課だ。
「ミツ…昨日からずっとこうなんだ。泣き腫らした痕だよ」
「ばっ言うな!!」
「何かあったのか?」
「別に何もねぇし…」
しゃがんで視線を合わせて問いてみれば、ぶっきらぼうに返され顔を逸らされた。
内気なミワではなく、ミツが泣くなど珍しい。言葉では否定するが何かあったに違いないが、無理に聞き出すつもりもないので頭を二、三度ポンポンと撫でて朝食の支度をしに台所へ向かった。
「……、…たい」
「ミワ?」
朝食を食べ終えた頃、ミワの表情が曇り堪えていた一言を小さく呟いた。
「あの人に…、カンナギ様に会いたい…。もう一度だけでも会えない?」
「!」
「ミワ、それは…」
「無理に決まってる。あの人はオレ達を裏切った…!もう一度会えたら今度こそぶん殴ってやる」
アサギが言い淀んでいるとミツが早口に吐き捨てる。カンナギの話題になると何時も少年の機嫌は悪くなる。嫌いだからではない。大好きだったから憧憬の念を抱いていたから。居心地が悪くなると、ミツは翼を広げ飛び去ってしまった。
「ごめんなさい…。仕方ないことなんだって分かってる…でも会いたいっ…ボクだけじゃないミツだって本当は会いたい筈なんだ!」
「ミワ、謝らなくていい。寧ろ謝るのは俺の方だ。……俺が弱い所為なんだ」
―――
仔烏達と別れた後、事態は急激に動き出した。
「今すぐ"屋敷"へ」
「っ!?」
突如背後から声が聞こえバッと振り返る。
「話しかけて来るなんざ珍しいな」
柔らかなキャスケットが似合う女は獺族。名はテマリ。アサギの"監視"を任されている。実年齢に合わない低身長を気にしており普段から底の厚い靴を履き慣らしている。彼女はゆったりと距離を詰めてきた。
「ウチも吃驚。ユナ様怒ってたよ〜?仮染の平和は終わりだってさ!どんまい!さぁウチと一緒に屋敷に行こっ!」
軽い口調なのは他人事だから。どれほどアサギが追い詰められようが彼女には関係ない、故に軽いのだ。
「…少し準備をする。家に寄らせてくれ」
「いいよ!でもさぁ分かってると思うけど、逃げないでねっ!」
仮染の平和は終わりを告げた。
――朝日立ち昇り照らすは現世。視えぬ闇は照らせず彼の心は暗く沈んだまま。
――――――
「〜♪」
「その曲って…?」
茜色に灼ける空を円窓越しに眺め詠う一人の吟遊詩人がいた。彼の演奏も昨日まで。本来なら既に街を出ているはずだったのだが予定外の人物らと出会い、今もこうしてクラールハイトの夕暮れ時を過ごしていた。
狐の彼の行方も気になるが無断で詮索する訳にもいかず戻って来たらそれとなく本人に赤い糸の件も含め聞こうと思いながら夕食の準備に取り掛かっていると、天音の耳に吟声が届いた。
「吟遊詩"眠る願い星"聴く?」
「聴きたい!昨日は最後の方しか聴けなかったし…」
其の詩は春風吹き抜ける穏やかな日和を彷彿させ、其の音は黄昏時の静寂を壊さぬように朧気に響く。
「《 此れは昔々の御伽噺
女神に宿りし五星よ
宝珠の繰り手と成りし者よ
選ばれし我等は英雄 其の名を轟かし給え
徒花薙ぎ払い 戦華咲かせゆく
繰り返し 繰り出した 解放せし力
始まりを告げる 綺羅星
失われた乙女の微笑み 探し彷徨う
滅紫より生まれたるは 万の叡智 蓄えし賢者
仄かに 戸惑い 囚われ 宙に願う
天壌無窮の悟は 彼方へ続く 道標の担い手
紅緋より生まれたるは 誉れ高き戦乙女なり
其方 命尽きる迄 踊り狂え
非業の往生遂げし 容花は 麗しく華散らす
常磐より生まれたるは 脣星落落 唄われし若人
弦弾き 音奏で 弓弾く 躊躇いは非
己の天命 託し 輪廻巡る
花色の君 玉の間より 駆け降りて
終わりを告げる 玉依姫
永別の刻 開闢の歪 求め往く
零時の鐘 刻む 星幽よ
天翔る 遣い人よ 現世に攫われ 姿視えず
結えた契 解かれぬように
言の葉 散らぬように 和泉の一滴 掬う
眠る願い星 刹那に問う
泡沫の夢は潰え 微睡む帷は幕下ろし
袂を分かつ 我らが片割れ
紅涙は星欠片と成 何処へ消えゆく
三千年の戦 未だ 廻り続け
錆びぬ楔 撃ち鳴らす 集いし武士
仮染めた黄昏時 伴に抗え 》」
「一人旅を始めて少し経った頃に託されたんだ。とある人に」
リュウシンの脳裏に過るとある記憶。息を切らし最期の力を振り絞り使命を果たす男の姿。
『託したぞ。必ず…』
「そうだったんだ…、いい詩、だね…。悲しいような切ないような」
「お前ら少しは手伝え」
リュートの余韻に浸っていると食材を切り分けながら青髪の彼が少々苛つきながら声を上げた。夕飯の支度途中だった事をすっかり忘れていた二人はリオンに叱られてしまった。
早速手伝いに行くのだが…。
「キャッ!?」
「まぁこうなるよね…」
「天音…座ってろ」
小さな悲鳴と食器の割れる音、乾いた笑い声と長い溜息。後でアサギに謝らなければと泣く泣く席に着いた天音であった。
余談だが、リオンが料理ができると知って天音とリュウシンは信じられないとばかりに驚愕した。本人曰くリオンを育ててくれた人が料理も修行の内だと言い教わったらしい。
――――――
それから二日、三日と何事もなく平和に過ぎ迎えた四日目の朝。三人は異変を感じた。
「アサギ帰ってこないね…」
彼女の言葉通りアサギが姿を消したまま一向に戻る気配がないのだ。思えば家を出るときも様子が可笑しかった。
「何かあったのかも…」
「ねぇ、探したほうがよくない?」
「向こうにも事情があんだろ」
天音とリュウシンは探した方が良いと提案しアサギの身を案じているが年長者、リオンは捜索に否定的だ。彼も心配していない訳ではないが下手に他所の事情に突っ込み事態が悪化したら元も子もないと言う。
「でもっ怪我してるかもしれないし…助けを求めてるかもしれないじゃん!」
「駄目だ」
尚、食い下がる天音とリュウシンは少々狡い作戦を考える。
「ふーん、それでも元騎士長なんだ?」
「うっ」
「そっ…そーよ!騎士長だったんでしょ!!」
「ーっ!!」
「………、今回だけだぞ」
作戦勝ち。渋々の回答を受け取った二人は顔を見合わせハイタッチを交わした。
――――――
「で、ここかよ」
「なんだ?また来たのか。悪いが今ちょっと立て込んでてな…」
出掛ける前、当てはあると話していたリュウシンが真っ直ぐ向かった先は四日前お世話になった仕立て屋だった。店の主人カムイも相変わらず元気に商売していた……とは言い難かった。四日前は確かに無かった痛々しい包帯が腕や首に巻かれ微かに血が滲んでいる。
「数日前からアサギが帰ってこなくてな。何を知ってる?」
カムイとアサギは友人同士でリュウシンにアサギの家を紹介したのもカムイであった。そんな彼が友人が失踪した数日後に包帯を巻いている。関係ない訳がないと確信したリオンは単刀直入に質問した。
「アサギは……」
「へぇー、いいこと聞いちゃった」
口を開いたのは言葉に詰まり視線を右往左往させるカムイではなく、その近くでクルミから今様色の振袖を受け取る背の高い女性だった。
「あのアサギが行方不明なんて、面白い事も起こるもんだねぇ」
「ウヅキ、余計な事は喋るな」
「フッ…いいじゃないか。教えてやってもさ。アタシはウヅキ、ただの噂好きの紅化粧師」
喉をくくっと鳴らし愉快そうに笑うウェーブロングの黒髪を弄る彼女は夜兎族のウヅキ。大きく縦に伸びる耳と小さく控えめな尻尾が特徴的。
ウヅキは焦るカムイを華麗にスルーし、置いてけぼりな三人に聞いてもいない自己紹介を始めた。
因みに紅化粧師とは婚礼の証として紅色の化粧を夫婦に施すクラールハイトの独自の文化の事で伝統ある職業だ。
「アサギはねぇ、…クラールハイトの主様に…いや、正確に言えば主様の番になる筈だった奴さ」
「主様の番?」
「そんな事…」
「知らなかったろう。言うわけないからね」
「おい、それ以上は…」
「構いやしないさ。アタシはずっとアサギに紅を点したくてしょうがないんだよ。詳しく知りたかったらお上がり」
「何勝手に決めてんだよ…」
口元に孤を描き時折、悔しそうな表情を浮かべながら話し終えると仕立て屋の奥へ向かった。終始彼女に振り回されていたカムイは諦めの溜息を零しウヅキが消えた先を見つめていた。
「あ〜…今聴いたことは忘れてくれると有り難いんだが……」
「無理だな」
「だよなぁ…アサギの事は俺が勝手に話すわけにはいかねぇし…。…取り敢えず上がれよ。話せる事は少ないが…」
カムイは歯切れ悪く伝えると痛む腕を押さえウヅキを追って店の奥へ向かった。リオン等も後に続く。
――――――
in仕立て屋の奥
「ゲッ」
「?お前…確かミツだったか?」
表からは見えない最奥の部屋には色とりどりの生地や裁縫道具が無造作に置かれておりカーペット本来の色が隠れてしまっていた。余り広い部屋ではないので、五人が一気に入るとより狭く感じる。加えて先客が二人ほど居た為、一層狭くなってしまった。
リオンは先客の内の一人に見覚えがあった。烏族のミツだ。隣にはミワも居る。あからさまに歓迎とは無縁の表情でミツはリオンを睨んでいた。
「知り合いだったのか?」
「っつても四日前に会っただけだが」
座りやすいように生地を隅に退けて軽く自己紹介を交え各々、自由に床に腰を下ろす。
「なんでお前がいる!!」
「それはこっちの台詞だ」
「あ…もしかしてミツが泣いてたの、このリオンって人が原因?」
「君、泣かせたの?」
「リオン子ども泣かせちゃ駄目だよ?」
「誤解だ…。俺は何も知らねぇ」
「違う!!」
((そーなんだ…))
ミツは必死に否定するがミワを含めた大半が心の中で確信していた。
「で、なんでここにいるんだ」
「その辺も含めて話すから進めていいか?」
ひと呼吸置きカムイは話し始めた。先程の緩い和みも消え皆が気を引き締めた。
「どこから話せばいいか。……さっきも言った通りアイツの事情は勝手に話していい内容じゃない…本人の口から聞くのがベストなんだ」
「はぁ……!一々前置きが長いのさアンタは。こんなウジウジした奴は放っておいてさアタシが話してやるよ」
「あれは百年前の事だ…まだ戦が起こる前、クラールハイトの主になるのは九尾の"マホロ様"だと誰もが信じて疑わなかった。それはそれは美しい御狐様さ。そして主様の番になるのはアサギだった…そう言う家柄だったのさ。
…このまま平和に過ごせる筈なんて無かった。戦が始まって散々思い知らされたよ…戦士だった烏と狼の一族はほぼ全滅。そして…大戦の最中、悲劇が起きた。
マホロ様が討たれたと街中に知れ渡ったのさ代わりに主の座に就いたのは猫又族の女ユナだった。…って言うのが"表"の歴史」
「表?」
「真実は少しだけ違う。あの日マホロ様を手にかけたのはユナだ。あの女の能力、朱殷を使ってな。どんな術なのかまではアタシも分からない。ただ一つ言える事はユナの術でアサギとマホロ様は百年間ずっと苦しんでいるって事だ。
今この真実を知ってるのはその場に居た。猫又、梟、獺の一派とアサギ、大天狗様、カムイ、そしてアタシだけさ」
「なるほどな…それと今回の失踪何か関係あるのか?」
「理由は分からんが、この二人ミツとミワな
大天狗様の代わりにアサギが面倒を見てたんだが昨日俺を訪ねてきてな………」
リオンの疑問に答えたのはカムイだった。
――――――
―回想―
「お客さんじゃないお客さん来てるよ?」
「え?」
早朝、忙しく開店準備を進めていた最中にナッツが裾を引っ張り裏口を指差した。視線を向ければ小さな影が二つ伸びる。
(あれは…ミツとミワか?)
この時間帯はアサギと一緒にいるはずだがアサギは見当たらず、よくよく見ればミワは泣きそうになっているではないか。開店準備そっちのけで急いで駆け付け何かあったのかと事情を訊けばミツが小さく呟いた。
「アサギが居ないんだ……どこにも」
「っ!家にもか?」
「遠くからしか見てない…けど、多分…居ない」
一瞬悪い予感が過ったが当たってほしくないと否定するように頭を振り思考を止める。
「ボクが…カンナギ様に会いたいって言ったから…!!」
「オレが必要以上に強く当たったから…!」
「そんなことでアサギが居なくなるわけ無いだろ?」
自責の念を抱く二人を励まし落ち着かせる為に最奥の部屋に招き入れた。
初めは暗く沈んだ気持ちを抱えていた二人も軽食を啄み暫くすると緊張が解けウトウトと眠気に襲われ肩を寄せ合い寝てしまった。どんなに強がっても意地を張ってもまだまだ子どもである事に変わりはない。掛け布団を掛けてやれる存在が必要だ。
―――
曇天の昼下がり、とある決意を胸に百年振りに忍び装束に着替え黄色のバンダナを結ぶ。戦士だった頃の装束は今でもよく馴染む。
「悪い、暫く出掛ける。店番頼めるか?」
「おうっ!任せとけ!」
元気よく返事をしたのは狛犬族のコリー。実家は染物屋だが仕立て屋へ時々手伝いに来てくれる。最近は何処で覚えたのか、散髪までお手の物。正直とても助かる。優秀とは言えナッツやクルミに店番を任せる訳には行かない。ニカッと笑うコリーに釣られ此方まで笑みが零れる。無意識に気を張っていたようだ。
人気のないルートを辿り屋敷へと向かう。
焦らずに最短の道を急ぐ。戦士を名乗る事を辞めた日から何時か忍び装束を身に着ける日をと待ち望んでいたがこんなタイミングで着るとは思いもしなかった。
カムイは流れ出る冷や汗を拭い、屋敷の裏口から物音立てず侵入した。
(アサギが消えた…。思い当たるとすればユナしかいないが……)
高飛車猫又族のユナに訊いてもアサギの居場所を素直に喋るとは思えない。屋敷の潜入は手荒い真似だが一番手っ取り早い方法でもある。
杞憂であってほしいと思いながらドロンと狼の姿に化けアサギの形跡を探す。獣姿の方が嗅覚が冴え渡る為とはいえ、普段から人の姿で生活してる身としては少々動きづらい。
(っ!この匂い…やはりここにいるか…)
匂いを辿るのに夢中になっていた所為で俺は曲がり角から現れた刺客に気付けなかった。
「ーっ!?」
直前で回避するも間に合わず前脚を傷つけられ、衝撃で元の人の姿に戻ってしまった。流血の量が傷の深さを物語り、焦りを悟られぬように息を整える。
「何者だっ!!」
「小汚い犬が迷い込んだと思ったらただの狐の狗でしたか」
「!!アウール…」
狭い通路に道を塞ぐように梟族の彼は立ちはだかる。一人其処に居るだけで圧が違う。
当たり前だ。戦士の消えた今クラールハイト内で一番強いのはアウールなのだから一分の隙も見せず堂々と翼を広げる姿からは強者のオーラを感じざるを得えない。
「何故ここに、と言った顔ですねぇ。フッ自惚れるな狗風情が。この私が予想してないとでも思ったか?」
「ッ!……ヴッ!?!」
ハッとしたのも束の間、アウールは軽やかに地を蹴ると瞬時に距離を詰め至近距離で攻撃を繰り出した。今度こそ直撃しカムイは後方へ吹き飛ばされた。
(クッ一旦退くか…?)
力の差は歴然だった。無理に応戦し命を落としたら元も子もない。
問題はどうすれば彼から逃げ出せるか、だ。殺す気もなければ逃がす気もないだろう。
(舐めやがって…!)
痛む身体を無理やり動かし一直線に駆け出す。何度目かの攻防の末、隙を見て賭けに出る。
「!」
防御の体制に入るのを確認してから再び狼の姿へと化けアウールの背を飛び越え着地する一度だけ振り返りその場を後にした。
(追ってこない、…追う価値もないのか…)
屋敷を去る直前に嗅いだとある二人の匂いに一筋の罪悪感を覚え目を瞑るしかなかった。
―回想終了―
――――――
「はぁ!?ただボコボコにやられて帰ってきただけじゃないか!情っけないねぇ…」
「情けなくて悪かったな!!」
一昨日の一部始終を話し終えるとカムイは食ってかかるウヅキに対して返事も投げやりに済ませると、辺りを一頻り見渡し誓うように包帯塗れの拳を握り締めた。
「失踪した理由は分かんねぇ…。だが確実に
アサギは屋敷にいた。それにアウールのあの態度、後ろめたい何かがあるって考える方が自然だろ」
「……マホロ様も屋敷に居たんだな」
「あぁ微かに感じた。屋敷の最下層だ。隠しても匂いは誤魔化せない」
「街の皆はマホロ様が亡くなってしまったと思っている。何処ぞに幽閉されているかと思えば、まさか屋敷の地下とは……。よし決めた。お前たち一つ協力してくれないか?」
意志の籠もった瞳でリオンとリュウシン、そして天音を見据えウヅキはとある提案を持ちかけた。
「協力?」
「アサギとマホロ様を救い出すチャンスさ。今やらなくでどうする!?…ずっと待ってたあの日から、ずぅっと待ってたさ。アタシは戦えない…、戦ってはいけない。だから託すしかない…お願いだ。もう嫌なんだ。…苦しむのを見えない振りをするのは……!」
誇りを持った職業だった。紅化粧師は貴重な存在故に主様と同等に守らなければならない。戦なんて以ての外、怪我をさせる訳にはいかなかった。明るく振舞っていたウヅキが今日出会ったばかりの旅人に頭を下げていた。悔しかったのだろう何も出来ない自分が、出来る奴らが何もしなかったのが。
彼女の初めて聴く本音にカムイはようやっと最後の覚悟を決めた。
「今更だが…俺からも頼む。クラールハイトの事情に赤の他人のお前たちを巻き込んだ責任は勿論取るつもりだ」
「責任?んなもん取る必要ねぇよ」
「そうそう!アサギ達を助けたいって気持ちはおんなじだよ」
「クラールハイトの事情とか関係なしにアサギには泊めてもらった恩もあるしね!」
「…っ!感謝する」
「礼なら全部終わったら聞いてやる」
「フッ…そうだな」
ピリついた緊張感が漂っていた空間も次第に和やかになり具体的な作でも練ろうかと脳をフル回転させ思考する中、黙っていられない少年が二人同時に声を上げた。
「オレ/ボクも行く!!」
「!…気持ちはわかるがお前たちはまだ子供だ。それにな守ってやれるとは限らない、ここは堪えてくれないか?」
「言っておくが天音お前も駄目だからな」
「えっ!?」
「……」
「……ハイ…」
「安心しなよ。この子らはアタシが面倒見て
おいてやるさ」
優しく咎めるカムイと無言の圧をかけるリオンに挟まれ不貞腐れ顔が三人。ウヅキはどこか含みのある笑みを浮かべ、目を細めた。
―――
話し合いの結果、リオンとリュウシンでアウールとユナを抑えその隙にカムイがアサギとマホロを救出しに行く事が決まった。
カムイは若干の不満はあったものの怪我人である事と二人の居場所を辿れるのは彼しか居ない事を引き合いに出され仕方無く妥協した。
明日早朝に奇襲を仕掛けられるようにリオンと天音、リュウシンの三人は朧気に感じる月明かりを頼りに夜道を進みアサギの家に帰宅した。
「?何の音…?」
「風だろ」
ふと裏口の方から音が聞こえた。小さな音はすぐに消えてしまい、リオンもリュウシンも気にしていない様子だった。
「私、ちょっと見てくるね!」
どうしても気になるらしい天音はすぐ戻ると伝え軽い気持ちで裏口に回った。
そこで目にした光景は。
「!!!狐…?もしかして、アサギ!?」
滴り落ちる鮮血に荒い息遣い。獣用扉から入ってきたのは初めて見る狐姿のアサギだった。慌てて駆け寄ると狐姿の彼はふらつく足取りで二、三歩近づき人の姿に戻ると同時に気絶してしまった。
「…っ一体何があったの?」
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