第12話 歓声
合図とともに、第一走者が一斉に飛び出した。クラス対抗リレーは運動会で一番盛り上がるプログラムと言っても過言ではないだろう。一年生の各クラスの応援席から、大きな大きな声援が送られている。
「頑張れ二組ー!!」
「四組いけー!!」
俺たちの学年は八クラス制だ。すなわち八人の選手が一斉に次の走者を目指して駆けていることになる。一走のいおりは三番手あたりにつけており、懸命にその小さな身体を駆使して走っていた。
「いおりちゃん頑張れー!」
「いけるいけるー!」
我らが一組からも熱心な応援が続いていた。いおりは依然として三番手だが、各走者の差はほとんどない。まさに団子の状態のまま、集団がテイクオーバーゾーン(バトンパスを行うゾーン)へと差し掛かっていく。
「ヒデ!!」
「任せろ!!」
ヒデはいおりからバトンを受け取ると一気に加速していった。やはり中学一のフォワードとしてのキャリアは伊達ではなく、一気に先頭に躍り出ていく。いつになく真剣な表情で前を目指すヒデの姿に、俺は思わず息を吞んだ。
「一組はええ!」
「なんだアイツ!」
普段ふざけているだけに、こういうシーンを見るとつい見直してしまうな。他クラスの走者も決して遅くはないはずだが、それでもヒデはぐんぐんと二番手との差を伸ばしていく。……自分で「俊足」と言い張るだけはあるな。
「ヒデ頑張れー!」
「あと少しだぞー!」
続いて、優菜がテイクオーバーゾーンでヒデのことを待ち構える。足の速いヒデが少しでも長い距離を走れるように、優菜は若干前の方でスタンバイしていた。だが――それが仇になってしまった。
「優菜ちゃん早く!」
「あっ、ごめんっ!」
優菜のスタートが遅れ、バトンパスの際に失速してしまったのだ。辛うじて二人はバトンを落とさなかったものの、その間に二番手との距離が縮まってしまっている。優菜はしっかりとバトンを握りなおすと、遅れを取り戻すかのように加速しはじめた。
「がんばれ優菜様ー!」
「いけー!」
優菜は懸命に足を前に進めているものの、やはりバトンパスでリズムが乱れてしまったのか、なかなかスピードに乗れていない。そうしている間にもじわりじわりと後ろの走者が追い付いてくる。まずいな、このリードで俺は逃げ切れるのか……?
「一位は一組か」
「けど、アンカーがあの神谷雄介って話だぜ」
「えっ、なんで?」
「さあな。近藤優菜と一緒に走りてえって話じゃねえの」
近くの席で、他の生徒が俺の噂をしているのが聞こえてくる。そうだ、思い出せ。俺はあくまで名誉挽回のために走るんだ。そのために真帆に練習に付き合ってもらって、夜中まで走ったんじゃないか。……やるしかない!
俺はトラック内に入り、優菜が走ってくるのを待ち構えた。ここから先は練習通りだ。走ってくるのは真帆でなく優菜だが、やることは変わらない。優菜のリズム、コース、そしてスピード。五感を使ってそれらを感じ取り、俺はゆっくりと身体を始動させていく。
「神谷くん!」
その時、ばっちりのタイミングで優菜が走りこんできた。俺は後ろを振り向かないまま、片手を差し出す。優菜は最高速度を保ったまま、俺にバトンを手渡してきた。
「よし!」
俺は声を上げ、一気に足を加速させていった。ここまではすべてイメージ通り! 俺はあっという間に優菜を置いてけぼりにして、一目散にゴールへと駆けていく。
「頑張れ神谷くんー!!」
マドンナ様の声援を背中に受けながら、最後の直線をひたすらに走る。手はパーにした方が早いとか、腿を高く上げるとか、そんな理屈はどうでもいい。俺はただこのリードを保って走り抜けばいいんだ!
「一組の奴、意外と速い!」
「いやでも、後ろも追っかけてきてるぞ!」
ちらりと後ろを見ると、各クラスの脚力自慢が全力で俺のことを追っていた。級友の願いを背負って一着を目指すのは誰だって同じ。……けど、俺だって優菜たちの走りを無駄にするわけにはいかない!
「うおおおおおおおおお!!」
俺は大声で気合いを入れながら、さらに足を速めた。しかしそれでも後ろの奴らが距離を詰めてきている。各クラスからの応援がさらに熱を帯びていき、ますます校庭の雰囲気が高まっていった。
「いけー!」
「いけるぞ三組ー!」
「頑張れ五組ー!」
ゴールまであと三十メートルくらい。しかし、もうほんのすぐそこまで後ろの連中が迫っていた。コイツらはその俊足でクラス全員の期待を一身に背負い、懸命に走っている。それに比べて俺はどうだ? ヒデに無理やりアンカーに押し込まれ、後ろ指を指されながら必死に逃げている。周りから見たら無様――
「神谷くん、いけえええええええええー!!!」
その時、俺は優菜の声を聞いた。他クラスの歓声を突き破り、俺の鼓膜に直接響き渡るような頼もしい声。それに呼応して、他のクラスメイトも大声を張り上げていた。
「頑張れ神谷ー!!」
「あと少しだぞー!!」
「いけー!!」
こんな悪評男でも、クラスの皆はしっかりと背中を押してくれている。単に運動会だからなのか、それとも俺の後ろ姿に何かを感じてくれたのか。――どちらでも構わないが、不思議と脚が軽くなったような気分だった。
「くっ……!」
俺は歯を食いしばって最後の力を振り絞った。ゴールラインはもう目の前に迫っている。後ろの連中もラストスパートだ。
「頑張れええええええ!!!」
再び優菜の声が聞こえる。そうだ、俺は先頭を走ってるんだ! ごちゃごちゃ考えないで、ただこのまま突っ走れば――
「うおっ!?」
その時、俺は盛大に躓いてしまった。なんとか立て直そうとしたが、派手にすっ転んででんぐり返しの格好になってしまう。そのままゴロゴロと転がったままゴールラインを通過して、仰向けの格好で止まってしまった。
「「おおー!?」」
校庭中がどよめいていたが、俺は一瞬何が起こったのか理解できず、ただただ空を見上げていた。あーあ、最後の最後に締まりのない終わり方だったな。きっとゴロゴロしている間に他の奴らには抜かされちまったんだろう。しかしいつ見ても青空ってのは綺麗だな。まったく今日は雲一つない運動会日和って感じで――
「よくやったぞ雄介!!」
ヒデの声が聞こえて、俺はハッとした。いつの間にか他の三人がゴール地点まで来ていたようだ。
「『よくやった』って、なんの話だ?」
「一着だぞ、一着!」
「へっ?」
「ローリングでゴールインなんてすげえなあ!」
身を起こしてみると、他の選手たちが悔しそうに息を切らしていた。どうやら俺はギリギリ逃げ切れたらしい。……奇跡だな。泥だらけになった体操着を手で払いながら、ふうと息を吐いた。
「カッコ悪いとこ見せちまったなあ。せっかくヒデがアンカーに推してくれたのに、悪かったな」
「はは、でも少しはみんなお前のことを見直したみたいだぜ」
「そうか」
「なんにせよ、明日からはお前の扱いもマシになるんじゃないか」
ヒデは俺の肩をポンと叩き、一着の景品を受け取りに行った。いおりは何か意外そうな顔でこちらを見ていたが、そのままクラスのところに戻っていった。俺は優菜と二人になってしまう。やれやれ、俺も戻ろうか――
「神谷くん」
「な、なんだ?」
立ち上がろうとした途端、優菜に呼び止められた。優菜は俺の膝に手を当て、心配そうに撫でている。
「ここ、すりむいてる」
「あ、ほんとだ。保健室で絆創膏でも貰ってくるよ」
「じゃあ私もついていくわ」
「いいよ別に、大したことないから」
「いいから、行きましょ」
俺は優菜に連れられて、校舎の方に向かって歩き出した。何か言われるのかと思っていたが、不思議と優菜は黙り込んでいる。昇降口から校舎内に入り、廊下を歩いているとき、ようやく口を開いた。
「……ねえ、神谷くん」
「なんだよ」
「かっこよかったね」
「えっ、転んだのに?」
「そうじゃない。あのバトンパス、練習してたんでしょ?」
「……分かるのか」
「他と明らかに違ったもの。きっと真帆さんあたりに手伝ってもらったんでしょう?」
そこまで分かるものなのか。俺はぽりぽりと頭をかきながら、優菜の話に耳を傾けていた。
「神谷くんはアンカーに選ばれて、それで一生懸命に練習して……。やっぱりあなたのことが好きになってよかったなって」
「なんだよ、急に」
「ふふ、さっきそう思っただけよ」
そう言って、優菜は俺に笑いかけてくれた。この間の真帆と同じようなことを、コイツも思ってくれていたんだな。
どうして優菜がここまで俺にこだわるのか、そもそもなぜ俺のことを好きになったのか、それは未だに分からない。けど、俺の内面を心から愛してくれている人間がいるという事実そのものは嬉しいものだ。
運動会は無事に終わり、また明日からはいつも通りの授業だ。しかしここから先、俺が優菜や真帆との関係について考える機会が増えていったのである――
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