【第2章】第1話「悪夢の果て」

食料運搬ヘリの運行は、月に一度きりだ。

厳しい環境下で暮らす人々の最低限の備えとして定期運航が行われている。


食料だけでなく医療品や他の必需品や物資もまとめて運ばれてくることもある。今回の飛行には、更に後部座席に少年2人が搭乗することになっていた。


この航路を十数年担当してるというベテラン操縦士は、珍しい乗客に興味津々で声を掛けた。

「おい坊やたち、名前は?」

小柄で幼い顔立ちの少年が、おずおずと答える。

「ボクは……ディック」

彼は淡い金髪と緑色の瞳を持っており、痩せこけているように見える。その痩せ方は、成長期の栄養バランスの偏りから来るものではなく、病気の影響があるようにも見えた。

「坊や……じゃない、ディック。出身はどの辺だい? ここいらじゃ見かけない顔立ちだね」

「旧東欧の第1ブロックの孤児院出身。と言っても、ここ数年はほとんど病院にいたよ」

「そうか。……今もあまり具合は良くなさそうだけど、大丈夫かい?適応ワクチンは済ませたんだね?」

「うん。ボクも、……サキトも」

そうディックは答えると、さっきから全然喋らないもう1人の少年に気遣うような視線を向けた。

「そっちの坊やの名前がサキト、だったな。気分はどうだい?」

「……最悪」

黒髪に黒い瞳の少年は、ぶすっとしたように答えた。乗り物に弱いのかと判断した操縦士は、元気づけるように言った。

「そういうときは、喋るといい。少し気分が紛れるから」

その言葉に、少年はますます顔をしかめる。


彼にとって、今の状況は何もかもが面白くなかった。食糧運搬ルートからのドーム外逃亡は、途中で包囲されて失敗に終わった……はずだった。

にも関わらず、いくつかの取り調べや病院での検査を受けた後、こうして本来の目的地へと運ばれている。

まるで最初から誰かの手の内で転がされていたか、自分たちの行動を全て読まれていたような気分だ。


この友好的に話しかけてくる操縦士すら、心のうちでは自分を馬鹿にしてるように、サキトは感じていた。

「あんたさ、俺が犯罪者だってこと知らねえのかよ?」

八つ当たり気味に彼を睨みつけながら言うが、操縦士はお構いなしに朗らかな口調で返す。

「もちろん知ってるよ。運ぶ前に軽く事情は聞いてるからね」

あっけらかんとそう言われ、少年は呆れるしかなかった。

「いやー、俺にも君たちくらいの息子がいてね。なんていうか……つい構いたくなるんだ。ところで、サキちゃん」

「サキト。本庄サキトだ。苗字か呼び捨てでいい」

ふいにサキトが強い口調でさえぎった。驚いた様子の操縦士に鋭い視線を向けながら、さらに言う。

「その呼び方、二度とすんな」

そう言ってサキトはそれ以上の会話を拒絶するかのように目を閉じた。



「サキちゃん」

仲間からよくからかい半分に呼ばれていた呼び名だ。出会って間もない操縦士が同じように馴れ馴れしく呼んだのが癇に障ったのもあるが、それだけではない。

――思い出してしまうのだ、あの悪夢のような一夜を……。


『面白いゲームがあるんだけど。参加しねえ?』

そう言って誘われたのは、つい最近のこと。ゲームの内容が、犯罪行為だと知ってもサキトは怯まなかった。

ナイフをちらつかせるだけで、驚くほど簡単に金が手に入った。路地裏で打ち上げと称して仲間たちと酒を飲みながら騒いでいたとき、通りすがりの見知らぬ中年男性が絡んできた。

『君たち、こんな遅くに外で何をやっているんだね。まだ未成年だろ? 酒まで飲んで。家の人が心配するぞ』

そう言って男性はサキトが持っていたボトル入りの酒を取り上げようとした。

ずっと真面目一筋に生きてきたような男性だった。楽しんでいる最中を急に見ず知らずの他人に説教で水を差され、サキトたちはキレた。否、彼らには心配したり叱ったりする親がいないことを改めて思い知らされたことへの憤りだったのかもしれない。

『うるせえな』

サキトが男の手を払いのけると、仲間たちは面白がって囃し立てた。

『やっちゃえ、サキちゃん』

他の仲間も、横から蹴りを入れたりしている。男が思わず「何をする」と怒ると、さらにサキトたちの暴力はエスカレートした。

サキトが懐からナイフを取り出したのは、このときだった。

少し脅かして情けない顔でも見てやろうと思ったのだ。冗談半分で男の腹に馬乗りになり、ナイフの先を胸に押し当てた。

本気で刺す気なんてなかった。

男が抵抗して暴れて身体を起こしたりしなければ、悪くてもかすり傷で済んだはずだった……。

予想外に深く刺さったことに気づいたサキトは、慌ててナイフを抜いた。仲間たちは事の深刻さに気づかず、「やるねえ、サキちゃん」などと声をかける。

心臓部を刺された男は、言葉もなくサキトを見つめていた。ふと、その視線が何かを探すように、他の仲間のひとりひとりへと向けられる。  


チハナという仲間の少女を見て、男は大きく目を見開いた。すでに意識が朦朧としていたのか、彼女を自分の娘と勘違いしているようだった。

『リョウコ・・・・・・、迎えに来てくれたのか。父さん・・・・・・やっと帰れたぞ。久しぶりに・・・・・・家族でどこか食べに行くか』

男が震える手をチハナへと差し伸べる。少女は真っ青な顔で後ずさった。

『やだ、何このオヤジ。気持ち悪いんだけど』

仲間たちも異様な空気に気づいて、急に静まり返った。サキトは男の胸元に広がっていく血を見て、ただただ言葉もなく手を震わせていた。

『何が・・・・・・いい?』

柔らかい笑みを浮かべたまま、男は路上に倒れた。差し伸べていた手からも力が抜けていく。

チハナが狂ったように鋭い悲鳴を上げた。

『俺たち、何もやってねえぞ。サキ・・・・・・サキトが悪いんだよ』

あんなにいつも一緒にいた仲間たちが、急にサキトを凶悪な化け物でも見るような目つきで見た。

『俺・・・・・・』

頭の中が真っ白になる。チハナが地面に座り込んで、何か呟いているのが聞こえた。

『・・・・・・し。・・・ろ・・・し。人殺し!』

言葉がはっきり耳に届いた瞬間、サキトは無我夢中で夜の街を走りだしていた。何もかも悪い夢だと思いたい。こんなことで人生が狂わされるのは嫌だ。

ひたすら走りながら、ふと思い出した話があった。

ドームの《外》には、法に縛られない地域がある。どんな犯罪者でも、そこへ行けば逃げ切ることが出来るらしい。

彼は一縷の望みを託し、そこを目指すことにした。


――勘違いしていたのかも知れない。

《外》へ出れば、自分の犯した罪も苦しみも消えてしまう、と。



「おい、大丈夫か?サキトくん」

「サキト、ねえ、サキト!返事して?」

少し乱暴に肩を揺さぶられ、サキトはハッと我に返った。心配そうに覗き込んでいたディックは、少しホッと安堵したような表情を浮かべる。

「ここは……?」

とサキトが見やった窓の先には、今まで見たことのない光景が広がっていた。

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