第3話 マドンナ、宣戦布告

「あら、そこにいたのね神谷くん!」

「ゆ、優菜……?」


 優菜はトレードマークの黒髪をたなびかせ、門柱の前に立っていた。真帆は不思議そうな顔で優菜の方を見ている。とりあえず来訪目的を尋ねなければ。


「お前、何しに来たんだ?」

「決まってるじゃない! 神谷くんの彼女さんがどんな人かなって見に来たの!」

「え、ええ……」

「だってお家に彼女さんがいるんでしょ?」


 家に彼女がいるとは言ったが、本当に確かめに来る奴がどこにいるんだよ!?


「あのなあ、お前」

「ようこそ、優菜さん!」

「ちょ、真帆!?」


 追い返そうとしたのだが、いつの間にか真帆が俺の近くに寄ってきていて、優菜を招き入れようとしていた。お前、彼氏に告ってきた女を家に入れるとか正気か? 


「あら、あなたは……」

「真帆です!」


 真帆は純粋無垢な笑顔を優菜に向けていた。……この状況、まずくないか? 優菜は俺が彼女と一緒に住んでいると知っているわけで、そうなれば真帆が彼女だとバレてしま――


「知ってるわ。神谷くんの妹でしょう?」

「その通りです!」


 何が起こってるんだ?? 優菜、なぜ真帆が俺の妹だと分かっているんだ? そもそも妹がいるなんて話したことはなかった。……いや、むしろ好都合かもしれない。優菜だって、まさか妹が彼女だなんて思っていないはず。


「とにかく、帰ってくれよ。話すことなんて何もない」

「えー、上がってもらおうよお兄ちゃん」

「ほ、本気か?」

「私、優菜さんがどんな人か知りたいなー。ねえ、優菜さん?」

「神谷くん、物分かりが良い妹さんね!」


 ヤバい、一体どうなっちまうんだ。何故か俺の家の場所を把握したうえで突撃してきたマドンナと、それを堂々と招き入れようとしている妹(彼女)。これが修羅場でなければなんと呼べばいいんだ。


「どうぞどうぞ優菜さん、上がってください!」

「じゃあ、お邪魔しまーす!」

「ほら、お兄ちゃんも早くー!」

「あ、ああ」


 真帆に促されるまま、玄関へと向かった。どうやら、真帆は本当に優菜のことを知りたいみたいだ。彼氏に告白してきた女がどんな奴か見定めてやろう――というような性格の悪い奴ではないからなあ。


***


 俺たちは居間に入り、ちゃぶ台を三人で囲んでいた。


「お茶でいいですかー?」

「あら、お構いなく」

「別にいいですよお、せっかくお兄ちゃんのクラスメイトの方が遊びに来てくれたんですから」


 真帆はポットから急須にお湯を注ぎながら、優菜と会話を交わしていた。優菜が俺に告白してきたということは真帆も把握しているはず。その割に動揺もせずにお茶を出しているのだから、肝が据わっているというかなんというか。


「はい、どーぞ」

「ありがとう、いただきます」


 優菜は湯飲みを受け取ると、ふーふーと茶を冷ましていた。さすが女優というべきか、所作がいちいち上品だ。こうなってしまった以上は仕方ない。どうにか乗り切るしかないな。


「もう一回聞くけど、何しに来たんだ?」

「あなたの彼女さんを見に来たのよ」

「どういうことですか、優菜さん?」

「私が神谷くんに告白したら『家に彼女がいるから』って断られちゃったのよ。ねえ、神谷くん?」

「ふ~ん……」


 真帆は俺の顔を見てニヤニヤとしていた。俺はコイツと付き合っていることは誰にも言っていない。「家に彼女がいる」っていうのも、優菜がしつこく食い下がってきたから仕方なく言ったものだ。


「それで、神谷くん?」

「なんだよ」

「……彼女さんはどこにいらっしゃるのかしら?」


 やっぱり、優菜は真帆が俺の彼女だとは思っていないようだ。だけど妹が彼女だと言ってはいろいろと面倒なことになりかねない。とりあえず、俺は話を逸らすことにした。


「それより先に、俺の質問に答えてくれないか」

「なにかしら?」

「どうして俺の家の場所が分かったんだ」


 俺は気になっていたことをそのままぶつけた。高校に入ってまだ数週間、俺たちは互いの家の場所を教え合うほどの仲じゃない。それなのに堂々と自宅に突撃されたのだから、その理由を知りたくなるのも当然だろう。しかし――優菜はケロッとした表情で答えた。


「ああ、簡単よ。フラれた次の日、あなたのことをつけさせてもらったわ」

「はっ?」

「家を特定したあとはそのまま監視させてもらったわ。……好きなんだから、仕方ないでしょ?」

「え、ええ……?」


 優菜は不気味な笑顔を浮かべながら、上目遣いでこちらを見てきた。いやいやいやいや。学校一のマドンナ様が男子にフラれてストーカーごっことは。冗談だよな、冗談だと言ってくれ。


「家の出入りも見張らせてもらったわ。てっきり真帆さんが彼女なのかと思ったけど、ジャージの名字が『神谷』だから妹さんだって気づいたわ」


 真帆は部活帰りに運動着を着ていることが多いから、優菜はそのことを言っているのだろう。というかジャージの名字を特定出来る距離で監視されてたのかよ。


「それで、神谷くん?」


 優菜はずいっと身を乗り出し、俺の方に顔を寄せてきた。本来ならばこんな美人に近距離まで迫られるのは嬉しいはずなのだが、あいにく今日は嬉しくない。ってか、優菜の目が笑ってない! こわい!


「なんだよ」

「家に出入りしてるのはあなたと真帆さんだけだったわ。……彼女さんはどこにいるのかしら?」

「そ、それは……」


 まずい、今度こそ窮地に追い込まれてしまった。妹が彼女だと言うわけにはいかない。……が、家に彼女がいるのだと言い張るのも筋が悪い。どうすれば、どうすればこの場を切り抜けられ――


「優菜さんは本当にお兄ちゃんが好きなんですね~!」

「「へっ?」」

「お兄ちゃんったら、意地悪しちゃだめでしょ~!」


 真帆の純粋無垢な発言に、俺と優菜は戸惑ってしまう。真帆は優菜の顔を押し戻すと、いつもの口調で話し始めた。


「優菜さん、お兄ちゃんの彼女はこの家にいますよ」

「そっ、そうなの?」

「いつも一緒にご飯食べてるし、遊んでるし、お風呂なんかも入ってますよ!」

「えっ、えええっ……」


 真帆は堂々と答えてみせる。たしかに間違ってはないけど、一緒に風呂入ってたのは子どもの頃の話だろ! ……って、優菜の表情が一気に暗くなってる。


「ゆ、優菜?」

「……認めない」

「へっ?」

「私は認めないから! この目で神谷くんの彼女を見るまで絶対に認めない!」


 俯いていたかと思えば、優菜は血走った目を見開いている。こわい! しかし真帆は動揺することなく、ニコニコとその様子を眺めていた。ていうか優菜、俺の彼女は今まさにお前の目の前にいるんだが……。


「いいわ、覚悟しなさい神谷くん!」

「な、何をだよ」

「今度の月曜から――私はあなたを仕留めに行くわ!」

「はっ?」

「どんな手を使っても、私のものにしてみせるから!」

「わ~、お兄ちゃん愛されてる~!」


 鼻息を荒くして迫ってくる優菜と、のほほんと構えている真帆。これが「正妻の余裕」ってヤツなのか?


「じゃあ、今日はこれで帰るから!」

「ちょ、待てよ」

「じゃあね!」


 優菜は立ち上がってそのまま玄関の方へと歩いて行ってしまった。俺は呆然としたまま、その後ろ姿を見送る。


「……いやー、なんだったんだアレは」

「おにーちゃんっ!」

「うおっ!?」


 次の瞬間、真帆が俺の体に抱き着いてきた。がっしりと俺の腰を掴み、上目遣いで俺の顔を見上げている。……可愛いな。


「どうした、真帆?」

「お兄ちゃん、来週から大変だね~」

「お前はそれでいいのかよ」

「え? だって――お兄ちゃんは私のこと大好きだもん!」

「……そうだな」


 俺は苦笑いを浮かべつつ、真帆の頭を撫でてやった。俺の彼女は今日も可愛い。こんな日が永遠に続けばいい、そう思っていた。


 しかし、俺は近藤優菜という女を見くびっていたのである。月曜から、優菜は俺に猛攻撃を仕掛けてきやがったのだ――

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