PRIME REGION
秋初夏生(あきは なつき)
【序章】
統合都市の天気予報は外れない。
都市内の気候は気象庁が完全管理しているからだ。
そして今夜も、予報どおり冷たい雨が降っていた。
ズシャっと音を立て、少年は足をすべらせた。舗装されていない路地裏の地面は、雨でぬかるんでいた。
顔やむき出しの腕にかかる泥が、雨の冷たさのわりに生暖かくて気持ち悪かった。
少年は泥を拭うと、すぐに立ち上がる。傘は初めから持っていない。濡れた黒髪が、額に張りついていた。
「ここまで大雨だなんて聞いてねえよ」
こんな夜は外を出歩く者も少ない。それを見込んでの計画だったが、予想よりも強い雨に少年は思わず舌打ちする。
想定外の出来事は他にもあった。
「マズったな」
ポケットからサバイバルナイフを取り出す。手がわずかに震えているのに気づき、その手を切りつけたい衝動に駆られた。
「何でこんなことに……」
まるで醒めない悪夢の中にいるようだ。
何度か深呼吸をして気分を落ち着かせてから、折りたたまれたナイフの刃をむき出しにする。
暗くてはっきりとは見えないが、刃についた血が洗い流されていくのを感じた。
「――誰だ?」
ナイフに見入っていた少年は、ふと誰かの気配を感じて身構える。
「あ……」
レインコートを着た子どもがこっちを見ていた。フードの影で表情は見えないが、声は完全におびえているようだった。少年はその子どもに近づこうとして、別の気配に気づく。今度は大勢の足音だ。
「見つかったか!」
逃げようと向きを変えた少年の服を、さっきの子どもの手がつかんだ。
「お前! 邪魔すっと殺すぞ。もう人ひとり殺してんだ、脅しじゃねーぞ!」
追っ手に気づかれないように低く、抑えた声で怒鳴る。子どもはビクッと肩を揺らしたが、さらに強く少年の服をつかんだ。
「お願い、ボクも連れてって! 『外』に出るんでしょ?」
「えっ……」
行き先は誰にも言ってないはずなのに。しかし、今はそんな質問をする猶予はない。追っ手の気配はどんどん近くに迫ってきている。
「くそ、勝手にしろ」
このままでは追いつかれてしまう。少年は細く痩せ細った子供の手をつかむと、そのまま脇目も振らずに走りだした。
◇
22世紀、地球の環境悪化はもはや人類の手に負えないものとなっていた。
1日に絶滅する動物の数が年々増え、大地は生命を育む力を失っていった。
無限にあると思われていた資源がどんどん消えていき、人類は今までの過ちが招いた結果を目の当たりにすることになった。
「このままだと、予測より早くに地球は滅びます」
緊急に設けられた世界環境対策委員会が動き出したのは、黒い粘土質の『死の土』が発見された時だった。
すでに、この死の土は大地を侵食し、植物の育たない不毛の地を広げていた。死の土は水を吸収せず、植えた穀物もすぐに枯れてしまう。
その原因が判明した時、人々は驚愕した。
「動物の死骸が関係しているらしい」
「まさか、祟りとか言うのではないだろうな?」
実際、現実はそれに近いものだった。汚染された大気に含まれる有害物質が雨に溶け込み、海や大地を汚染していた。
これが食物連鎖を通じて動物の体内に蓄積され、やがて死骸と共に大地に戻っていく。
この繰り返しが、大地を狂わせたのだ。
「我々の体も、すでに汚染されている」
消える自然、死に逝く大地、そして汚れていく人類。
――最期に残るのは何だろう?
「まだ無事な大地を確保するんだ」
比較的死の土の少ない地域を、ドーム状のバリアで覆う計画が進められた。これは、大気中の有害物質を人工的に遮断するものだ。
研究は未完成で、雨も遮断してしまう問題があったが、ドーム内に人工的に雨を降らせることで解決された。
先進国の政府が統一され、新たな政府機関がドームの中心に設置された。23世紀に入る頃には、人類はドーム内での生活を当たり前のものとしていた。
しかし、限られた地域に全人類を収容することはできず、ドームに入れなかった人々は世界各地に数多く残されていた。
「まことに遺憾に思います」
統一政府は遺族に対してこの事実を認め、謝罪した。それで終わらせるつもりだった。
ところが、23世紀になりドーム外に生き延びた人々の集落が発見された。
自然は驚くべき再生能力を発揮し、蘇り始めていたのだ。廃墟となった高層ビルの立ち並ぶ都市は緑で覆われていた。ドーム外の人々はこの恐るべき生命力を誇る自然と共存することで、生き延びていた。
地球が浄化され始めたことを知り、統一政府はドームを解除して元のような世界に戻そうとした。
しかし、人工的に管理された空気の中でしか生きてこなかったドームの人々は、外の空気に含まれる微弱な細菌への抵抗力を失っていた。
――何という皮肉な運命だろう?
科学文明を過信し、地球を滅ぼす元凶を生み出した人間たちは、結果として科学文明の檻であるドームに閉じ込められてしまったのだ。
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