第1話

いつものように、一日の終わりにベットの中に入ってスマホを触っていた。

特に誰と連絡を取っているわけでもなく、

音楽を聴くわけでもなく、

動画サイトで、有名な人の動画を見るわけでもなく、

ただ触っていた。


なんとなくで作った今流行りのSNSのアカウント

勝手に選ばれた「あなたへのおすすめ」をスクロースしながら、

ただただ眺めていた。


そんな中、一つのアカウントを見つけた。


【歌い手?なにこれ?】

少しだけ動画を見てみることにした。

好奇心だった。アイドルとかに興味はなかったし、音楽は嫌いだった。

でも、少しずつ歌を聴くようになった。




ある日、高校のオープンキャンパスに行った。

市内ではそこそこの偏差値の進学校。

特にそこでしたいことも学びたいこともなかったけれど、

なんとなく自分はここを第一志望にするのだろうと思った。

学校の説明を受け、家に帰り、学校へ提出する見学感想レポートを作成する。

レポート用紙には事細かにオープンキャンパスの内容を記入するように

指示されていた。

「だる。」

誰もいない部屋の中で舌打ち交じりにそう呟いて、シャープペンの音を鳴らす。




「ねぇねぇ、飴ちゃんはどこを受けるか決めたの?」

小学校のころからの友達の{岸辺 優}が休み時間に私に尋ねた。

「私、飴ちゃんじゃないんやけど、ちゃんと{雨野桜}っていう名前が

あるんですけど、」

そう答えると、彼は、

「別にいいじゃん、苗字にあめの漢字あるし、」

と意味不明なことを言って、笑いながらふらっとどこかに行った。


別にいいか。

どうせあいつしか呼ばないんだから、



一日が終わり、すっかり一日のルーティンに組み込まれた【歌い手検索】は

思ったより奥が深い気がした。

顔は出さず、正体不明の人物

きっと町ですれ違ったとしても、この人に誰も気づかないだろう。

でも確かにこの世界に存在していて、

それを名前も知らない【誰か】から認識されている。

少しだけうらやましく感じた。

自分も誰かから個人として認識される存在になりたいと思った。



そこから、歌い手になるには、具体的にどうすればいいのか調べてみた。

パソコンやマイクなどの機材を揃えて、部屋を防音使用にしなければならない。

イラストやMIXの依頼、人に聴かせれるレベルの歌声にすること

費用も時間も馬鹿みたいにかかるらしい。

おまけにそれで食べていけるのはほんの一つまみ程度。


{こんなの無理でしょ。いくらかかるんだよ。}

調べながら、内心こんなことに時間とお金をかけても

人気になれるとは言い切れない、これに果たして意味はあるのかと思った。


とりあえず、時間があるときに歌の練習をしてみることにしてみた。

初めて自分の意志で努力することは気持ちよかった。




学校に行って、塾に行って、帰り道に無線のヘッドフォンを使って

練習している曲をひたすら聞いて音と言葉を体に染み込ませていく。

そうして一日を終える日が何日も何か月も続いた。


今日もいつものように曲を聴きながら学校へ行き、家に帰っていた。

家のドアを開けると、姉の靴が目に入った。


【今日だったんだ。】

ため息をつきながら居間のドアを開ける。


「お帰り~。さくらぁ~。」

ひらひらと手を振りそう声をかける姉の姿は前回会った時と変わらない姿だった。

手にはビール缶を持ち、少し酔っぱらっていた。


「ただいま。咲ちゃん帰ってたんだね。」


「そうなのぉ。明日から急に3連休になったから家に帰ってきたのぉ。」


「そうなんだ、お疲れさま。」

大丈夫、正しく返せている。

自分でそう言い聞かせながら、この緊張が姉に伝わらないように

最大限の注意を払う。



「あら、帰ってたの?」

穏やかな口調に熱をもたない声が背中に刺さる。


「うん。ただいま。」

笑顔でそう返す。

「今日は咲が帰ってきているのよ。お姉ちゃん疲れてるんだから、

ちゃんとしなさいよ。」


「そうだね。  お風呂温めてくるから少し待っててね。」

そう言いながら、足早に部屋を出た。

壁越しに聞こえてくる母と姉の楽しそうな声に心底吐き気がした。




姉の咲は私と正反対で

大人びた声

平均的な身長

女の子らしい姿、しぐさ

成績優秀

社交的な性格

だった。


大体のものが数回練習すればできてしまうので

プライドと理想の高い両親から溺愛されていた。


私は、何十回も何百回も練習しないとできなかったので、

次第に親からの期待と関心が薄れていくのが子供心に感じていた。

冷めきった視線、姉に接するときと私に接するときの温度差、

すべてが齢5歳の子供に刺さり続けた。

他人の決めた勝手な理想は人の首をこんなにも絞めるものなのだと気づいた。

それでも、人の心とは不思議なもので、何万回もそんな瞬間を経験すると

氷に触れ続けると指の感覚がなくなるように、

何も感じなくなってしまうものらしい。


【しんどい】が【私の日常】になっていた。



お風呂の追い炊きをして、その間に部屋着に着替える。

追い炊きが終わったら、そのことを報告し、

部屋に戻った。


「疲れた。」

姉と両親のいる場にいることは、テスト期間のあの緊張感に似たものがある。

自分の行動一つでその後が変わってしまうような、そんなものがあった。

だから、疲労感はいつもの倍以上だった。


お風呂にも入らず、気づいた時には、夜明けだった。



姉が帰省している間の2日間はとても長く感じた。


両親・姉の機嫌を見ながら、私は息を殺すように生活した。




歌を聴く暇などはあるわけもなく、私の心は乾ききっていた。

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