第9話 疑惑
取り巻きの二人は飲み物を載せたトレーを手にこちらの席にやってきた。隣から椅子を拝借して、五人でテーブルを囲む格好になる。女四人で男一人、気まずい……。コーヒーを飲んで気を紛らわせていると、優菜が口を開いた。
「二人ともお買い物?」
「そうです! でもまさかデート中の優菜様にお会いするなんて、申し訳ないというか……」
「あはは、気にしなくていいわよ」
「優菜ちゃん、神谷くんと二人でデートじゃなかったの?」
「ああ、この子は妹さんよ」
不思議に思っている雪子に対し、優菜が説明してくれた。真帆はぺこりと頭を下げる。
「真帆です。いつもおにい……兄がお世話になってます」
「あら、妹さん……。 なるほどね」
雪子は「ふーん」といった表情で真帆のことを見ていた。雪子は同級生のはずなのにお姉さん気質という感じで、コイツと話していると心の中まで覗かれている気分になる。なかなか察しがよさそうなので、少し苦手だった。
この取り巻きの二人は優菜と中学が同じだったらしい。優菜が生徒会長、雪子が副会長、いおりが書記を務めていたようで、それで今でも仲が良いようだ。
幸いにして女子四人で話が盛り上がっていたので、俺は影を潜めてじっと待っていた。うう、なんというか胃に悪い状況だ。そもそも彼女を連れて他の女とデートなんてするべきじゃなかったか――
「なあ、神谷」
「えっ!?」
急にいおりに声を掛けられ、つい声が出てしまった。真帆の方を見ると少し困ったような表情をしている。どうやら話題が俺に移ったようだ。
「お前、彼女いるのに優菜様とデートしていいのか?」
「いや、それは彼女に言ってあって……」
「同棲するほど仲が良いのに他の女と遊んでオッケー、なんて都合が良すぎるだろ」
いおりはじっと俺の目を見つめていた。雪子は何も言わずとも察するタイプだけど、コイツはズバズバと聞いてくるみたいだな。そのうえ鋭い……。
「それはだな、その……」
「そもそも優菜様の告白を断る時点で不自然だし、彼女なんていないんじゃないのか?」
「い、いおりさん! 彼女さんは本当にいるってさっきから――」
「兄妹ならいくらでも口裏合わせ出来るだろ?」
真帆もなんとか誤魔化そうとしているが、いおりは追及を止めない。雪子は澄ました顔で俺たちの様子を眺めている。優菜はというと――じっと下を向いて黙り込んでいた。
「優菜様、どう思いますか? 神谷が嘘をついているなら、この際――」
「……許さない」
「ゆ、優菜様?」
「私の神谷くんを嘘つき呼ばわりするなんて許さない!!」
「ええええーっ!?」
ええええーっ!? はこっちの台詞だよ! なに勝手に「私の」とか言ってんだ! 俺はお前のもんじゃねーよ!
「ちょ、優菜様!?」
「たしかに私も彼女さんなんて本当にいるのかなって疑ってるわ!」
「ですよね!?」
「でもそれはそれとして私の神谷くんが嘘なんてつくわけないじゃない!」
「だから勝手にお前のものにするんじゃねえよ!」
俺たちが急にギャーギャーと騒ぎだしたもんだから、周囲の客も何事かとこちらに視線を送っていた。すいません! ただ実妹と付き合ってる男がその事実を公に出来ないばっかりに話がこじれているだけなんです! 信じて!
やいのやいのと言い合ったあと、ようやく俺たちは落ち着きを取り戻した。優菜は息を整えつつ、改めて話を始めた。
「いおりの言うことももっともだし、私もこの目で彼女さんを見たわけじゃないわ」
「じゃあ、結局神谷の話は信じないんですか?」
「でも――神谷くんは嘘はつかないわ。そんな気がするの」
優菜は柔らかく微笑んだ。たしかにコイツが家に来た時も「認めない」とは言ってたけど、「嘘だ」とは言ってなかったしな。まあ、信じてくれるなら一安心――
「だから神谷くん!!」
「うおっ!?」
優菜は急に身を乗り出し、俺の両手をがっしりと掴んだ。あの時と同じように目を見開いて、俺の顔に迫ってきている。こわい!
「あなたに彼女さんがいようがいまいが関係ないわ! 必ず好きになってもらうから!」
「そ、そうかよ」
「わ~、やっぱりお兄ちゃん愛されてる~!」
真帆はストローでジュースを飲みながら、のんきに俺たちのことを見ていた。さっきは流石のコイツも焦っていたが、優菜が信じてくれたことで安心したらしい。一方でいおりは変わらず怪しんでいるし、雪子もすまし顔を崩していない。……なんとか誤魔化せているといいんだが。
この後、俺たちはカフェを出て帰宅の途に就いた。俺は固まって歩く女子四人の後ろについていたのだが、その途中で優菜が俺のところに寄ってきた。
「今日はありがとう、神谷くん」
「別に感謝されるようなことはしてねえよ」
「ううん、いきなりデートしてとか無茶ぶり言ったのに応えてくれたから」
「そうか」
「楽しかったよ、また行こうね」
「それはねえ」
「えー、ひどいなあ」
優菜はにっこりと微笑んだ。どうやら今日のデートはマドンナ様のお眼鏡にかなったらしい。いろいろあったけど、とりあえず満足してくれたならまあいいか。
俺たちは電車に乗り、朝待ち合わせした駅へと戻った。優菜とその取り巻きたちとはここで別れ、俺と真帆は二人で自宅へと歩き出す。
「いや~、いろいろあったねお兄ちゃん」
「俺はもう疲れたよ」
真帆の歩く速度に合わせ、いつもよりゆっくり歩いていく。ふと横を見ると、いつの間にか真帆はベレー帽を被っている。あれ、さっきまで野球帽被ってたのにな。
「真帆、帽子どうした?」
「ん? ああ、ちょっとね」
真帆は髪をかき分けて少し照れ臭そうにしていた。朝と同じように顔を赤らめ、俺のシャツの裾を掴んでいる。……やっぱり可愛いな。
本当は俺だって、こんな可愛い彼女がいるんだと皆に自慢してやりたい。街中で堂々と手を繋いで歩きたい。何より、真帆に窮屈な思いをさせたくない。――けど、そうは問屋が卸さないというものだ。
「なあ、真帆」
「なあに?」
「皆に付き合ってるって言えないの、嫌か?」
そう問うてみると、真帆はこちらに顔を向けた。きょとんとした表情で、不思議そうに返事してくる。
「なんで? 私はお兄ちゃんと付き合ってるだけで十分だよ」
「……そうか」
「うん」
真帆は小さく頷いた。きっとこの発言は本心からのものなのだろう。真帆の一番のいいところは素直なところだ。兄としても彼氏としても、そのことは誰より一番分かっているつもりだ。
「お前はいい子だな」
「もー、子ども扱いしないでよ~」
俺がぷにぷにとほっぺたをつついてやると、真帆は少し不機嫌そうにしていた。そしてぷりぷりと怒りつつ、俺のシャツを掴んだ手をそっと離した。どうするのかと思っていると、とてとてと歩いて俺の目の前に回り込む。
「どうした?」
「でもね、いつかは皆に言いたいの! 私はお兄ちゃんの彼女だって。だからね――」
真帆は真っ赤なベレー帽をそっと外して体の前に抱えた。そしてはっきりと、俺に向かってこう宣言したのだ。
「お兄ちゃんにふさわしい子になれるよう、頑張るから!」
とびきりの笑顔でウインクしてくれた真帆は、たとえ優菜でも勝てないくらい眩しく見えた。今はまだ、真帆との関係は秘密のままだ。でも、いつかは。いつかはお前を皆に自慢してやるからな――
◇◇◇
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