第2話 ホットケーキと招かれざる客
あの衝撃的な告白から怒涛のような一週間だった。学校に行けば優菜はまるで悲劇のヒロインのように扱われているし、一方の俺は外道かのような扱いだ。まあ、家に彼女がいるからなんて馬鹿みたいな理由でマドンナ様の告白を断れば当然かもしれんが。
そんな日々を過ごし、ようやく土曜日になった。自室で二度寝を楽しんでいた俺だったが、階下から流れてくる香ばしい匂いで目を覚ます。今日の真帆は朝ご飯にホットケーキを焼いてくれたようだ。眠い目を擦りながら、トントンと音を立てて階段を下りていった。
「おはよう、真帆」
「お兄ちゃんおはよー!」
台所の方から元気な返事が聞こえてきた。真帆は部屋着にエプロンを着て、今日は髪をポニーテールにまとめている。俺はその姿を横目で見ながら、食器棚から皿を取り出して食卓に並べた。そして冷蔵庫からシロップを取り出し、小皿に移し替える。
「メープルシロップでいいか?」
「いいよー!」
聞かなくとも分かってはいるが、一応確かめてみた。真帆は小さい頃からホットケーキにメープルシロップをかけて食べるのが好きだ。昔は俺が焼いてやったことも多かったが、今は自分で焼いてしまう。頼もしいような、少し寂しいような、そんな気持ちだった。
「じゃ、いただきまーす!」
「いただきます」
焼きあがったホットケーキの山を前に、俺たちは食前の挨拶をした。真帆は嬉しそうにバターを塗り、メープルシロップを思うままにかけていた。もう中学生だってのに、子どもみたいな奴だ。俺も真帆を真似してシロップをかけ、食べ始める。……多いな、何枚焼いたんだ一体。
「真帆、美味いか?」
「美味しいよ!」
「そうか、良かったな」
パクパクとホットケーキを口に運ぶ真帆とは対照的に、俺はちびちびと食べ進めていた。今日は土曜日。学校に行かなくていいことに対して、心のどこかで安心している自分がいた。すると、真帆が何か言いたげな表情をしている。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「最近元気ないね」
「……そうか?」
「うん、今日だって食欲なさそうだし」
彼女だからなのか妹だからなのかは分からないが、やはり真帆にも俺の心境が伝わっているようだ。真帆はどこまでも純粋無垢で、それでいて優しい。俺が心労を抱えていると分かれば、真っ先に心配してくれる存在なのだ。
「大したことじゃねえよ」
「えー、お兄ちゃんが嘘ついてるのはすぐ分かるんだからあ」
「そうなのか?」
「……だって、彼女だもん」
真帆は少し顔を赤らめていた。そうだな、コイツは俺の彼女だもんな。よく考えたら、他の女に告白されたことを彼女に黙っているのはよくない気がする。ここはコイツにも優菜のことを話した方がいいかもしれんな。
「あのな、真帆――」
「ねえ、お兄ちゃん?」
打ち明けようとした俺の言葉を、真帆が遮った。
「な、なんだ?」
「この後……キャッチボールしない?」
***
朝食を終えた俺たちは、グローブとボールを持って庭に出た。俺は帰宅部だが、真帆は中学のソフトボール部に所属している。こうして真帆の練習に付き合ってやるのもよくあることだった。
「お兄ちゃん、行くよー!」
「おう、ばっちこーい」
俺が合図すると、真帆はきちんと俺の構えた通りにボールを投じてきた。俺はボールをキャッチすると、今度は真帆の胸元に向かって投げてやる。
「真帆ー、また肩が強くなったんじゃないかー?」
「うん、最近頑張ってるのー!」
真帆は小学生の頃からソフトボールを続けている。県の選抜チームにも選ばれたことがあって、その時は家族皆で観戦に出かけた。普段はあまり揃うことのない俺たちにとって、真帆のソフトボールは家族を一つにまとめる象徴のようなものだったのだ。
「それでさー、お兄ちゃーん!」
「おう、なんだー?」
「最近何かあったんでしょー?」
真帆はこちらにボールを放りながら問いただしてきた。俺が話しやすいように、キャッチボールを名目に家の外へ連れ出したのだろう。
「まあ、あったよ」
「どんなことー?」
「端的に言えば――女の子に告白されたんだ」
「えっ」
「おわっ!?」
俺が優菜のことを告げた途端、真帆はこちらに剛速球を放り投げてきた。慌ててグローブで受け止めると、バシン!と乾いた音が響き渡る。……もしかして、怒ってる?
「ま、真帆?」
「お兄ちゃん、それって……」
真帆は下を向いたままわなわなと身体を震わせていた。ヤバい、本当にお冠かもしれん。そうだよな、こんな重要なことを今まで言わなかったんだから誹りを免れるのは難しいか。さて、どう言い訳したものか――
「すっごいことじゃん!」
「へっ?」
「だって入学して一週間で告られたんでしょー!?」
「あ、ああ」
「お兄ちゃんったらモテモテだねー!」
真帆はキラキラと目を輝かせていた。コイツ、一ミリも彼氏を取られる心配をしていないだと……!?
「ちょ、俺が取られるかもーとか思わないのか?」
「思わないよ? お兄ちゃんは私のこと大好きだもん。違うの?」
「……違くないけど」
「だよねー! 私も大好きだよ、お兄ちゃん!」
底抜けに明るい笑顔でそう言われると、なんだかどうでも良くなってくるな。一年前に付き合い始めてから、真帆はずっとこんな調子だった。すぐに飽きて別れたいとか言い出すかと思ったが、意外にもずっと俺に一途でいてくれている。
「それでお兄ちゃん、相手はどんな子なの?」
「なんていうか、ちょっとした有名人なんだよ」
「どういうこと?」
「前からテレビとかに出てるような美人でさ」
「えー、もっとすごいじゃん!」
真帆はますます目を輝かせていた。妹として、兄がすごい女に見初められたことが誇らしいのだろう。彼女としての立場はいいのかと言いたくなるが、俺との相思相愛は全く疑っていないようだ。
「その人、どんな見た目してるの?」
「背は高くて、モデルみたいな体形でな」
「うんうん」
「髪は黒くて、それでいてロングヘアーの――」
「ねえお兄ちゃん、その人じゃないの?」
「へっ?」
真帆は俺の背後を指さしていた。振り向いてみると、そこにいるのは我が家のインターホンを押そうとしている近藤優菜。……近藤優菜? な、なぜ? 一体なぜお前がここにいる!? 家の場所なんて、教えたことはなかったはずなのに――
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