【第1章】第2話「無法地帯の彼女」
統一政府特別管理A地区――通称「プライム・リージョン」では、厳しい暑さが続いていた。ここでは、ドーム内の都市のように、常に住みよい気温に調整されることはない。
カヤはいつものように、プレハブの拠点施設で、観測局から定例連絡を受けていた。
この建物は政府が設置したもので、特A地域では唯一、衛生通信によるドームとのやりとりが可能な場所でもある。
開け放たれた窓ガラスが小さく振動したのに気づき、カヤは通信機の向こうの相手に怒鳴った。
「ちょっと待って!」
やや間があって、食料運搬用ヘリが小屋の上空をかすめていった。激しい振動に机がガタガタと音を立てる。カヤはぐっと机を押さえつけた。
「ごめん、もう一回言ってくれる?」
乱れた黒髪を指でかきあげながら、相手の説明に耳を傾ける。
「少年の出身は、統合都市のひとつ・旧東京都A5ブロック。いちおう補足しとくが、あそこはロクな街じゃない。未だに少年犯罪が絶えないし、それを取り締まる機関もサビついてる。少年犯罪の無法地帯といってもいいかもな」
補足してもらわなくても、旧東京都と聞いただけで想像はつく。『無法地帯』という表現に、カヤは皮肉な笑みを浮かべた。
「それは親切にどうも。――つまり、無法者は無法地帯にほうり込めってこと? 冗談じゃないわ!!」
カヤの剣幕に、相手はなだめるように言った。
「上層部では君の実力を買っているんじゃないかな」
だが、そんな言葉に乗るほど、カヤはお人よしではない。
「はん、あいつらに実力買われたって嬉しくないわ。せいぜい面倒ごとを押しつけられるだけじゃない」
「まあ、そうだな」
そう同意しながら、通信機の向こう側で笑いを押し殺した気配がした。
カヤは思わずこめかみを押さえる。
ここ最近、イライラすることが多く、すっかり癖になってしまっていた。
「笑いごとじゃないのよ、こっちは!」
思わずそう怒鳴りながら、カヤは机の上に転がっていたペンを手に取り、無意識にいじる。どうせもう送り込まれてきたのなら、拒否権はないのだ。
少しでも苛立ちを鎮めようと何げなく窓の外へと目をやったカヤは、次の瞬間、スッと目を細めた。
「用件は以上よね? 切るわよ」
「おい、ちょっとカヤ・・・・・・」
慌てたように何か言いかけた相手の声を無視し、カヤは迷いなく通信を切断した。
カヤは深く息を吸い込み、もう一度窓の外を凝視した。
今の連絡内容に腹が立っていたのはもちろんだが、もう一つ彼女を苛立たせた原因があった。
「いい歳の大人が、コソコソと。あまり褒められた趣味ではないわね」
そう呟くと、カヤはドアの方へと向かう。 その歩みはドアに近づくほど速くなり、最終的には勢いよくドアを蹴破った。
ばんという派手な音が辺りに響き、泡を食ったように数人の男たちが走り去る。後ろ姿しか見えなかったが、だいたいの見当はついた。
ここ最近、若い女性統率者の存在を快く思わない者たちが不穏な行動をしているという噂は耳にしていた。
「文句がありゃ、正面切って言えばいいのに!」
腰に手を当てて、男たちの逃げた先を睨みつけた。その目は、視線で射殺せそうなほど殺気だっている。
「いやー、それは誰も怖くてできないでしょう。カヤさん相手じゃねえ」
いきなり後ろから声をかけられ、カヤは思わずぎょっとした。
慌てて振り向くと、いつの間にやら小屋の奥の方に、白衣を着た青年が薄く微笑みながら壁にもたれて立っていた。
肩先まで伸びた銀髪に薄い青色の瞳。彼はまるで狩りをするときの猫のように気配を消すのがうまく、時折こうしてカヤを驚かせる。
――声をかけられるまで、全く気配を感じなかった。
「いつからいたのよ、カーティ」
苦々しげにカヤは言った。
「おやおや、怖い顔だ。何ついさっきですよ、本日は診療所はお休みなので、面白い話でもないかと立ち寄っただけです」
呑気な表情と柔らかな声音が、カヤの苛立ちをかえって煽る。
「あんたね、いくら『医師』でも、他の仕事はしなくていいとは言ってないわよ。盗み聞きしてる暇があるなら、畑でも手伝いな」
カヤは作業用の上着を羽織りながらそう言うと、カーティを睨んだ。
最新医療の知識を持つドーム出身者の『医師』カーティは、この地域では稀有な存在だった。
数年前、彼はこの地域へ突如としてやってきた。彼がここに来てから、感染症による死者がほぼいなくなったのは讃えるべき実績ではある。
だが、普段の彼は、診療所とは名ばかりの自宅に閉じこもり、医学書を読み漁るばかりだった。積極的に自ら他の住人を診察したり集落の農作業を手伝ったりすることは稀だ。
カヤから見た彼は、政府から支給される食糧品を消費するだけの穀潰しで怠惰なろくでなし以外の何者でもなかった。
「ほら」とカヤは棚にあった草刈り鎌をカーティに押し付けようとする。
「外で身体を動かすのは健康にいいって、あんた言ってたわよね」
「ええ。でも、今日のような暑い日は熱中症の心配もありますし、何より白衣を汚すわけにはいきませんしね」
ああ言えば、こう言う。ふうっと、わざとらしくため息混じりにカーティが言った。
「だったら脱げば?」
「そんな……カヤさんたら、大胆な」
カーティは白衣の胸元を押さえて、大げさに恥じらう仕草をした。
「下にちゃんと服を着てるだろうが!」
馬鹿馬鹿しい、とカヤは言ってから農機具をまとめて出掛けようとする。
そこへ、また通信機の着信音が鳴った。
カヤの肩がわずかにぴくりと動く。
カーティの方をちらっと見て一瞬ためらうような表情を見せた後、カヤは通話の開始ボタンを押した。
「ええ、大丈夫。――は? 今日の便? それを先に言いなさいよ!! ……わかった、すぐポートへ向かう」
通信機を置いたカヤはしばらく考えた後、床に置かれていた往診用カバンをカーティに渡す。それから更に、いくつかの作業道具を棚から追加で取り出した。
「カーティ。農作業を手伝う気がないなら、それ持ってついて来な。事情は歩きながら話す」
急な提案に、カーティは一瞬だけ軽く目を見張る。が、すぐに好奇心に満ちた笑みを浮かべ、カヤの後をついて行った。
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