【第1章】第1話「逃亡者の行方」
「おい、斎藤。聞いたか? 」
休憩時間、一服しようと各部局共通のラウンジにある喫煙ブースに向かった斎藤アキラは、少年犯罪防止ユニットに所属する同期の職員に呼びかけられた。
「何をだよ」
と苦笑まじりに返せば、噂好きの彼は格好の話し相手を見つけたとばかりに、うれしそうに話し出す。
「何って、例の事件だよ。ほら、あの旧東京A5地区の」
斎藤は話に耳を傾けながら、眉間にしわを寄せた。
本来なら管轄外だが、その事件に関しては話は別だ。斎藤の所属するドーム外支援観測局は、今その後処理に毎日追われているところだった。
「うちの食糧運搬ルートで逃亡中の容疑者を確保したって話は聞いちゃいるが」
苦々しげに言いながら、斉藤はポケットからスカイ・ヴェイプを取り出す。
空の雲のように微細な蒸気を生成するこのデバイスは、かつての煙草代わりに愛煙する者も少なくない。
「その後何か進展でもあったのか? というか、俺に話していいのかよ」
「どうせすぐ伝わるさ。うちの上司が話してたのを偶然聞いたんだ。――その容疑者だけどさ、また特Aに放り込むつもりらしいぜ」
それを聞いて、斉藤は黙ったままデバイスを口に咥え、ボタンを押した。やり切れない気持ちと共に、ふわっと多めの蒸気を吐き出す。
脳裏に浮かんだのは、彼女――特Aの統率者カヤの激怒する顔だった。
「お前に言っても仕方ないが、何とかならんのかね、それ」
斉藤はため息まじりにぼやいた。
「特Aは、女性の統率者が1人で取り仕切ってんだぞ。そんなとこに犯罪者を送り込むなんて」
「無駄だよ。上層部の奴らが特Aのことを何て呼んでるか知ってるか? 野蛮な地域――プリミティブ・リージョンだぜ」
「プリミティブ、ねえ」
斉藤は思わず苦笑した。
特Aの女性統率者カヤは、艶やかな長い黒髪と凜とした瞳を持つ美貌の持ち主だ。しかし、その外見に惑わされてはならない。本気で怒らせると、まるで獰猛な獅子のように凶暴で手がつけられないともっぱらの噂だった。
「上層部にとっちゃ、犯罪者も特Aの住人も同じにしか見えてないってこった。ま、諦めるんだな」
友人は笑いながら斎藤の肩を軽くたたくと、自分の部署へと戻っていった。
「……他人事だと思って」
斎藤は備えつけの廃棄口に、使用済みのカプセルを捨ててから、もう一度大きくため息をついた。
◇
斉藤が所属する「ドーム外支援観測局」は、ドーム外の集落に食糧支援や最低限のインフラ整備を提供している機関だ。
とは言え、それぞれの集落には自治を行う統率者がおり、人々は自給自足で生活しているため、特に現地から支援を望まれたわけではない。
政府が「観測」と称して勝手に干渉し、あわよくば都合よく利用したいのではないかという見方も世間にはあった。
「今回の事件だが、旧東京地区A5ブロックで犯罪を犯した少年が《外》への逃亡を図ったというものだ。我々の食料運搬ルートが利用されたので、既に担当者は聞き及んでいるかもしれない」
休憩後、斉藤の上司から改めて説明があった。その内容を聞いて、観測局のメンバーはウンザリした表情を浮かべた。
彼らが管理している食料運搬ルートが犯罪者の逃亡に利用されるのは、これが初めてではない。それにもかかわらず、特にこれと言った対策が取られないのは、上層部が犯罪者のドーム外逃亡を望んでいるからだろう。
上司の説明はまだ続いていたが、斎藤は時計をちらりと確認し、無言で席を立った。
「どうした? 話はまだ終わってないぞ」
「いえ、この後のことは聞いています。ちょうど定例報告の時間なんで、ついでに特Aの統率者に連絡を入れておこうかと」
「……そうか、助かる」
上司はあからさまに安堵の表情を浮かべた。
特Aの統率者カヤの性格は、この部署の人間なら全員が知っている。今回のような報告をする役など、誰もが避けたがるだろう。
「では、失礼します」
斎藤はふっと微かに唇をゆるませると、外部連絡用の通信ブースへと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます