第8話 もう一つの社会問題
不安で心をいっぱいにしながらアクセルを踏む帰り道、私は「タイヤ公園」の横を通った。
すると、やはり白パーカーの子の顔を思い出す。そしてもう一度、彼女の顔を見たくなった。名前は、確か「瀧宮」だったはずだ。目が大きくて、唇が薄い‥。あの顔が忘れられなくなっている。
時刻は15時。女子たちは遊具から出てきて公園の周囲を清掃していた。皆、おそらくは貰い物のサンバイザーやサングラスをかけて業務にあたっている。しかし、瀧宮の姿はそこになかった。
私の眼は白いパーカーを追って、上下左右に動く。
すると、「タイヤ公園」から少し離れた道路脇に、白い服のシルエットが移動しているのが見えた。
私「あ‥。」
間違いない。あれは瀧宮だ。カゴに大量の衣類を詰め込んで、それをどこかに運んでいる。
おそらく、「タイヤ公園」に住むメンバー全員分の服を、歩いて行ける距離にあるコインランドリーで洗濯をするつもりなのだろう。
気がつけば、私はブレーキを踏み、車のスピードを徐々に落としていた。
瀧宮の周囲に人がいない今、彼女に話しかける絶好のチャンスである。しかし、いきなり現れた車から降りて、初対面の相手に話しかけるのは恐怖を与えてしまうのではないかと思い、この時完全に車を停車させることはできなかった。
しかし、このままでは、あと数秒で彼女とすれ違ってしまう。そうなれば、せっかくの会話の機会を失ってしまうのだ。そんな強い感情が、より深くブレーキペダルに私の足を
だが、仮に私が車を停車させたとして、一体なんと声をかけるのが自然なのだろう。そんな難題の解決が、早急に求められた。
「あの、『タイヤ公園』にいた子だよね。」
「今からどこへゆくの?」
どれを取っても、不審者として怖がられるに違いない。
だめだ、何も思いつかないし、もう彼女は目と鼻の先にいる。
例えば、彼女はその両手に抱えているカゴに積まれた大量の衣類を、石に
そうすれば、その地面に散らかった服をカゴにもどすという口実で、彼女に話しかけることができる。
‥
しかし、何事もなく、私の車は道路脇を歩く瀧宮を追い越してしまった。起こることがあり得ない奇跡を望んでいる暇があったら、たとえ数秒の間だったとしても、自然な感じで彼女に接する言葉を考えた方が建設的であったと後悔する。
が、もう遅い。車はこれから彼女との距離を離してゆくだけだ。
サイドミラーに映った彼女の顔に目をやる。やはり、私のタイプというか、絶対に他の男に渡したくない焦燥感が込み上げるほどに、可愛らしかった。
何かしないと一生後悔する。それで私はいいのか。
そんな強迫観念に駆られ、額に汗が滲んだ。
そして、私の車は走るスピードをさらに落とした。今は時速10kmほどで走行している。これは、人が早歩きするぐらいの速度である。
ふと、瀧宮は立ち止まって、私の車を不思議そうに見ていた。それはそうだ。ここはほとんど人がいない道路。こんなゆっくり走っていては、不自然極まりないだろう。
私「ど、どうすれば‥。どうすれば‥。」
私はハンドルを強く握る。
ところで、ここは公園から結構離れており、周囲には誰もいない。
私は心のなかで、ある考えを巡らせた。
‥彼女の身柄を拘束し、この車に連れ込んではどうか。
だが、これは私の目標を達成できない。なぜなら、私は彼女の身体をどうにかしたいのではなく、その心を自分のものにしたいのだ。この車に無理やり連れ込めば、彼女は私に恐怖心を抱き、二度と好意を持つことはないだろう。
こんな悪手を取るわけにはいかない。
が、やっぱり、この二度とないチャンスを逃すのも惜しいことだ。
私は改めて瀧宮を見る。すると、今度は彼女が明らかに
私「あっ‥。」
なんと、私は悩んでいる間に、気がつけば車を完全に止めていたのだ。
ということは、瀧宮からすれば、目の前で見知らぬ車が止まったことになる。それで、恐怖を感じているのだろう。
私「ああ‥。もうだめだ‥。」
私は
だけど、もう、こうなったら後に引くことはできない。勢いよくドアに手をかけた。
すると、その瞬間のことである。
〜♪
突然、私のスマートフォンが鳴り始めた。上司からの着信である。私は慌てて窓ガラスに頭をぶつけた。
どうやら、あまりに私の帰りが遅いので、電話のかけてきたのだろう。
私「あっ!はい、もしもし!」
車から飛び出た私は、ガードレールのそばで電話に応答した。
上司「おー!お疲れ!!」
電話口から上司の声が聞こえる。
すると、後ろで立ち止まっていた瀧宮は、ほっとした表情でまた歩き始めた。怪しい車が目の前に停車したのは、自分を
上司「おう。あれから随分時間が経つが、大丈夫か?」
私「ああ。実は、市長に捕まってしまって。はい。これから帰ります‥。」
会話をする私のそばを、瀧宮は
そして一瞬だが、手を伸ばせば肩を触れる位置に、彼女はいるのだ。私は気づかれないように、彼女の後頭部の上3cmぐらいのところへ手のひらをかざす。一本だけ浮いている髪の毛に、中指が触れた。まだ、瀧宮は気づいていない。
上司「お‥、おい、聞こえているか?」
私「あっ‥。はい‥。」
私は上司の言葉で正気に戻り、手を素早く引っ込める。
そして、小さくなってゆく瀧宮の背中を見つめた。そしてそれは間も無く、車道沿いの道路から分岐した狭い道へ消えていった。
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