家に彼女(妹)がいるので今日は帰ります!

古野ジョン

第1話 家に彼女がいるので、今日は帰ります!

「お兄ちゃん、高校には慣れた?」

「ん、まあな」

「へー、良かった」


 味噌汁を啜りながら、妹の真帆といつも通りの会話を交わした。真帆は中学二年生で、茶髪のツインテールを揺らし、くりくりとした目玉でじっとこちらを見つめている。鼻筋も通っていて、兄目線で見ても可愛いと思う。


 ふと下を見ると、食卓には白米、味噌汁、目玉焼き、そしてサラダと並んでいる。今日は真帆が食事当番の日だ。両親が不在なことが多い俺たちにとって、家事を自分たちでこなすのは当たり前のことだった。


「そっちこそ、新しいクラスには慣れたのか?」

「まあまあかな」

「去年の今頃は泣いてばっかりだったのにな」

「もー、いいじゃんそれは別に」


 真帆はむすーと頬を膨らませて不満げにしていた。それを見て笑いながら、俺は美味しい朝飯をぺろりと平らげてしまった。おっと、そろそろ行かないと。


「すまん、俺は先に行くよ」

「あ、ちょっと待ってよ」

「どうした?」

「ふふ、いつもの」


 そう言うが早いか、真帆は俺の頬にキスをしてきた。何も変わらない、いつも通りの日常。俺は頭を撫でてやり、それからリュックサックを背負って玄関から出た。庭に置いてある自転車に跨り、高校を目指して漕いでいく。入学して一週間も経てば新しい通学経路にも慣れてくるというものだ。勢いよく飛ばしていると、横から見慣れた奴が追い付いてきた。


「よお、雄介!」

「なんだ、ヒデか」

「なんだとはなんだよ!」


 コイツの名は谷口英明。皆からはヒデとかヒデくんとか呼ばれている。中学からの同級生で、高校に入っても同じクラスになってしまった。


「今日も真帆ちゃんにメシ作ってもらったのか?」

「そうだけど」

「いいなあ、お前には可愛い妹がいて!」

「別に、妹なんてロクなもんじゃないぜ」

「え~? 真帆ちゃんみたいな妹がいたら毎日グヘヘだけどなあ!!」


 人の妹に言う台詞か、それ。ヒデは一人っ子らしく、兄弟というものに対して漠然とした憧れがあるようだった。俺からしたら真帆は(ある意味)困った存在なのだが、コイツにそのことを話しても仕方ないからなあ。


 高校に着いた俺たちは駐輪場に自転車を置き、教室に向かった。ヒデや他の奴と喋りながら、朝のホームルームまで時間を潰している。そんなとき――廊下の方が騒がしくなった。


「優菜さん、おはようございます!」

「優菜さーん、こっち見てー!」

「優菜さまー!!」


 アイドルみたいな扱いを受けているのは近藤優菜という女子生徒だ。綺麗な黒髪ロングがその長身の体型によく似合っている。まさしく正統派美人という感じで、男子も女子も総じて彼女の虜だった。あまりに美しいから、子どもの頃から芸能活動なんかもしているらしい。その優菜はついてくる他の生徒たちをいなしつつ、教室に入ってきた。


「はあ~」

「どうした、ヒデ?」

「いいよなあ、優菜ちゃん。美人でさ、勉強も出来てさ、スポーツも得意なんだろ?」

「らしいな」

「らしいなって、随分と淡白だな!」

「そうか?」

「さてはお前、優菜ちゃん以外に好きな女でも出来たのか!?」

「ちょ、そんなんじゃ」

「おらっ、言えよ雄介!」


 意味不明な理屈により、俺はヒデにとっちめられる羽目になった。とほほ、朝から騒がしい奴だ。たしかに優菜は素敵な女の子だ。けど、別に付き合いたいとは思わな――


「ちょっといいかな?」


 取っ組み合う俺たちの前に現れたのは、まさしく近藤優菜であった。その右隣には取り巻きの白金雪子、左隣には同じく取り巻きの内山いおりがいる。雪子は背が高いうえにお姉さん気質だが、いおりはちんちくりんでやんちゃな奴だ。


「な、なあに優菜ちゃん?」

「お前じゃねえよヒデ!」

「ぎゃひー!」


 いおりにゲンコツを食らい、ヒデは結構マジで痛がっていた。そのおかげで俺はヒデの拘束を逃れ、自由の身となる。こほんこほんと咳払いをしてから、優菜に問いかけた。


「じゃあ、俺なの?」

「そう、神谷くんに用があるの」


 高校に入って一週間、優菜と話したことはほとんどなかった。クラスの、いや学校一のマドンナにして、高嶺の花である存在。そんな彼女が俺に用事とはいったいなんだろうか。


「今日の放課後、校舎裏に来てくれないかな?」

「へっ?」

「話はそれだけ。じゃあね」

「オメー、ぜってー来いよな!」

「ふふ、楽しみに待ってますわ~」


 いおりに威勢よく脅されたかと思えば、雪子にはのほほんとした表情で誘われてしまった。……なんなんだ、コイツら? 俺、何かしたのかな。そうだ、こういうときはヒデに聞いてみれば――


「みんな聞いてくれー、雄介が優菜ちゃんに呼び出されたぞー!!」

「えーマジ?」

「そんな、優菜ちゃんが!?」

「優菜さん、どういうことー!?」


 バカ野郎!! 騒ぎを大きくしてどうすんだこのスカポンタン!! などと思ったが時すでに遅し。ヒデがスプリンクラーのごとく噂を拡散するのをなんとか止めていると、あっという間にホームルームの時間となった。騒ぎになっているっていうのに、優菜たちは戸惑うことなくむしろ落ち着いている。……なんだろう、あの自信?


 結局――その日は全く授業に集中できなかった。休み時間の度に他クラスから野次馬がやってくるし、スマホには呪いのメールが何通も来るし、いつの間にか上履きに画鋲が入ってるし。……というか、やり口がガキっぽくないか?


 そんな冗談はさておき、兎にも角にも放課後になったのだ。俺は言われた通りに校舎裏へと向かう。なんだか後ろからたくさんの生徒がついてくるし、上を見上げると教室の窓という窓から観衆がこちらを覗き込んでいた。


「待ってたわよ、神谷くん」

「ああ、来たよ」


 そこで待っていたのは、優菜、いおり、雪子の三人だった。コイツら、いつも一緒だなあ。優菜は自信まんまんといった表情で、堂々とした振る舞いである。


「羨ましいぞ雄介ー!」

「優菜ちゃん、なんでソイツなんだよー!」

「優菜さんー!」


 観客たちからはやいのやいのと野次が飛んでくる。くそう、高校入って一週間でなんでこんな目に遭わなくちゃならないんだ。何の用事か知らないが、はた迷惑な話だ。俺は優菜の方に向き直って口を開く。


「それで話ってのはなんだ?」

「単刀直入に言うわ。私と――付き合ってほしいの」


 野次馬がどよめき、俺の思考が停止した。……近藤優菜、学校一のマドンナ。幼少期からドラマや舞台に数多く出演し、高い評価を得ている名女優(wiki調べ)。そんな奴が俺に告白――なんて、天地がひっくり返ってもあり得ないことだと思っていた。


「へ?」

「聞こえなかった? 私と交際してほしいって言ってるの」

「え、ええ……?」


 ますます周りが騒がしくなっていく。二人の取り巻き(特にいおり)の視線が痛いくらいに突き刺さり、早く返事をしろと要求されている気分だ。優菜はYesの返事だけを待ち続けているようで、既に勝ち誇ったような表情である。……けど、俺の返事は違う!


「それで、お返事は?」

「たしかに君は美人だし、何でもできるし、素敵な人だ」

「そうでしょうそうでしょう?」

「そんな君が告白してくれたのだから、受けるのが男というものだろう」

「うんうん、そうよね当然よね?」

「だけどな」

「うんうん……え?」

「こちらも単刀直入に言わせてもらう。付き合えん」

「「ええーっ!!!??!??」」


 次の瞬間、三度観衆がどよめいた。さっきまで自信に満ち溢れていた優菜は動揺を隠せておらず、左隣にいたいおりも目を丸くしていた。右隣の雪子も「あらまあ」といった感じで口元を覆っている。……なるほど、コイツらは告白が成功するもんだと確信していやがったんだな。優菜は焦った表情で詰め寄ってくる。


「か、神谷くんどうして!?」

「どうしても何も付き合えねえってだけだ。それ以上言うことはない」

「なんでなんで!? 私あの近藤優菜よ!?」

「お前が美人だろうが何だろうが関係ねえって。付き合えないんだから仕方ないだろ」

「私が嫌いなの!?」

「嫌いじゃねえよ」

「美人を鼻にかけてるのが嫌いなの!?」

「それは嫌だけどそこじゃねえよ」

「洗濯機に靴下そのまま入れるのが嫌なの!?」

「それはちょっと嫌かもしれん」


 ちゃんと洗濯の時は裏返さないと真帆に怒られるからな。などと考えていると、周囲からは驚きの声が響き渡っていた。


「なんで断るんだー!」

「優菜ちゃん可哀想だろー!」

「罰当たりめー!」


 勝手に告白されたのはこっちだってのに、罰当たりってのは酷くねえか。とにかく、こんなところにはもういられない。俺は優菜たちに背を向けて駐輪場へと歩を進めていく。しかし、後ろから引き止められた。


「ま、待ってよ!」

「なんだ?」

「……納得できない。本当の理由を教えてよ!」


 俺が優菜と付き合えない理由はシンプルだ。けど、それをみんなの前で明かすわけにはいかない。少し思考を巡らせてから、改めて優菜に告げた。


「家に彼女がいるので、今日は帰ります」

「へっ……?」


 優菜は衝撃のあまり、その場にへたり込んでしまった。取り巻きの二人が介抱するのを尻目に、俺はゆっくりと歩き出す。


 家に彼女がいると言ったのは方便でなく本当のことだ。つまり、俺は妹である真帆と付き合っているのだ。さてさて、早く帰らないと。家には可愛い可愛い彼女が待っているのだからな――

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