第11話 狂気に支配される



 時刻は22時。


 毛利と別れた後、私はそのまま帰宅した。そして、風呂を浴びたり、夜食を食べたりして、今ベッドの上にいる。 


 が、何を食べたとか、そういう細かい記憶は全くなかった。




 私はただひたすら、瀧宮のことを考えていたのだ。そして、今、そのことで頭をいっぱいにし、眠ることができない。



 真っ暗な部屋には、白い月明かりが差し込んでいる。今頃、「タイヤ公園」で彼女は何をしているのだろうか。



‥悩み疲れて、意識が朦朧もうろうとする。




 さっきから、瀧宮は私を求め、腕に中で助けをうようにささやく。



瀧宮「塾であんな目に遭ってから、対人恐怖症になっちゃって‥。だから、私、心を開くのに時間がかかるんだ‥。」



私「瀧宮。」



 そう言って私が掴んだのは、瀧宮の体ではなく、ただの掛け布団である。今の彼女の言葉も、私が作り出した妄想が発したものだ。


 このまま眠れない夜を過ごせば、明日の仕事に支障をきたす。


私「‥‥そうだ。」



 ここで私は、あることをひらめいた。二階の寝室を出て、一階の台所へ向かう。

 階段を降りる猫背の影が、飢えた動物の姿に見えた。





 さて、私は台所に立ち、湯たんぽを三つ取り出した。そこへ80度のお湯を注いでゆく。


 そして、まるで人造人間を作成するかのように、それら熱した湯たんぽを一番肌触りの良い毛布にくるんだ。


 こうして出来上がった装置は、人間の体温や肌感を実感できる、即席の抱き枕である。瀧宮のことを想像しながら、これを抱きしめて眠るほか、今の私を眠らせる方法などないのだ。


 私は電気を消し、それを抱きしめた。




私「‥‥。」




 が、しばらくして、再び明かりをつける。


 ガラス張りのドア付き本棚に、私の無表情な顔が映し出された。よく見ると、涙の線が頬を伝っている。どうも目頭が熱いと思った。私は泣いていたのである。


 一体、私は何をしているのだろう。灰色の毛布で作った抱き枕をむなしく眺める。


 実はこの枕に対する私の評価は高かった。人間の体温をうまく再現できていたと思う。

 しかし、どれだけ肌触りが良いとはいえ、所詮はただの羽毛である。人間の肌とは感触が明らかに違った。

 その触り心地で、気持ちが覚めてしまったのだ。



 私は黙って毛布をほどき、湯たんぽをカゴへ入れて台所へ戻った。そして、キャップを回し、まだ煙が出るほど熱いお湯をシンクへ流し込んでゆく。






私「やっぱり、本物じゃないと‥。」



 そして、まな板のそばにある包丁に目をやる。



私「‥。」




 そこで私はハッとなった。 

 

 私は、この時、1年前に瀧宮を車へ連れ込もうとした男性教師のことを想像していた。

 彼女を包丁で脅し、車に入るよう要求する。実際、こんなことがあったか分からないが、その描写が鮮明に頭へ浮かんだのだ。


 だから、無意識に包丁へ視線が向いただけだ。



 

 

 

 しかし、なんだか恐ろしくなり、私はスマートフォンを見た。すると、毛利からのメッセージが来ている。


毛利「メッセージ送ってみたよ。届いてる?」


 すると、私に血の通った人間らしい表情が戻った。さっき、毛利と話した楽しい雰囲気を思い出したのだ。即座に私もメッセージを返す。


私「届いてるよ!お前、まだ寝てないの?」



毛利「私はね、家で酒飲んでるよ!さっきまで居酒屋にいたけど、閉店で追い出されちゃったからね。君は?」


 そこから、少しだけ彼女とやり取りをした。特に内容のないアホな会話だ。大学では、落ち込むことがあっても、こんな友達との会話をするうちに忘れてしまったことを思い出す。



 もしかすると私は、特に恋愛に関して、とても陰湿で凶暴な性格をしているのかもしれない。きっとそれが、これまでは友人との関わりによって、外部に出てくるのをき止められていたのだとすれば‥。


 私は夢中でキーボードを打ち、1時間以上は毛利を拘束した。当然ながら、彼女の体力が消耗していることが、文面から伝わってくる。



私「なぁ、まだ話そうぜ!」



毛利「ちょっとごめん。眠い、死にそう。」



私「おい、お前ならまだいけるだろ?学生時代、カラオケで夜を明かすなんて、全然余裕だったじゃないか。」



毛利「うぇぇ。頼む、寝かせて‥。」



 私は明るい文章を、無表情で打ち続ける。

 彼女との会話を終わらせてしまえば、また瀧宮のことで悩んでしまうから、せめて私が眠るまでは会話を続けてほしいのだ。


 彼女からの返信を受けるたび、鎮痛剤を投与されるような気分だった。これを切らすことはできない。



 しかし、時刻が0時をまわった時、毛利から連絡が返って来なくなった。ついに眠ってしまったのだろう。



私「おい、毛利‥。まじか、寝てしまったか‥。」


 私はスマートフォンをまな板の隣にガチャンと置いた。


 そして、気がつくと、いつの間にか左手には包丁が握られている。



私「待ってくれ‥。落ち着いてくれ‥、俺‥。」


 汗ばむ手で、それをゆっくり元の位置へ戻した。そして、しばらくリビングのテーブルにひじをついて、心が落ち着くのを待った。



 が、やはり気持ちが晴れることはない。

 私は、狂気に四肢を支配され、ついに行動を起こしてしまった。



私「‥。どうせ寝られないし、今から会いにゆくか‥。「タイヤ公園」へ‥。」



 私は眠っている両親に気づかれないように、車の鍵を探す。そして、洗濯物置き場に脱ぎ捨てられたズボンのポケットからそれを取り出すと、ポテトチップスと一緒にカバンに詰め込み、そのまま家を出た。


 このお菓子は、瀧宮にあげるためのものだ。昼間、「タイヤ公園」で私の隣にいた中年の男がそうしていたように‥。


私「‥喜んでくれるかなぁ。」


 時刻はすでに0時半。公園に到着する頃には、午前2時である。













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