第8話 全校集会
「どういうこと?! 女の子になった時のため、って……」
「あぁ、それはね。美咲ちゃんに言われたことがあるのよ」
母の言葉に、僕は彼女の準備があまりに良すぎることを思い出した。
まるで未来のことが分かっているかのような。
もしかして、今日の事件も知っていた……?
まさか、美咲は異能者だった、とか……?
そんな思いが心の中に去来して、僕は固唾を飲んで母の言葉を待った。
「葵ちゃん、女の子の格好が好きなんでしょ?」
母から飛び出した言葉は僕の予想の斜め上をいっていた。
「私には恥ずかしくて言えないけど、女の子の格好をしたくて美咲ちゃんの家に毎週行ってるって聞いたわ。もぅ、そんな隠さなくてもいいのに」
「い、いや……」
「それでね。もしかしたら、ハマって女の子の身体になっちゃうかもしれないから、お金がたくさん必要になるかも。って言われて、お金貯めてたのよ」
僕は何も言えなかった。何を言っているのかと思うが、実際に予想していたこととの乖離が酷すぎて何も言えなくなる、などと言うことが現実にあるのだと言うことを、僕は生まれて初めて知った。
「まぁ、タダで女の子の身体になっちゃうとは思っていなかったけど、お洋服にお金回せるから結果として良かったんじゃないかしら」
もはや前提が狂いすぎていて、何が良かったのかも分からないまま、母の言葉に頷くだけの機械と化していた。
その後はいつものように一日が過ぎ……れば良かったのだが、この身体が以前と違いすぎていた。
何より、トイレが異様に近くなったように感じる。回数自体は多くはないのだろうけど、催してから限界が来るまでの時間が恐ろしいほど早かった。それに加えてトイレでの失敗の記憶が僕に過度のプレッシャーを与える。そのプレッシャーは僕にトイレを意識させ、結果として気になるとすぐにトイレに向かうようになっていた。
最初のうちは、美咲の予想していた通り失敗ばかりで後片付けに時間を取られてしまう。それが終わって一息ついて飲み物を飲んだら、トイレに行きたくなって失敗するというループをひたすら繰り返していた。
それでも徐々に慣れてきて、8回目には失敗せずにトイレを出ることができた。
「やった! 一人でちゃんとトイレに行けたぞ!」
まるで小学生が言うような言葉が思わず漏れるほどの達成感だった。
そして、プレッシャーを克服した僕はやっといつものように安心してベッドに入ることができたのだった。
翌日、僕は美咲から貰った服を着て学校へと向かう。電車の中は朝の通勤時間ということもあり混雑していた。昨日痴漢されかけたこともあり、警戒していた僕は階段から遠かったが女性専用車両に乗った。
「くっ、意外と人が多いな」
女性専用車両には女性しか乗っていなかった。厳密には女性だけではないが、女性率の圧倒的な高さに僕はただただ戸惑っていた。
「いやいや、僕はいまや女の子だ」
未だに自分が女の子であることに違和感を持っている僕にとって、女性専用車両は女子校に放り込まれた男子生徒のような心境だった。そのプレッシャーに耐えるために心の中で自分が女の子であることを呪文のように唱え続けた。
学校の最寄り駅に到着すると電車を降りて改札口を出て、外で待っていた美咲の方へと駆けていった。
「美咲お姉ちゃん、おはようございます。えへへ、今日のお洋服は似合ってますか?」
「えっ?! 何? 何があったの?!」
「いやだなぁ、何もありませんよ。ふふふ、変なお姉ちゃん」
「ちょっと、葵! しっかりして!」
美咲が僕の両肩を持って身体をゆさゆさと激しく揺する。僕……?
「ちょっと、待って! 揺らさないで! 僕、気分が悪くなってきた……」
「あ、元に戻った?」
「うん、ちょっと女性専用車両に乗っていたら居心地が悪かったんだ。それでずっと、僕は女の子だって心の中で唱え続けていたら、なんかホントにそんな気がしてきちゃってね。えへへ」
どうやら自己催眠に掛かっていたようで、危うく心まで幼女っぽくなるところだった。そのことに安堵する僕とは対照的に美咲は腕を組んで考え事をしていた。
「うーん……。予想外だけど、これはこれでアリなのかな? だって、葵はもう完璧に女の子じゃない」
「勘弁してよ! こんな身体になっちゃったけど、僕は僕なんだからね!」
自己催眠に掛かっておいてなんだけど、さっきまでの僕は僕であって僕じゃない不思議な状態だった。その状態がずっと続いたらと思うと怖い気持ちになってしまう。
「まあ、でも早いところ現実を認めた方が楽になれると思うけどね。彼氏とかできるかもしれないでしょ?」
「えぇぇ。それは絶対にないから!」
見た目こそ幼女っぽく見えるが、こう見えて先日までは健全な男子高校生である。もちろん、あっち方面の知識もある。それだけに僕が男と恋人になったことを想像すると嫌悪感の方が明らかに強かった。顔を青ざめさせながら首を必死で横に振る僕に美咲は屈んで目線の高さを合わせてじっと見つめる。
「ふふ、冗談だって。でも、いつかは葵も恋愛もするだろうからね」
「ぶぅ。そんなことないから! ほら、さっさと学校に行くよ!」
ずっと揶揄われるのも癪だったので、美咲の手を取ると学校へと歩き出した。
学校に着いた僕たちは、教室――ではなく、体育館へと向かう。昨日の異能者の襲撃の件で、緊急の全校集会が開かれることになったからだ。体育館に全校生徒が集まると、壇上に校長先生が上がり話し始める。
「えー、本日はお日柄も良く。先日は痛ましい事件が我が校内で発生いたしました。我々教師一同は学生の安全を守ることを第一として――」
お約束の校長先生エンドレススピーチに、全員がげんなりとしていた。ゆうに30分を超える演説を終えて、げっそりとしている学生とは対象的に校長先生ははつらつとした表情で降壇していった。
30分を超えると言っても、内容は「先日発生した異能者襲撃に関連して、学生の安全を守るために、暫定で2週間の休校を行う。その間はインターネットで授業をする」というものであった。
「ううう、疲れたよぉ」
「急かさないから、ゆっくり休んでいいわよ」
全校集会が終わると、すぐに解散となった。
しかし、小さくなった影響で帰る体力まで使い切ってしまった僕は美咲と学校の近くの喫茶店で休憩を取っていた。
「そう言えば、昨日はあれからどうだった?」
「ちゃんとできるようになったよ」
昨日の失態を知っている美咲の質問に僕は憮然とした表情で答えた。予想された通り、僕は7回も失敗した。だが、それを正直に話すのも見透かされたようで嫌だったので、詳細については伏せていたが、僕の表情を見て察したようで何も言わずにニヤニヤと笑っていた。
「もぅ、何だって言うのさ! そりゃ、7回も失敗したけど、仕方ないじゃないか。慣れていないんだし……ううぅ」
僕はそれが気に入らなくて声を荒げてしまう。それと同時に目に涙が浮かんできた。どうも女の子になってから、涙腺が前よりも弱くなった気がする。
「別に責めていないわよ。ただ、葵の仕草が可愛かっただけだって」
「えぇぇ。か、かわ、かわいい……うう」
正面から可愛いと言われて、僕の心臓が早鐘を打ちお腹のあたりがきゅうっと苦しくなった。そして、恥ずかしさから顔が火照るのを感じた。
「も、もぅ。わかったよ。うるさくしてゴメン」
「さて、葵も十分休んだし。そろそろ買い物にいこっか!」
僕たちは喫茶店を出ると繁華街へと向かった。
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