第24話 異物への手紙 


 その日の記憶はあまりない。

 確か、毛利を市街地まで送り届けて、それから帰宅し、ずっとぼーっとしていた。


 気がつけば、時刻は23時。一体、一日中何をしていたのだろうか‥。私はベッドの上で仰向けとなり、真っ白な天井を見つめている。


 頭の中では、瀧宮と星海の顔がぐるぐると混ざり合っていた。

 私は背中を火で炙られるような緊迫感に抑え込まれ、朦朧とする意識の中、二人の名前が交互に口から漏れる。



私「瀧宮‥。星海‥。違う、俺じゃない。」



 結局、眠りについたのは午前4時。通常よりも約4時間ほど遅い時刻となった。



 意識が現実から夢の世界の狭間に差し掛かった時、頭の中で様々な景色がフラッシュバックする。



 誰もいない「タイヤ公園」。



 「妖怪衆」に襲われた女子が投げ捨てられた川。



 そして、私が手紙を置いた石像‥。



 特に、なぜかこの三つの映像が交代に何度も視界に現れた。

 また、石像の目は私の方をじっと見ている気がした。

 



 その後、意識はだんだんと楽になり、私は不思議な夢の世界へ誘われた。









 夢の中で私は、塾の講師をしていた。現実とはかなりかけ離れたシチュエーションだが、夢特有の雰囲気にのまれ、その仕事をしていることに対しての違和感は全くなかった。


 また、私が教えていたのは高校生の女子で、彼女は日々の勉強に疲れているのか、授業中にも関わらず机に突っ伏して眠っている。


 

 すると、生徒をちゃんと指導しているか確認するため、塾長が各テーブルを循環し始めた。私は塾講師の経験がないため少し戸惑ったが、このまま眠っている彼女を放置していれば塾長に怒られるかもしれないと思い、女子の肩を揺さぶって起こそうとした。


 が、体が私の思い通りに動かない。私の両手は膝上で石のように固まっている。

 そして、その数分後ぐらいだろうか、私の口が勝手に動き出した。



私「おい、起きて。早く。」




 まるで私の体は、別の人間の意思によって操られているようだ。いや、それとも、別の人間の体に私の意識が入り込んだような感じにも思える。

 しばらく考えて、後者の方が正しいと気づいた。よくみると、この体は結構な筋肉質であり、今の私とは少し違う体型をしている。



 一体、私の意識は誰の体に入り込んだのだろう。そんなことを思っていると、右手が私の意思とは無関係に動き出し、彼女の肩を揺すり動かした。


 


 ついに、その女子はゆっくりと顔を上げる。



 そして、私はその顔を見て驚いた。それは、制服を身に着けた瀧宮だったのだ。



私「え‥瀧宮。」



 すると、彼女は真剣な顔になり、「‥ごめんなさい。」と言ってテキストの問題に取り組み始めた。


 そういえば、毛利の話によると、瀧宮は専属の塾講師に性的な嫌がらせを受けていたという。つまり、私はこの時見た夢は、過去の世界のワンシーンだとでもいうのだろうか。

 ということは、私が借りているこの体は、瀧宮に性的な嫌がらせをしていた大学生の塾講師のものだろう。彼の視点を借りているため、その顔を確認できないのが少し残念である。


 


 



 ふと、改めて彼女を見ると、また何か嫌がらせを受けるのかというような不安な顔をしていた。警戒するように、私、つまり当時の担当塾講師の方をチラチラ見てくる。

 

 しかし、話に聞いていたようなボディタッチなどのハラスメントは、いつまで経っても行われなかった。ただ彼は、「はぁ‥。」と困ったような溜息をついている。



講師「瀧宮‥次回から、お前の担当教師を変えてもらうことになった。理由はわかるだろ?まぁ、これまでのことは水に流してやるから、新しい先生のところでも、頑張れよ。」




 すると、瀧宮はシャープペンを走らせるのをやめ、ペン先で講師の裾をツンツンと触り、小さな声で言った。



瀧宮「私のことが、そんなに嫌いなの?」



 私は首を傾げた。性的な嫌がらせを受けている瀧宮はてっきり担当講師を嫌っているのかと思ったが、どうもそうではなさそうだった。


 話では瀧宮が一方的に教師から嫌がらせを受けていたようだが、この夢ではなぜか、逆に彼女が教師に対して好意を持っているようだ。



 


講師「そんなことはない。俺はお前を志望校へ受からせるため、必死に教えているんだ。

 お前の好意は嬉しいが、先生はここに恋愛をしに来たんじゃない。志望校に一人でも合格させるためにアルバイトしているんだよ。だから、頼むから勉強してくれ。」



瀧宮「でも‥私と先生は、3歳しか違わないんだよ‥。先生にとって私は、ただの生徒かもしれないけど‥。」


 そういえば、担当講師は大学生だったか‥。

 そんなことを思っていると、瀧宮の頬を伝った水滴がボタボタとテキストに落ちた。私はその高校生とは思えない洗練された化粧技術に彩られた目元がゆらめくのに見惚れてしまった。




 すると突然、彼女は強い力で講師の腕を掴む。



瀧宮「‥先生が全部悪い。全部先生が悪い。」



 呪文を唱えるように、鼻声の瀧宮はぶつぶつとつぶやく。



私「ああ、俺も悪かった。これまでお前の小さな要求を飲んできたのが間違いだったよ。

 テストで高得点を取ったらベタベタに誉めてくれとか、手を握ってくれとか、自分の作ったご飯を食べてくれとか‥。お前は俺に様々な要求をしてきたよな。


 それを俺が受け入れてきたのは、お前の勉強する意欲を少しでも上げるためだった。


 しかし、点数は確かに上がって行くが、それに比例するようにどんどん要求もエスカレートするばかりだったじゃないか。

 何度も言うが、そんなことがしたくて、俺は勉強を教えているんじゃないんだよ。」




瀧宮「どうして、そんなに拒絶するの‥。それぐらい、いいじゃん‥」



私「あのな。お前がそんなに自分の要求を他人が飲んでくれないことに腹が立つのは、お前がこれまで甘やかされてきたからだと思うぞ。

 小さい頃から、その容姿のおかげで、面白いぐらい恋愛が成就してきたんだろう。というか、そう俺に自慢してたよな?


 だがな、この世の中において、そもそも意中の人が振り向いてくれないのは、よくあることなんだ。好き嫌いとか関係なく、状況や立場が絡んでくると余計にな。


 そういう時は諦めるしかない。大人になってくれ。」



瀧宮「そんなの、嫌だ。嫌だよ。」



私「もうやめてくれ。正直、お前の担当は疲れるし、毎回ヒヤヒヤするんだ。お前の母親も、俺がお前に言い寄っていると誤解しているし、こんなことは言いたくないが、早く担当を外れたいよ。本当に、もうやめてくれ。普通に授業をさせてくれ。」



瀧宮「ちゃんと私が一方的に先生を好きだって、お母さんにも言ってるよ。」



私「そう言ってもな。今は世間的に、どんな状況だろうが、なぜか俺ら講師に責めを負わせたがる風潮があるんだ。お前が一方的に悪い場合でもな。この国が、早くその歪みに気づいて欲しいものだよ。

 だから、俺がどれだけ真実を言っても、誰も聞いてはくれないよ。」


 


 瀧宮はそれでも引き下がらず、鼻水をすすりながら私を見た。



瀧宮「ふぅん。じゃあ‥。もう私、死のうかな‥。そしたら楽になれるし、先生も幸せになるよね‥。」


 彼女はシャープペンシルの芯をカチカチと長めに出し、自分の喉に当てる。



私「そんなもので死ねるとでも思っているのか?」


瀧宮「同じことを、今日、家に帰ってから包丁でやる。」


私「やめろ。」



瀧宮「ふふふ‥。嫌だ。」


 瀧宮は涙をこぼし、壊れたようにクスクス笑う。もう、彼女は、担当講師を自分へ繋ぎ止めるために、このような極端な手段へ出るしかなかったのだろう。しかし、堪忍袋の尾が切れた講師は、ついに立ち上がって彼女を怒鳴りつけた。

 



私「いい加減にしろ。お前のそういう行動は、はっきり言ってすごいストレスなんだ!!


 いいか。この塾は給料がいいわけじゃないんだぞ。だから、俺のモチベーションは、生徒の夢を叶えるという達成感だけだった。が、その唯一のやりがいも、お前のせいで全部ぶち壊しだ!」


 すると、私の大声を聞いて、塾長が慌てて走ってくる。



塾長「あ、あの‥、何かあったんですか?」



 瀧宮は塾長とは目を合わせずに言った。



瀧宮「‥私、先生と一緒じゃないと、志望校に受かる気がしないんです。お願いです。担当を別の先生にしないでください‥。」



 夢はそこで終わっていた。





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