星映しの陣

汐田ますみ

第1話 ホシアイと夢人

〚遥か昔、霊獣の住む地に貧困に耐えかねた世捨て人が一人、また一人と姿を現した。

行く宛は無くただ死を待つだけの彼等を不憫に思い憐れんだ霊獣は、其の力を土地を与え給うた。


     其の力"アスト"と命名す。

  アストにより身体機能は著しく向上し

     永く存命し得る存在となった。


感謝した人々は霊獣と共存の道を選ぶが…〛


____________ ____________ ____________

______ ______

"沈んでゆく深い海に星の光に見守られながら"


 気付けば意識は夢の中へ惹き寄せられていた。


 同じ夢だ。空想世界の賑やかな広場。

 来るもの拒まず皆が幸せそうに手を取り合う。

 私はただその光景を城のバルコニーから眺めフッと表情を緩めた。貴族のような姫様のようなそんな格好をして。

 隣を見上げると澄んだ青空の様な瞳の持主

"彼"が微笑み返した。二人は幸せだった。

 楽しげな夢は突如として終わる。


 一陣の風が吹き瞬きをした僅か一瞬の間で場面が切り替わり王国は血の海と化す…。


 混沌に堕ちた世界で何者かから逃げた最中焦燥に駆られた彼が手を引いて______。

____________ ____________ ____________

______ ______


「……!」

「…っ…き…………て!!」

「起きて!!あまね!!!」


「ーーっ!」


 暗闇から聴こえる声が意識を引っ張った。そうして目が覚めた。

 まだぼーっとする頭を抱え、辺りを見渡すとよく知った顔と目が合う。


 幼友達の宮本紬生だ。黒色のショートボブを揺らし、グイッと顔を近付ける。


「あ…れ?紬生…??」

「帰りのHR終わっちゃったよ〜?もう!いつまで寝てんの!!」


 目くじらを立て口を膨らませた紬生が指差す時計は、確かに下校時刻の4時をとっくに過ぎていた。


「えへへ、ごめんごめん」


 紬生に謝りつつ帰り支度を始める。机に散らばる文房具を一つ一つ丁寧に片付け椅子を引いて立ち上がった。


「もしかして………また"あの夢"?」


 少々間を開けポツリと呟かれた小さな小さな声。スクールバッグの持ち手をギュッと握る紬生は気まずそうに目を逸らす。柔弱とした態度は彼女に似合わず、私も目を逸らした。


「…うん…そうだよ。おかしいよね、小学生の時から同じ夢をずっと見続けるなんて。あの夢を見ると何だか胸が苦しいのに懐かしくなるの………行ったことも見た事もない景色なのに……」

「ねぇ天、ね」

「お前らまだ帰ってなかったのか?」

「!…晴くん?」


 紬生が口を開くと同時にもう一人の幼友達、風間晴が扉の前に姿を現す。黒板の予定表から察するに委員会の集まりで教室を出ていたと見える。

 気怠そうに欠伸をして扉に持たれ掛かった彼の姿は流石モテるだけあって格好が付く。


「…!いっ今から帰るよ!ほら天音行こ!」

「あ…、ちょっと紬生!?」

「…?」


 私の腕を半ば強引に引っ張る彼女は何故か怯えているように感じた。きっと気の所為。

____________


「そう言えば紬生さっき何か言いかけたよねあれって…?」

「え!?えっと…、なんでもないって!そ、それより私の家の近くに美味しい和菓子屋が出来てさ!明日は土曜日だし行ってみない?」


「和菓子…!行ってみたいかも」

「うん!決まり!!明日私の家に集合ね!あ、ついでに…晴も来る?」

「…俺はついでか?」


 他愛のない日常に安堵を覚える。感じた違和感は既に消えていた。勘違いだったのだろう。紬生も普段通りのテンションでニッコリ笑う。寧ろ普段以上にテンションが高い気も。談笑しながら通学路を進むとあっと言う間に別れ道に着く。


「じゃあ、私はこっちだからまた明日ね」

(帰ったら志保さんに明日のことを伝えて、それから…)


 二人に手を振り曲がり角を曲がる。身体の疲れなど忘れ自然と足取りは軽くなった。



 夢現。あの夢が現実だったなんて

この時の私は知る由もなかったんだ____。

______

 天音と別れた後、自然と足取りは重くなり振り返っては遠退く背中を見つめる。


(天音ごめんね。本当は全部知ってるの。夢の光景も貴方の正体も………)


 幾ら謝っても喉を通らぬ声は彼女には届かない。…隠し通すと決めたと言うのに。


「なぁ、紬生なーんか隠してね?」

「…っ!か、隠…してる」


 数歩前を歩く晴が不意に立ち止まり溜息混じりに口を開いた。声変わりしたばかりのまだ聞き慣れない低い声が私を現実に引き戻す。


(そりゃあんな態度取ったもん…天音は兎も角、晴には気づかれるよね)


 安易に予想できる次の質問に身体が強張り心臓が一つ跳ねた。


「そっか、じゃあ帰るぞ」

「へ?」

(何も聞かないの…?)


 再び歩き出した晴に急いで追いつく。

 想定外の返しに思わず間抜けな声が漏れ出てしまいスクールバッグの紐が摺り落ちた。


 それっきり隣の幼馴染は黙ってしまった。無言の状態が暫く続き、なんとなくの気まずさを覚え流れる重煩わしい空気を払拭する為に話題転換した。


「隠してるって言えば晴くんも天音の事好きなの本人に隠してるよね。さっさと告白しちゃえばいいのに」

「な!?別に隠してるわけじゃ…なくてだな。好きとかそんなんじゃ……ほら天音はあの髪色だろ。俺がいや俺じゃなくても良いが、守ってやらないと……だな…」


 非常に分かりやすくたじろき、非常に分かりやすく赤面する様子に溜息が出た。聞いてもいない言い訳紛いの早口は聞き流す。


(なんで天音は気づかないんだろ)



 純白の髪色の幼馴染は昔から鈍感だ。鈍感で危うささえ纏わせる。日本人には似つかわしくない髪色故に彼女は何をしても目立つ。


 梅雨の蒸し暑さか恋慕か原因はどちらにせよ吹き出す汗を拭う仕草が様になる晴に無性に腹が立ってきた。

 実家が花屋なだけあって彼の仕草に合わせて季節外れの春の香りが匂ってきた。




「………言うなよ」

「言うわけ無いでしょ。でも羨ましいなぁ…楽しそうで。私も恋の一つや二つしてみたかったな」

(宮本家に産まれただけでお見合い結婚は避けられないとか今どき古臭いっての)


「楽しい事ばかりじゃないぞ」


 独り言を呟いても隣には当然聞こえてしまう。そんなもん?と聞き返せばそんなもんだと、ぶっきらぼうな返事が返ってきた。

______


「ただいま〜!」


 学校から徒歩15分。緩やかな坂を駆け上り勢いよく扉を開けた。


 此処は孤児院『四季の蕾』

 早くに両親をなくしたらしい私は物心付く

前からここにお世話になっている。

 現在は私を含めて四人の子ども達と経営者であり母親代わりの佐倉糸帆さんと暮らしている。高台の古民家をそのまま施設として利用している所為か、豪雨の日には雨漏りしてしまう。そんな古臭い往年の家が大好きだ。




「天音ちゃんおかえりなさい。あら…?フフッ何かいい事でもあった?」


 正面奥に構える階段から降りてきた糸帆さんは私の姿を見るなり唇に手を当てて微笑みながら出迎えてくれた。思った以上に顔に出ていたらしい。


「うん!明日ね紬生達と出かけるの。ええっと…出かけてもいい?」

「勿論よ目一杯遊んでいらっしゃい」


 本当の母親のように糸帆さんは優しい手で

頭を撫でてくれる。

 少し前までは素直に嬉しかったこの行為は今じゃこそばゆい。

____________

 運良く梅雨晴れとなった当日朝。

 陽光に照られた空は星合の日を祝福するかのように輝いていた。


「じゃあ行ってきます!糸帆さん」

「天音ちゃん行ってらっしゃい。ちゃーんと折り畳み傘持った?それと遅くなる様なら絶対に連絡する事!」


 お気に入りの鞄を二、三度軽く叩けば安心した様で笑って見送ってくれた。


 紬生の家は明治時代以前から続く由緒ある家柄のようで御屋敷という言葉がお似合いの敷地面積で広々としている。初めて遊びに行った時、迷子になった程だ。


(ちょっと早く着き過ぎたかな?)


 時刻は約束の20分前。鞄に付けた時計チャームに示された針を確認し、一息つく。

 チャイムを鳴らせば慌ただしい足音とともに紬生が重厚そうな扉を開け出てきた。


「天音ごめん!!今立て込んでて…すぐ終わるから待ってて何なら家に入る?」

「ううん私も早く着き過ぎちゃったみたいだしここで待ってるよ」


 申し訳なさそうに眉を下げ合掌する紬生は私の返事を聴くなりありがとうと感謝を零し再び扉の中へと去っていった。


 扉を一瞥し空を見上げた。


 空の明るさは依然変わりないが雨の気配を感じさせる雲は太陽を飲み込まんとする勢いであった。

 紬生達と遊びに行くのは久しぶりだ。

ざっと五年ぶりくらいだろうか?

孤児院暮らしの私に遠慮していたのだろう。


(昔はよく遊んだのになぁ…)

「いや…、違う……。確か紬生が遊びに誘わなくなったのは…」

(誘わなくなった、のは小学生の頃…夢の話をしてからだ)


 瞬間鼓動がドクドクと大きく刻み始めた。生まれて初めて心臓の鼓動を聞いたような、有り得ない気分に陥り不可思議な感情が心を支配する。


 汗ばむ手で鞄を開き中からお守り代わりの

ペンダントトップを取り出し呼吸を整える。

不思議な欠け方をしたペンダントトップ、目を瞑れば元の造形を想像する事は容易い。


 楕円形のルビ色宝石が一つ。宝石を守る様に周りには金色の装飾が施されていた。


 幼い頃、誰かから受け取った大切なモノ。

 それは記憶なのか夢なのか。片時も離してはならぬと、そう強く思った。


 鼓動は収まらず心と共鳴する様にペンダントトップからは光が滲み出る。誰でもない私だけが感じた確かな光は道行く先を示す。

 自然と足が動いた。何処へ向かうのか、心だけが知っている。


 行かなくてはいけない…。

色無き風は私の髪を、服を、揺らした。

ヒューヒュー不気味な音を残して。



 時は進み蒼天は薄暗い雲に覆い隠される。

____________ ____________


「天音お待た……ぇ」


 風を感じた。天音が駆け残した風だ。

 予想出来なかった、したくなかった行動を

理解するには時間を要した。


(まさかっ!?)


 一瞬スローモーションの如く見えた上っ面は焦りを含んだ真剣な眼差しだった。

 そう、己が辿り着かなければならない使命を思い出したかのようなそんな眼差しだ。

 彼女が待っていたであろう場所には、虚無しか残されていなかった。


「もし彼処へ向かったのだとしたら……」

……油断した。


 彼女が彼女自身の正体に気づいてほしくないが為に先延ばしにしてあわよくば失くしたかった愚かなエゴまみれの私の罪。


「どう、しよう」

「何がどうしようなんだ?」


 無意識に俯いていたらしい。ハッとして視線を上げた先に淡白色のシャツに黒のチノパン、同色のショルダーバッグ姿のもう一人の待ち人風間晴が居た。


「?俺の顔になにかついてるか?」

(どうしようどうしよう)


 喉が酷く渇く。唾を飲み込んでも潤わないどころか焦りばかりが募る。

 もう隠し通す事はできなかった。


「ッ遅い!!!!!」

「なっ!?時間通りに来ただろ!?」

「早くしないと、天音が消えちゃう!」


 泣きそうな顔を隠すように天音が消え行った方向に目を向け、彼女が辿り着くであろう地を目指し走り出す。


「!?おいっ!待てってどういう事だ!」


 只事ではないと察した晴は簡単に私に追い付く。流石元サッカー部。なんて関係ない事考えるしか落ち着く方法を私は知らない。


 目元に溜まった大粒を強引に拭い上擦る醜い声で全てを話した。


「天音はこの世界の人間じゃないの!!」



 曇天から伝う涙は音を奏でながら。次第にその勢いを増していった。

____________

 幼い頃から何度も通った道を駆け抜けた。


暫くすると立入禁止の看板と錆びついた柵が視界に入り足を止めた。眼前に広がるは宮本家が所有する裏山。


 この街の住人なら知らない人はいない有名な心霊スポット。子供たちにとっては好奇心が唆られる肝試しの聖地なのだが山に入っても濃霧に攫われ、気づいたら麓に戻ってしまう。

 他者を寄せ付けぬ裏山は何時しか畏怖の念を込め霊界山と呼ばれるようになった。


 約60cmの柵は私の身長でも乗り越えられる高さ。

 軽く息を整え私は霊界山へと歩を進めた。

____________

霊界山山頂




『泣かないで…、必ず……あなたの元へ………辿り、着いて、みせるから…だからまたね…』


"ペンダントの欠片が道標になってくれるわ"


 欠片を眺めるのは何度目だろう。

随分永い時が流れた。霊界山と呼ばれる裏山は食事も睡眠も必要ないらしい。お陰で気の紛れすら許されなかった。


 彼女を待つ日々はもどかしく残酷だ。



?「一人でいる事がこんなにも辛いなんて

お前から教わりたくなかったよ、カグヤ…」


 不意に気配を感じ腰を上げた。大人しくも意志のある足音は真っ直ぐ此方を目指す。


?(誰だ…?足音からして一人、いや二人か)


?「り……………お、ん?」

「っ!!………………カグ、ヤ?」


 否。目の前の少女は色素の薄い髪を揺らしながら、知らぬはずの名を口にした。


 互いが一歩踏み出した瞬間、手にしていた欠片が光を帯び始めた。言葉を挟む間もなくほんのりと温かみのある光は欠片と共に少女の首元へと吸い込まれていった。




?「あっ…ペンダントが…!!」

「一つに戻った」


 見間違う筈がない。少女の首飾りはかつて

カグヤが身に着けていた代物だ。

 大切な人、守りたい人、守れなかった人が最期の時俺に欠片を贈った。元来在るべき姿へ戻ったペンダントは取り戻した欠片の隙間を埋めるように煌々と輝いていた。

その血が絶えぬよう生み出された王族に伝わる転生術が在った。ペンダントを見つめ惑う少女は転生術を用いた王族カグヤの生まれ変わり。


 ならば、一刻も早く少女を連れ"扉"を開かせなければならない。

 背景に聳える巨大な"扉"が死を赦さない。

____________

 其処は何とも形容し難い雰囲気であった。

 草木が生茂る緑豊かな山頂に彼はいた。


身じろぎ一つ出来ず肩掛け鞄の落ちる音が虚しく響く。奇しくも私と現実を繋ぎ留める唯一の音であった。


 視界の端に彼の姿が映し出され次の瞬間には自然と彼の名を紡いでいた。アジュールブルーの髪と瞳が私を捉えて離さない。


(夢人は……彼だ)


 大粒の雫が頬を伝い草花に弾く。

ああ彼の身に一体全体何が起きたのだろう?夢人の彼と眼前の彼とでは容貌が掛け離れていた。無造作に伸び切った髪、汚れが色濃く残る衣服。彼は知らぬ内に……。


 唯、瞳だけが眼光鋭く私を射抜く。

 伝えなければ。貴方に会いに来たのだと。涙を無理やり止め、意を決して一歩踏み出す当にその瞬間ペンダントが淡く光り出した。


 欠けていた部分が元に戻り、本来の美しい姿へと形成されていく。

 誉れ高き戦士の如く堂々と存在感を放つ装飾品は私の手に余る様で似合わない気がした。山道を登る為に首に掛けていたが何だかペンダントの光に負けてしまいそうで気恥ずかしくなる。


「カグヤの生まれ変わりだな。名は?」

「カグヤ?…えぇと、私は……」


 "カグヤ"何処かで聞いたことのある名だった。思い出そうとしても脳内に霧がかかるばかりで上手く答えを導き出せない。


『私の名前はカグヤ。……そして、貴方の名前は諸星天音よ』


 幼い頃に何処かで聴いたフレーズが蘇るも余計に混乱してしまった。夢人の彼リオンの問い掛けに思考回路が息詰まり、視線を右往左往させる。


「?名前くらいあるだろ?」

「っ!あの……その、わたしは…」


 私の様子を知ってか知らずか不思議そうに首を傾げ続けざまに問う。


 無論名前はある。

15年間、諸星天音として生きてきた。

15年分の思いを伝えようとすればする程、吐く息が苦しくなる。自分でも予想だにしなかった事態に狼狽えていると再びリオンが口を開く。



「お前、まさか…」

「あまね!!!」

「な、なんだここはっ!?」


 彼の次の台詞は新たな来訪者によって遮られる。


「つむ、ぎ…はるくん…?」


 救世主とまではいかないものの、場の空気を変えるには適役だった。

____________

 遅かった?違う。

 間に合わなかった?それも違う。

 言うなれば届かなかった、だ。


 二人は出会ってしまった。恐れていた事態が遂に目の前で起こる。顔面蒼白の天音が縋る様な視線で振り返る。


(なんだアレは?!…扉なのか?)

「紬生…教えて、私は一体誰?」

「今日は珍しく来訪者が多いな。偶然迷い込んだ訳じゃ無いだろ。何者だ」


「私は宮本紬生。この霊界山を所有してる宮本家だよ。隣で空いた口が塞がってないのが風間晴。天音、隠しててごめん…本当の事を話すよ」


 移動中、晴に説明したように天音にも伝えた。


〚天音とリオンがこの世界の人間ではない事

開かずの扉の先、異世界が広がっている事

異世界には王国がある事

リオンは王国の騎士長で王女と恋仲だった事

王女の生まれ変わりが天音だと言う事

王国は戦時下にある事

国へ戻る為の扉は王族の血脈にのみ反応する事〛


 連れ戻したかった。二人が出会う前に。内に秘めた願いは吐き出す事無く泡沫に消えた。


「つまり、私はそのカグヤさんの生まれ変わりで国のお姫様で……っ…カグヤさんの代わりに扉を……ひら、いて…」


「あまね!?」

「おっと」


 ポツポツと話す最中誰の表情も見れず私は俯いていた。天音の言葉が不自然に途切れ顔を上げると華奢な体がガクンと傾いた。どうやら脳の処理が追いつかず気絶したらしい…。

 彼女を受け止めたのはそれまで黙秘を貫いていた晴だった。晴の表情はどこか寂しそうに見える。


「はぁ目覚めるまで待つしかないな」


 一方で腕組みしたままのリオンは天音を受け止めるどころか一瞬、天音を見たあと直ぐに視線を扉へと移した。無駄に長い髪のお陰で表情は分からなかったが、溜息からも判断出来る通り明らかに不機嫌だ。彼にしてみれば、ようやっと帰れると思っていたのだ。


 当たり前の反応と言えばそうだがそれにしたってもう少し心配しても良さげなのだが。

____________

______

 重い瞼を開き、ゆっくりと上半身を起こす。クラクラとする頭を押さえ状況把握を行う。


「天音良かった目が覚めて…気絶してたんだよ…。私が話した事覚えてる?」

「大丈夫覚えてるよ」


 隣に座る紬生が私を見るなり安心した様にほっと胸を撫で下ろし、か細い声で本音の質問をした。話してくれてありがとうと一言伝えれば、様々な感情が重なった複雑な表情を見せて頷いた。知りたい事は沢山あるが彼女の取り繕った笑みはそれ以上の追求を許してくれなかった。


「ごめんね紬生もう行かなくちゃ」


 意識が戻らない間ずっと握っていたであろう紬生の温かい両手を解き立ち上がった。

 左手に残る生暖かい感覚を感じながら扉の真正面に向かい立ち、決意を示す。


「よし、目が覚めたな。今度こそ行くぞ」



 リオンの言葉に頷き覚悟を決めた天音。

 そして遂に扉がひら…かれ…、…?


「???」


 遂に扉がーーーー!!!


「???」


 身長の何倍もある真っ白な扉は幾ら力を込めようともビクともしなかった。取っ手も鍵穴も存在しない為、押して開くタイプだと思ったがそうではないらしい?試行錯誤するが軽く挫折しかける。


「何やってんだお前…カグヤはそのペンダントを使って開けてたぞ」

「うっ!!そ、それを早く言ってよ!!」


 後出し情報により体温上昇を肌で感じる。先程の行動が羞恥心を刺激し、扉からそっと手を離す。頬の紅潮を隠す様に首元のペンダントに意識を集中させた。


「………ねぇリオン」

「今度はなんだ?まさかペンダントの使い方が分からないとか言うんじゃねぇだろうな」

「…………」

「…………"アスト"をソレに注ぎ込むんだ」

「あすとを注ぐ???」

「お前なぁ…」

(……今絶対バカだと思われた…)


 昨日まで、いや気絶する前まで只の一般人だった私が急においそれと不思議パワーを使える筈もなく何度も訊き返すとリオンは一段声を低くして呆れたとばかりに眉間にシワを寄せた。説明無しで扉が開けるならそもそも気絶なんてしていない!


「アストってのは、つまりだな…」

「精神エネルギーみたいなものか?」

「ああ…まぁそんな感じだ。体内に流れるアストエネルギーを一点に集中させろ。詳しい事は後で説明してやる」

(体内のアストエネルギーを一点に…)


 正直、理解は追いついて無いが目を瞑り言われた通りにアストエネルギーを流し込むヴィジョンを思い浮かべる。アストエネルギーが何かは二の次で行こう。

 数秒の後ぼんやりと瞼の先が明るくなり、そっと目を開けた。淡く光るペンダントと呼応する様に扉は徐々に開き出す。成功のようだ。原理は不明である。


「お前その目…!」

「?目がなに?」


 彼の台詞はまたもや来訪者によって遮られた。今回は招かれざる客によって。


「「!!!!」」


 "扉から現れた影"はまさに化物と呼ぶに相応しい異形の姿を晒した。

 とってつけられた目玉がギョロリと動き腕らしきものが此方に向かって伸びる。訳も分からず、訪れるであろう衝撃に身体が強張るが訪れたのは想像していた衝撃ではなかった。


「クソッ!!おい!天音つったな!?このままコイツと扉を抜ける!!振り落とされんな!!」

(チッ…初撃が遅れたか!?)

「へ?…キャ!!?」


 数センチの距離でリオンの声が聴こえ、漸く状況を理解した。この場で誰よりも迅速に行動し手にした武器、形状から察するに刀で間違いないソレを化物の頭部目掛けて刺した。刺す直前勢いに任せて飛び上がると同時に右肩に私を担ぎ上げて身体を開かれた扉の先へ傾ける。


 扉を抜ける僅か数秒がスローモーションで進む。幼友達二人と視線が交わり、確かに面が見えた。


「行ってきます」


 口に出していた。サヨナラの代わりに此の先に待ち受ける数多の旅路を他でもない大好きな彼等に見届けてほしいと切に思った。

____________ ____________

風間晴Side


 一人取り残された気分だった。

 自分の空間だけ切り取られたような感覚だ。

 天音も紬生も何か隠している事は知っていたが、話さないならと放っておいた。きっと俺には到底理解できない秘密なんだろうなって今日まで思っていたんだ。


 真実を知って初めて、自分の手が届かない場所に彼女は居たのだと知った。高嶺の花、彼女を表すに相応しい地べたから見上げる俺の言葉。好きな人が別の世界の住人、しかもその世界の姫君ときた。何の冗談かと耳を疑う。


 霊界山を登ったのは小学生の肝試し以来だ。まさか幼馴染の家が管理してるとは夢にも思わず相槌をサボる。肝試しに行っては先回りで担任が待ち伏せしていた理由が良く分かる。なんて今の状況に関係ない事ばかり思い出す。


 山頂は雨さえも弾いてしまうらしい当たり前のように受け入れられるほど、自分は素直な性格と思っていない。


 現れた男は目算の限りでは俺よりも数センチ高く175程度かそれ以上の高長身だ。


 天音を受け止めたのが俺で良かったと心底思う。俺だけが天音の変化に気付けたんだ、と少しだけ嬉しかった。気が紛れた。

 彼女を支えていられる時間は半刻未満。刻々と別れが近づいてるようで寂しかった。ガキ臭い独占欲を悟られる前に気絶した彼女をそっと寝かせた。



 リオンとやらと紬生の会話についていけない。無知な自分が酷く惨めで腹立たしい。

 途切れ途切れ聞こえてくる単語はワダツミやら、ホウギョクやら、何処か浮世離れしていた。



 赤面する彼女をみて思わず可愛いと声が出そうだった。


「む…なんで晴まで照れてんの」

「……ッうっせ」


 "アスト"


 二人の会話に口出ししまいと離れた場所から見守っていたが…。


「精神エネルギーみたいなものか?」

(厨二的見解はい、大正解ってか)


 意識せず独り言が飛び出ていたらしい。天音はやはり向こうの世界の住人なのだろう。アストエネルギーと聞いただけで瞬く間に秘めた力を発揮させた。

 カラクリ不明の扉は徐々に開き出したが順風満帆とはいかなかった。


「「!!!!」」


 黒い化物は耳を劈く咆哮を辺り一帯に吐き散らした。化物の鳴き声ではなく、悲鳴。リオンが既に化物に攻撃を加えていた。衝撃の余波で俺と紬生は後ろに倒れ込む。


「ーーッ!?」


 …俺はこの瞬間を二度と忘れないだろう。リオンは地を蹴り遥か高くまで跳び上がって刀らしきもので化物を突き刺した。

 人は人生を変える何かと出会ったら、眼前の光景が脳裏に焼き付き離れないのだろうなと他人事のように軽く考えていた。自分には訪れないだろうと、この瞬間までは。


 見開く目は一瞬の光景を記憶した。

 純粋に格好良いと感じた。それは、幼子が画面の先のヒーローにワクワクし憧れを抱く感情によく似ていた。


「行ってきます」


 最後に彼女と目が合い、凛とした声が届いた。彼女の瞳は日本人特有の黒目から赤目へと、変化していた。もう驚きはしない。きっと向こうの世界へ羽ばたく準備だ。本人は気付いていないが首元で揺らぐ宝石に負けず美しく輝いていた。

 風光明媚に魅せられた冒険家が愛用のカメラを手入れするような仕草で空に手を伸ばした。


(天音…行ってきな)

____________ ____________

宮本紬生Side


「行ってきます」


 行かないで、なんて言える訳ない。


 大好きな親友をあんな化物が存在する世界に行くのを止めたかった。天音が去った後も秒針は進み続ける。何事も無かったかように私を置き去りにして。


 目に映るもの全てが滲んていく。天音に酷い泣き顔を見られなくてよかった。


(ただいまを聞かせる気なんて…)


 遠くで聞こえる雷雨の報せが酷く煩わしい。

____________ ____________

______

 彼女、彼の存在は不透明。

 木々の合間より一部始終を傍観せし者。




「…ハプニングはあったみたいだけど、なんとか元の世界へ帰れたようだね。……本当に会わなくてよかったの?」


 彼女は彼に話しかけた。


《十分だ。アイツの心を乱す必要はない》

「確かに。今の状態で会ってもビックリして

すぐには信じてもらえないかも」




 祈るように瞳を閉じる。…我等の火種を託そう。願わくば先の世界で貴方達の光が失われない様に。____________

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