第7話 王子③

 王子が森から出られなくなって何ヶ月も経ちましたが、城からの助けは一向にやってきませんでした。


 王子は最初の人生で貧しい木こりとして、この森で暮らしていたから、家の裏に井戸と畑があることを知っていましたし、自給自足の生活を過ごすための知識も持っていました。


 だけど王子は体中が怠くて痛くて起き上がれなかったため、ここに来てからずっと、まともな食事を取ることも体を綺麗にすることも出来ず、ホコリが溜まった部屋のベッドで寝ていることしか出来ませんでした。


「ああっ、腹が減った。汗でベタついて体中が痒いし、服は臭くて気持ちが悪い。それに体は一向に良くならないし……。どうやら俺は虚弱体質のまま不老不死になってしまったんだな。ああ、失敗した。不老不死になる前に健康な体にしてもらうべきだったんだ。これじゃ、せっかく不老不死になっても意味ないじゃないか」


 王子は女神に不老不死にして貰ったからか、喉の乾きに苛まれても、空腹でどうしようもなく苦しくなっても死ぬことはありませんでした。


 だけど体は虚弱なままだったので自分で水を汲みに行くことも食事を作ることも出来なかったから、いつまで経っても喉の乾きと空腹を癒やすことが出来なくて苦しみ続けていました。


 痛みで朦朧としていた王子は、ふと女神が泉の水面で人間の世界を見ていたことを思い出し、重たい体を引きずりながら泉まで行くことにしました。


「ハァハァ……やっと泉に着いた。どうか泉よ。城の様子を見せてくれ。父上達がいつ俺を助け出してくれるかを知りたいんだ。助けが来たら女神を探してもらって健康な体にしてもらって森から出られるようにしてもらわねば……」


 王子は両親達の様子が見れますようにと念じながら泉を覗き込みました。すると泉の中心に大聖堂が映し出され、王と王妃や大勢の貴族が中に入っていく様子が浮かび上がってきました。


 泉の水面は映像を映すだけで音声までは聴こえませんが、暗い色の礼装に身を包んだ皆が必死の表情で祭壇の前に膝をつき、頭を垂れている姿を見れば、皆が神に祈りを捧げているのだと直ぐにわかりました。


「誰も助けに来ないと思っていたら、皆んなが俺を無事に助けられるように祈祷してくれているんだな。そんなのいいから早く助けに……あっ、景色が変わった。あれはどこだ?」


 王子が驚いていると泉の水面に波紋が浮かび、城の正門前が映し出されました。


 門の内側には着飾った王と王妃や大勢の貴族達が集まっていて、門の外にも大勢の民が色とりどりの花を持って道の両脇に集まっているのが見えました。


「ん?国賓でも来たのか?それとも何かの祝い事か?」


 暫く眺めていると、道の向こう側から城に向かって、三人の騎士に先導をさせた白い馬車がやってくるのが見えてきました。


 白い馬車が門の前に停まると馬車の扉が開いて、中から王と同じ黒髪と王妃と同じ金色の瞳を持った背が高くて凛々しい青年が金髪碧眼の見目麗しい女性を抱えて出てきました。


 すると、そこに集まる全ての人々が喜色満面で拍手喝采して、ふたりを城の中に迎え入れました。


「えっ!?あれは誰だ?あの髪色と瞳の色……まさか俺の弟なのか?そんな馬鹿な。だってあの男は……。いや、それよりも何故彼女があそこに?森からは出られないはずなのに……」


 王子は泉に映るふたりを見て、目を大きく見開いて驚きました。幼い頃に離宮に追いやられていた王子は今の今まで実の弟を見たことがありませんでした。


 だけど、弟が両親の髪と瞳の色を受け継いでいて、そして大層な美丈夫であることだけは使用人達の噂話で聞いて知っていたのですが、驚きの理由はふたりの顔に見覚えがあったからでした。


 ふたりの顔は一瞬しか映りませんでしたが、絶世の美男美女と言っていいほどの美貌のふたりをそうそう見間違えるはずがありません。ましてや女性の方は自分が何度生まれ変わっても妻にしたいと望んだ女性だったのですから……。


「どういうことだ……?君は俺の妻だろう?俺だけの女神のはずだ。俺だけの……」


 王子は震えながら女性をもう一度見ようとしましたが、泉の水面にはもう何も映ってはいませんでした。





 その後も王子は不老不死になったのに体は余命一ヶ月と診断された瀕死の状態のままだったから、毎日が辛くて苦しくて仕方がありませんでした。


 今の自分に比べたら、あんまり幸せではなかったと思っていた遊び人だった人生や、少しも幸せではなかったと思っていた金持ちだった人生や、全く幸せではないと思っていた、病弱だけど身の回りの世話や看病をしてもらえていた少し前までの自分の半生は勿論のこと、女神と夫婦として過ごした三度の人生は何と幸せだったことでしょう。


 王子は毎日、病による痛みや苦しさに涙を流しながら、女神が森に戻ってくるのをひたすら待っていました。


 何故なら王子は自分が過去にどんな人生を生きようが最後は必ず女神の元に戻ってきたように、女神も絶対に自分の元に戻って来るはずだと信じきっていたからです。


 あれから王子が何度頼んでも泉の水面には何も映りませんでしたが、彼は毎日泉の水面を覗き込むのを止めることが出来ませんでした。


 そうして王子が来る日も来る日も何も映らない泉を何日も何年も何十年も覗き込んでいたある日のこと、風もないのに泉の水面に再び波紋が浮かび上がりました。


「これは……」


 波紋が収まった水面には年老いて皺だらけになった弟夫婦が子達や孫達に見守られて天に召される様子が映っていました。


 弟夫婦が仲良く同時に息を引き取ると、その体から若々しい姿の女神と獣の耳と尾を持つ青年の魂が浮かび上がってきました。


 そこへ天上から一筋の光が降りてきて女神の両親と兄弟姉妹らしき神達が大勢の天使を従えてやって来ました。


 その後、ふたりは手に手を取り合って迎えに来た神達と共に天上へと昇っていく様子が映し出されました。


「待ってくれ!俺を置いて逝かないでくれ!」


 慌てた王子は泉に手をつっこみ、女神の手を掴もうとしましたが、水面に映っていた女神の姿は彼が手をつっこんだことによって波紋となって消え失せた後、見る見る内に水が干上がっていき、やがて泉は涸れて地面には大きな穴だけが残りました。


「そんな……。もう一人ぼっちは嫌だ。こんな生活はもう耐えられない」


 泉にしゃがみこんだまま動けなくなった王子は空を見上げ、愛しい女神の元に行こうと決めました。


「どうして会いに来てくれなかったんだ。俺は君だけを愛しているのに。君は俺の妻だろう?……ユトゥルナ」


 王子が女神の名前を口にした瞬間、雲一つなかった空から稲妻が王子の心臓を貫き、彼は一瞬で黒焦げになりました。


「っ!っ!?」


 病など比ではないほどの激痛が王子を襲い、雷で火傷を負った喉はうめき声すらあげることが出来ません。王子は地面にのたうち回りながら、これで自分は死ねるだろうと心の何処かでほくそ笑みました。


 死んでしまえば、もう虚弱や病で苦しむことはない。生まれ変わったら心を入れ替え、今度こそ女神を一途に愛し続け、自分達は本当の夫婦になるのだ。


 大丈夫、彼女は何だかんだ言っても、いつも俺の願いを叶えてくれたじゃないか。そう、不老不死の願いだって、願いを叶える対価は今の俺自身から貰うと言って叶えてくれ……。


「ぁ゙っ、ぁ゙!」


 悶え苦しむ王子の脳裏に突然、女神の言葉が蘇ってきました。


『ええ。特に私のような年若く未熟な神は、他の神々に比べて奇跡を起こす力が圧倒的に少ない。魂の持つ幸運はそれを補ってくれる力になるから、願い事の対価に幸運を貰うのよ。だけどあなたの場合は願いごとが大きすぎて、幸運を全て貰ったとしても対価分には全然足りない。対価を払えないのに願いを叶えてもらおうとするのは止めておいた方がいいわ。だって神との契約で違反して債務不履行になった場合、願い事をした魂は神にどのような負債を課せられても文句を言うことが出来なくなるから』






『私はあなたを呪ったりしていないわ。今生のあなたが不遇なのは、あなたを王子にする対価にあなたの幸運を全て貰ったからよ。だからね、神への対価となる幸運を持っていないあなたは、もう私に願ってはいけないのよ。前に説明した通りになるのは嫌でしょう?……それとも、今それを願うのは今までの贖罪に、我が身を犠牲にして私の願いを叶えてくれるつもりだから?』


 女神が願い事の対価に、魂が持つ幸運を貰うと言っていたことを思い出した王子は、今生の自分が虚弱に生まれついたのも、離宮に追いやられたのも、王子になった対価に幸運を失ったせいだったのだと、ようやく気づきました。


『わかっているわ。それなら前世で説明した通りの対価を貰うだけよ。今回も願いの対価が圧倒的に足りないけれども、私が必要としている分には足りているから、それで我慢してあげる。だから次はもう絶対に森には来ないで。今度願い事があったとしても契約不履行であなたが困ることになるだけだから』


 王子に生まれ変わるために自分が持っていた幸運を全て女神に渡してしまった今の自分は、次の願い事に対する対価になるものを何も持っていなかったと思い出した王子の心に急速に焦りの気持ちが膨れ上がりました。


『何もしていないわ。齢を重ねた分だけ私も神として成長したから、普通の人間に感知されなくなっただけよ。それよりも本当に今直ぐに不老不死を望むの?その対価は今のあなた自身から貰うことになるけれど、本当にいいのね?』


 女神は対価を払えないのに願いを叶えてもらおうとするのは止めておいた方がいいと何度も念押しをしてくれていました。それなのに王子はこともあろうに神の領域であるだろう、不老不死を願ってしまったのです。


『わかったわ。最後に素敵な贈り物をくれてありがとう……ほら、これであなたは不老不死よ。今度こそ本当にさようなら。……さぁ、ルー、お待たせ。これでやっと私達ふたり揃って森から出ていけるわ』


 対価を持っていない王子の願いを叶えた女神は、王子にどのような負債を課せ……いや、どのような素敵な贈り物を王子から貰ったのでしょう?


「ぁ゙ぁ゙あっぁぁぁぁぁぁ゙!!」


 自分しか愛せない男には、別れた妻の願いなど永遠の時間があっても分からないでしょう。






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