クラールハイト編

第2話 翠緑の風使いリュウシン

 かくも語りき風使い、色無き風に色を視る

――――――

NO Side


「駄目ですね。引き千切られました」


 不可思議な"扉"の前に二人の男が居た。血の様に赤い長髪を持つ男と左右非対称の銀髪を持つ男が。

 銀髪の男は言葉とは裏腹に消沈とした素振りを見せず淡々とした口調で結果だけを伝えた。


「予言の通りになったということか」

「そのようです。"件"の回収もできません」

「下の者達に伝えておけ。王族の血筋の者を必ず生け捕りにしろ」



「承知致しました。我らが王 アース・アルカディア様」


 忠誠を誓う様に跪き頭を垂れる。アース・アルカディアと呼ばれた赤髪の男は彼の様子に見向きもせず、腰まで届く赤髪を揺らし長い回廊の先へと消えていった。


 彼はアースが去るまでその場を動かず、不動のままに忠誠を示す。

――――――


「何とか成功したな」

「ここが扉の先の世界」


 化物は扉を抜けた後、突然煙に覆われ姿を消してしまった。

 夢人の彼リオンは天音を地面に降ろし辺りを見渡すが何処かの森らしき風景に違和感を覚えた。


(俺の記憶が正しければ扉は城の地下にあった。何故、こんな場所に出た?あの化物が現れた影響か?それとも…)


 一方、天音は目先に広がる深緑の風景に呆然と半口を開けていた。初めて降り立つ世界は何故だか胸を締め付けられる焦燥を携えていた。

 やけに煩い心臓の鼓動を落ち着かせるように一息吐き、空を見上げる。向こうの世界は昼時だったが此方は夜中らしい。黄色い満月が時刻を教えてくれた。何処の世界でもお月様は黄色くて丸い。心が落ち着いた。


 夜明け前の森はまだ薄暗く木立の合間を夜風が擦り抜けていく。何時までも立ち止まる訳にはいかずリオンは急襲に備え警戒しつつ朧月を頼りに暗がりの中歩み出した。


(天音は…、一人にできないな)

「天音行くぞ」

「え!行くってドコに!?ちょっと!まっ、待ってよ!」


 敵国の長は自国の王族の血筋を求めていた。そして天音は扉を開いてみせた。その事実に王族の血脈の存在は疑いようもない。狙われる可能性は十分にある。故に、リオンは天音に声を掛け鬱蒼とした森を進んだ。

 然し、言葉足らずな彼は不安げに揺れる瞳を全く持って考慮していなかった。夜の森に置いてけぼりにされるより幾分かマシだが、もう少し手心と言うものを知ってほしい。仮にも一国の姫ぞ!などと思う天音であった。

 ふと、聞きそびれた疑問を思い出しリオンを見上げる形で尋ねた。


「あの…リオン?さっきは何を言おうとしてたの?」

「さっき?」

「ほら扉の前で目がどうのって…」

「あー…アレか。お前の眼の色が黒から赤に変わってたってだけだ」

「変わってたってだけって…え!?割と問題じゃない!?!なんで!!?」


 微塵も悪びれる様子なく伝えられ、柄にもなくツッコミを入れる。いやリオンは何一つ悪くないので悪びれる必要は皆無だが常識人としてはツッコミを入れずにはいられない。鏡が無いのが悔やまれる。


 天音の当たり前の叫びに興味なさげだったリオンが彼女を一瞥した。暗中でも分かりやすくころころ表情を変え百面相する少女は既に不安の欠片も感じていないように思えた。メンタルが強いのか弱いのか。


「アストエネルギーを使ったからかもな」

「アスト、エネルギー?…そうだ、そのアストエネルギーについて聞いてもいい?」

「そうだな。序でにメトロジア王国についても軽く説明しておくか…。一度しか言わねぇからちゃんと聞いとけよ」


 時間が経ち夜目にも慣れてきた頃、話題は自然と移り変わりアストエネルギーに対しての疑問が投げ掛けられた。

 転ばぬように赤黒い染みが残る裾を控えめに握り後ろをついて歩く。


 警戒心の欠片もない純粋な赤の瞳と長い前髪の隙間から辺りを警戒する凛々しい青の瞳が意図しないタイミングで真っ直ぐ交じる。

 赤目越しにどことなくカグヤの面影を感じ守れなかった罪悪感からか、慌てて青目を逸らす。逸した先にカグヤは居ないと言うのに。

 心無しか歩くスピードが上がり歩幅を調整し直す。


「アストエネルギーつうのはさっきも話した通り精神エネルギーのようなもんで、メトロジア建国前の神話時代に霊獣から授かった力がアストだ。

アストは人間の寿命を容易く伸ばし、加えて不思議な業を使えるようにした。俺らの先祖はアストエネルギーを介するこれを法術と呼んだ。分か…………………ってないな?」


「うっ……アストエネルギーに、法術に、霊獣?霊獣は神様みたいな扱いなのかな…」


 パンクしそうな頭を抱えつつも何とかこの世界の成り立ちを理解する。リオンは相変わらず私に呆れ返り溜息をつく。


 暫くの後、木々の騒めき混じりに烏の鳴き声が遠くから聞こえ先行していたリオンは、特定の場所で足を止めた。


「此処は"霊獣の墓場"だ」

「えっ…、霊獣の墓場?」


 それっきりリオンは再び口を閉ざす。顎に手を当てて考え事に耽る彼は目前の枯れ泉を凝視していた。

 一羽烏は既に闇夜に紛れた後らしい。鳴き声だけでは見つけられなかった。


 枯れ泉付近の緑は煤けた黒を纏わせておりかつて流れた惨劇が目に見えて浮かぶので無意識に裾を掴む左手に力が籠もる。

 枯れ泉と向かい合ったままリオンは説明を続けた。辺りの静けさに浮かぶ声は先程よりも感情の色が見え隠れしていた。


「メトロジア王国に住まう者は"星の民"と呼ばれた。時代が流れるに連れ法術に優れた者達が現れ始めた。それが"霊族"だ。霊族は王国転覆を図りクーデターを起こした、が失敗に終わり追放されたんだ。追放された霊族は"アルカディア"を建国した。

互いの国が睨み合いを続ける中、当時のメトロジア王がアルカディア王に和睦を提案した。一度は受け入れたアルカディア王だが話し合いの日、奴等は再び反乱を起こした…。争いの最中、霊族は封印された。強力な法術によってな。

そして"あの日"封印は解かれた。人為的かはたまた法術が弱まっていただけか。どちらにせよ俺は予想できなかった…っ!騎士長が聞いて呆れる……ッ!!奴等の目的は十中八九星の民への復讐だ。おそらく王族を狙ったのもその所為。カグヤは奴等に対抗する力を手に入れる為に俺と扉をくぐったが……」


 悔しそうに顔を歪める横顔は私の知らない世界を睨む。血が滲み出そうなほど唇を噛みしめ隠し切れない自嘲の念が彼に執拗に纏わりつく。続く言葉を聴きたいとは思わなかった。


「だが、シオンやカグヤは解明されてない歴史があるとかなんとかって言って…」

「…音が」

「?」

「音が聴こえる…此方から!!」


 リオンの横顔を見つめるのが辛くなり天音はしゅんと顔を下げた直後、進んで来た方とは逆の道から音が聴こえた。それは耳ではなく心に届いた心地良い音色。誰かを探すような玲瓏たる美音に惹かれ天音は駆け出した。

 服が汚れることも枝の先の引っ掻き傷も気にする余裕はなかった。


 陰森凄幽を抜けた先に広がる光景は――。

―――


「天音!?こら、待て!!」


 ハッとして振り返る。情けないことに天音は既に駆け出した後で、リオンは彼女の残した風に当てられていた。呆然としていた訳では無いとは言え百年間霊界山に籠もっていた所為か、己が自覚している以上に身体が鈍っていた。


 一人にはできないと思った矢先の出来事。心の中の舌打ちを合図に後を追いかけようと踵を返えした瞬間、黒羽が視界全体を覆った闇の象徴である"ソレ"はバサリと舞い降りる。


「妙な気配は感じていたが…、お前だな」


 枝先から金の双眸を覗かせる烏は先般より二人を"視ていた"。一鳴きすれば黒烏は人型へと変貌し益々眼光鋭くリオンを睨み付ける。


「…よく分かったな、オレの名はミツ。烏族の門番だ。貴様は何者だ…?会話までは聞こえなかったが先の戦以降、霊族側についた星の民もいると訊く。場合によっては小娘共々今ここで果ててもらう」


 小娘とは十中八九、天音のことだろう。然しながらミツと名乗る目前の烏族は天音と然程体格差がない。寧ろ天音より幼くすら感じる。



「俺はリオン………この国を変える者だ」

「!…この国を変えるだと?」


 気紛れな月明かりが二人を照らと烏の少年はゆっくりと口を開いた。


「ふざけた事をふざけた眼で言う奴だな……ッこの国を変えるなどできるわけ無い!!神話の英雄でもない貴様に何ができる!?」


 その叫びは怒りか悲しみか。眉間にシワを寄せ只管リオンを否、世界を睨む。


「確かに俺は神話の英雄じゃねぇ。だが…必ず終わらせてやる。この三千年続く、星の民と霊族との争いにな」


 少年の瞳が刹那に揺らぎ、木の葉舞う。


「…勝手にしろッ」


 吐き捨てるように呟くとミツは何処かへと飛び去ってしまった。少年が最後に見せた表情が気掛かりだったが今はそんな事よりも天音を追うのが先決。


(烏族が門番をだった事を踏まえると恐らく森を抜けた先にある街は……)


――――――

 空を駆ける烏は太枝にその身を預けた。


 先の戦で大好きな街が変わってしまった。記憶なんて無いに等しい、それ程あの日の自分は幼かった…。


 慕った人がいた。誰よりも美しい翼を持ち誰よりも優しかった、徐々に崩れていく記憶の中心に居座るあの人


 オレを裏切ったあの人。



『確かに俺は古代の英雄じゃねぇ。だが…必ず終わらせてやる。この三千年続く、星の民と霊族との争いにな』

(気圧された…?あんなふざけた奴に?)


 リオンと名乗った男は薄汚れた格好で凛とした強き意志の双眸で宣言した。

 責められた訳でも睨まれた訳でも無い。只リオンの言葉に濁り無き瞳に、射抜かれ泣きそうになった。だから逃げるように立ち去った。


 叶うはずのない理想を掲げる奴は馬鹿だ。だが不思議と不快では無い。清々しい気分にすらなっていた。


 きっと俺があの人に言ってほしかった言葉だったから。


「この国を変える者、か…」


 月を仰ぐ横顔は諦めた平和を再び望む。

――――――


「天音…!!!」

「リオン!!此処って…」


 天音の白い髪は遠くからでも目立つ。後ろ姿に声を掛けると少し驚いたように振り返った。彼女が立ち止まっていたお陰で容易に追いつく事が出来た。

 開けた場所に出て嗚呼、成程と理解する。


「此処はメトロジア王国の最南の地クラールハイトだ」

「クラール、ハイト?」


 聞き慣れない言葉を反芻し、二人は街中へと進み始めた。正確には音のする方へと天音がリオンを引っ張って突き進んでいる。


 見知らぬ土地、見知らぬ人々。本来なら怯えても可笑しくない場面だが隣の少女は興味津々に視線を踊らせていた。洋風とも和風とも言える街中は時間も相俟って人通りが疎らで街灯に照らされた道は二人の影をくっきりと映していた。


 クラールハイトの住人は王国内でも特に異彩を放っていた。狐、狼、烏に始まり獣属と総称されるように彼、彼女らはその身を獣に化かす事ができた。先程の烏の少年が最たる例である。



「見つけた…」


 何度目かの曲がり角を曲がれば閑散とした街中に一つ二つとぼんやりとした灯りが見える。夜間であるにも関わらずその場所だけは賑わっていた。街の雰囲気から察するに此処は広場のようだ。

 多くの獣人が足を止め広場の中心の噴水に注目していた。身の丈の何倍もある噴水を背に一人の吟遊詩人が弦を弾く。周りの人間と身体的特徴が一致しないことから彼はこの街の住人ではなく一介の旅人と予想する。


「この音だよ!私が聴いたのは!!」


 興奮気味に伝える姿に嘘偽りはなかったが広場に近付いてやっと控えめな音がリオンにも聴こえ出したのになぜ天音は森の中から聴こえたのだろう。当の本人に疑問を投げ掛けても満足な回答が得られないのはこれまでの様子を見れば火を見るより明らか。


「きれい…!!」

「さぁ、もう満足しただろ。行くぞ。今は情報を得るのが先だ」

「え?…待ってよ!!」


 百年前メトロジア王国は復活した霊族との戦時下にあったが、クラールハイトを見渡す限りとても戦争をしているとは言い難かった。吟遊詩人が音楽を奏で旅をする。

 王国の姫と騎士長が消えた日から今日まで一体何があったのか知る必要が、リオンにはあった。


 演奏終了をきっかけに名残惜しそうな天音を今度はリオンが引っ張る形で広場に背を向けた。


(何気にコイツの笑った顔見たの初めてだな…)


「そういえばリオンって何歳なの?」

?「………たち」

「270だな。それがどうした?」

?「…、………君たち」

「にひゃくななっ!?あー…ナンデモナイデス……寿命伸びたって言ってたね……」

?「ねぇ、君たち!」

「あれ?さっきの…」

「広場にいた奴か?何の様だ」

?「アハハッひどいな〜さっきから話し掛けてたのにさ…、やっと気づいてくれた」


 誰かからの呼び掛けに振り返って見れば先程の吟遊詩人が人懐こい笑みを口元に浮かべながらリオンと天音を見つめていた。


 雫を割ったような丸みを帯びた木製の本体に表面中央部には幾何学模様の透かし細工が施された有棹撥弦楽器リュートを背負い、表情を変えず人差し指を立てる。


「そんなに警戒しないでよ。でもまぁ無理もないか僕の名はリュウシン、さっきみたいに楽器を弾きながら人探しの旅をしてる。君は死んだって噂の元騎士長のリオンだろ」

「「!」」


 ずいっと顔を近付けた勢いでリュウシンと名乗った吟遊詩人のフード付き外套が靡き緑翠色の瞳と目が合う。同色のふわふわとした天然パーマの髪は彼の幼さを際立たせていた。


「……なんで分かった?」

「簡単だよ。君の髪色…それに腰元の"エトワール"」


 百年前に姿を消した騎士長が亡くなったと噂されるのは当然だが緑翠色の瞳はリオンを亡霊ではなく正真正銘本物の騎士長だと確信しているように思えた。星の民も霊族も種族が違えば見た目も十人十色、髪色だけで判断できるほど個性的なカラーではない。それに加え騎士長時代は短く切り揃えていた。


 今の姿とかつての姿を比べ、同一人物だと説明されても確信し難く本人ですら唸る程。エトワールは…まぁ仕方ない。リオンが腰元ヘ視線を移すと同時に呑気な声が聞こえた。


「エトワール?」

「ん、君は……あれ?そのペンダント何処かで見たような…?」

「っ!えっとと……これはその、…」


 "エトワール"を知らなくて当然。説明していないのだから。問題はその後、ペンダントに視線を変えて考え込むリュウシンにあからさまに動揺した。素直に生きてきたのだろう、嘘や誤魔化しが苦手な天音の様子はリュウシンから見れば怪しい事この上ない。勘繰る視線に耐えかねた彼女がリオンに助けを求めたのは意外と早かった。


「目的は?」


 もとより腹の探り合いは性に合わない。駆け引きは不要とばかりにリオンはド直球な質問をした。余りの真っ直ぐさに天音もリュウシンも目を見張る。


「…プッ…アハハッ!!流石元騎士長様。うんやっぱり僕の目は間違ってなかった…。僕は生き別れた妹を探す旅をしている。君たちが知りたい情報も持ってるかもしれない、だから情報提供する代わりに君たちに同行させてほしい」


 堪え切れないと言った様子で肩を震わせ吹き出したリュウシンは、次の瞬間には真剣な眼差しでリオンと天音に旅の同行を申し出た。続けざまに陽気な調子で言葉を紡ぐ。


「そうと決まればまずは着替えだね!ほらほら早く近くの仕立て屋に行くよっ!今は暗いから良いけどさ…。流石に昼間はその恰好だと目立つよ」


 そうと決まった訳ではないが口を挟む間もなく半ば強引に押し切られる形で近くにある仕立て屋とやらに向かった。

 悔しい事にリュウシンに指摘されるまで自分達が如何に可笑しな恰好をしていたか気付けなかった。リオンは言わずもがな、天音は森を抜ける際に枝葉で袖が切れ擦り傷も数カ所出来ていた。真っ昼間の広場でボロボロの恰好をした二人が姿を現せば悪目立ちするのは想像に容易い。

――――――

in仕立て屋


 旅人の服を二着見繕って欲しいとの依頼を受けて閉店時間はとっくに過ぎているにも関わらず叩き起こされた仕立て屋の主人カムイは眠そうに目を擦りながら店の灯籠に火を灯した。柔らかなハニーブラウンの髪に狼を彷彿させるような特徴的な獣耳と尻尾。人の良さそうな青年は欠伸を噛み殺し、仕事モードへと即時切り替えた。




「二着でいいんだな期限の指定はあるか?」

「できれば今すぐほしい」

「すぐにか。それなら奥にサンプル用が何着かある、大きめに作ってあるから丈詰めすれば問題ないだろう…不満か?」

「いや十分だ。助かる」

「うん!本当にありがとうございます。それと…、夜遅くにお邪魔しちゃってごめんなさい」


「あぁ、気にすることはない。後でたっぷり請求してやるからなリュウシン?」

「え〜〜…、ほらそこは知り合いの誼でさ……何とかならない?」


 寝起きでも商人は商人。ニコニコ顔のカムイとリュウシンはお互いに一歩も引かず背後の黒いオーラは徐々に存在感を増していく。

 言い合い寸前の二人を他所目に天音とリオンは採寸を測る為それぞれ別室へと案内された。


 ナッツとクルミと名乗った二人の狼少女達によって天音の採寸が測られた。幼い見た目に反してしっかり者の狼少女達は丈詰めの仕事を秒速で終わらせると自慢げに完成した服を差し出した。


 丸襟ブラウスにジャンスカ風ワンピース。胸元の唐紅色のリボンが愛らしい。ナッツに「瞳の色とお揃いだねっ!」と言われ慌てて更衣室の鏡と向き合いやっと自分の瞳を確認出来た。確かに赤色に変化している。

 暫く鏡と向き合っていると今度はクルミから「おまけっ!」と言われウエストポーチを受け取った。ありがとうと目線を合わせながら頭を撫でると嬉しそうに尻尾を振る。


 着替えは完了し鏡も見れて満足したので皆が集まってる場所に早足で向かった。既にリオンは着替え後らしく待ち草臥れた様子で支柱に寄り掛かっていた。


 丈の短いサーコートに裾が膝下まであるボトムス、襟付き外套に加え金属製のフィブラと剣帯。青系で統一された服装はリオンのスラリとした体型によく似合う。

 おまけに無造作な髪は丁寧に切り揃えられていた。前髪は分け目に沿うように掻き上げられ後髪はミディアムスタイルに落ち着き、項付近のサイドアップが彼の爽やかな雰囲気に拍車をかけるので不覚にも唐紅色リボンの真下が大きく跳ねてしまった。


「っ!リオン髪切ったんだね」

「俺は別にいいつったんだがな……おまけなんだと…。…天音、ペンダントはどうした?」

「…おまけで貰ったポーチに入れたの…ほっ…ほらさっきみたいにペンダントつけてたらさ怪しまれちゃうでしょ?」

「それもそうだな」


 似合わないから外したなんて言ったらどんな顔されるのか。リオンを知らない天音は

煌々と光るペンダントをポーチに隠す。自分にはペンダントの宝石は似合いそうにもない。


「…まさか散髪代とポーチ代も請求する気?」

「お買い上げありがとうございました〜」


 満面の笑みを浮かべ会計を促すカムイとは対照的にリュウシンは引き攣った笑みのまま固まってしまった。


「よしリュウシン、そろそろ情ほ…」

「今日はもう遅いし情報交換は明日にしよっか!さぁ宿屋ヘごーごー!!天音だっけ?君の事も知りたいしね!」

「!!」


 リオンの声にハッとした様子で再び半強制的に移動させられた。底抜けに明るいリュウシンにされるがままに宿屋へ足を向ける。―――――――

in宿屋…?


「訳有なんだ。泊めてほしい」

「……ここは宿屋じゃないんだが?」


 距離にして僅か数分。軽い着流しに不機嫌そうに揺れるアッシュブロンドの毛先。深緑の瞳がスッと細くなりリュウシンを咎める。

 男の名はアサギ。道中の説明では彼は数少ない狐族の青年でリュウシンに空き部屋を貸しているらしい。


「赤い糸?」

「!……視える、のか…これが」

「またか。今度はなんだ」

「え?またって?」


 追い返されそうな折、天音がポツリと呟いた。狐耳をピンと立てアサギは信じられないとばかりに大きく目を見開き自身の首筋ヘ手を伸ばした。正確には首付近に在る視えない"ナニカ"に向かって。当然リオンとリュウシンには視えないので確かめようも無い。


「確かに訳有のようだな、分かった。使ってない部屋ならまだある…上がれ。但し、七日間だけだ」


 態度を一変したアサギはくるりと背を向け、家の中へ入って行った。残された三人は

戸惑いながらも彼の後に続いた。


「えっと…、お邪魔します?」

「天音、さっきの赤い糸って何の事?」

「その辺も含めて情報整理が必要だが…」

「二階に一部屋空いてる。そっちの…」

「あっ…私は天音でこっちはリオン」

「天音か、悪いな。それとリオンだったか?お前はリュウシンと同室でも文句ないな」

「ああ、問題ない」


 リュウシンの問いもリオンの言葉の続きも、アサギとの会話で遮られ結局その日は解散となった。


(……この赤い糸は無関係な人間には視えるワケねぇ。もし"アイツ"にでもバレたら…)


 首元の円環状の赤い糸を弄りながらアサギは最悪の未来を想定し、更けていく夜に冷や汗を一筋流した。突然の来訪者達の姿を思い浮かべ何時もよりも幾分か遅く微睡む。

――――――

―――

NO Side


 クラールハイト内でも一際高く、堂々と聳え立つ屋敷は百年前とある女の命により建った。


 豪華絢爛な部屋の一室、面を付けた男が一人カウチに組み敷かれていた。女は男が抵抗しないのをいい事に毎晩、宵を廻す。彼女の前では質のいい骨董品も部屋を彩る宝石も見劣りしてしまう。


「お戯れ中、失礼します。実は…」

「なんじゃ」


 数度のノック音と共に登場した男は彼女の優秀な右腕、梟族のアウール。"お戯れ"の邪魔をされ不機嫌な女はしなやかな二尾を左右に揺らす。


「アサギを監視している者から報告を受けまして…彼が正体不明の男女と接触したらしいとの事です」

「チッまたか!…この前はどこぞの吟遊詩人だった。もう我慢の限界じゃ…連れて来い」


 アサギの話題が出た途端に女の表情は険しくなり一層不機嫌になった。面を付けた男に聴こえぬようにアウールに命を下すと、女は部屋を後にした。


「興が醒めた。カンナギ今宵はお預けじゃ」


 静まり返った空間にアウールの溜息が零れる。


「お粗末ですねぇ、カンナギ?」

「……」

「黙秘ですか。熟、癪に障る男だ」


 そんなんだから仔烏達に嫌われるんですよ。と低い声で呟きアウールは踵を返した。



 疎外空間であろうと失われない艶黒羽から羽根が一枚抜け落ちる。面を付けた男の名はカンナギ。烏族の頂点の証、大天狗 烏天狗の地位を得た者。


「…守りたいものは遠ければ遠いほどいい」

――――――

―――

 繋がれた枷は手首に留まらず心までも縛り付ける。


 涙はとうに枯れた。

 今はまだ、深く闇の中。


 虚ろに滲むかつての光景に目を瞑る。絶対防音の部屋で程弱い息遣いが溶けて消えた。


(貴方の枷になる私を…どうか許さないで)


 純白の髪に見え隠れする円環状の赤い糸が彼女を生かしては殺す。


「今宵の月もきっと美しいのでしょうね…」

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