第6話 王子②
森の入口に到着した後、木々が生い茂る森には馬車は入れないため、王子は騎士達に命じて馬車から下ろしてもらい、徒歩で森に入ることにしました。
「我儘王子に付き合わされて来てみたが、ここが人を喰らう悪魔が棲む森か。……何という不気味な森なのだろう」
「何でこんな薄気味悪い森にナルシス王子が来たがったのか、さっぱりわからん。王命だから仕方ないとはいえ、お互い貧乏くじを引いてしまったな」
「ああ、嫌だ嫌だ。早く帰りたい。俺はもうすぐ結婚するんだぞ。だから絶対に生きて帰らなきゃ……」
森に着いた王子の心は、後ろに控える騎士達の声が全く耳に入らないほど歓喜に湧いていました。虚弱な王子の体は馬車に乗っていただけで既に満身創痍の状態になっていましたが、女神に会わねば後がないと思い詰めていた彼は、どれだけ身体が辛くとも歩みを止めることはしませんでした。
何度も足がもつれ、転びながら森にある家にたどり着いたものの肝心の女神がいなかったため、王子は外に向かって怒鳴りました。
「ハァ、ハァ……おい、女神!今直ぐに出てこい!さもないとここにいる騎士達に命じて森を焼き払うぞ!」
肩で息をしながら汗だくになっていた王子は、精一杯の声を張り上げて大声を出したつもりでしたが、その声は掠れ、健常な者の平常時の声量の半分にも満たしていませんでした。
王子は自分の荒い息遣いだけが聞こえる中、女神が立ち寄りそうな場所はどこだったかと考えていると、突如、王子の眼の前に女神が狼の耳と尾を持つ黒髪の青年と共に現れました。
「うわっ!?」
「ルーが嫌な臭い匂いがするというから来てみれば……。やっぱり来たのね」
王子は姿を見せた女神に向かって再度、怒鳴りました。
「おい、お前!せっかく王子に生まれたのに虚弱とはどういうことだ!どうせ俺に振られた腹いせにお前が俺を呪ったんだろう!お前が俺の体を弱くしたせいで、俺は王位継承者から外されて皆にチヤホヤしてもらえないし、まだ一人の女も抱けていないし、贅沢だって一度も楽しめていないし、今生はこれっぽっちも幸せじゃなかったんだぞ!次の生まれ変わりなんて待っていられるか!今直ぐに俺を不老不死にしろ!さもないと騎士達に命じて森を焼き、お前を襲わせるぞ!」
女神は自分を睨めつけ小声で怒鳴る王子に戸惑いの表情を浮かべながら言いました。
「私はあなたを呪ったりしていないわ。今生のあなたが不遇なのは、あなたを王子にする対価にあなたの幸運を全て貰ったからよ。だからね、神への対価となる幸運を持っていないあなたは、もう私に願ってはいけないのよ。前に説明した通りになるのは嫌でしょう?……それとも、今それを願うのは今までの贖罪に、我が身を犠牲にして私の願いを叶えてくれるつもりだから?」
そう言った後、困ったような表情で微笑んだ女神の美しさに見とれた王子は不遜に言い放ちました。
「犠牲?お前の願い?何の話だ?いいから、さっさと俺を不老不死にしろ。そしたらまた夫婦になってやってもいい。今度こそ本当の夫婦がやることをお前にしてやるよ」
王子が鼻の下を伸ばしながら言うと、女神の隣にいる青年が女神を王子から隠すように前に立ちふさがりました。
「ユトゥルナ。そんな奴に微笑まないで」
「フフッ、ルーったらヤキモチを焼いているの?心配しなくとも私の本当の夫は未来永劫ルーだけよ」
「うん。僕の本当の妻も未来永劫ユトゥルナだけだよ。僕はユトゥルナを凄く愛している。誰にも渡さない」
「おい、俺を無視するな!大体その男は何だ!何で、その男と名前を呼び合っているんだ!?君の名前は君と同じ神以外の者が呼ぶと神罰で雷が心の臓を貫くから名前は呼んではいけないと言っていたじゃないか!俺だけ名前が呼べないのは不公平だからと言って、君も俺の名前を一度も呼ばなかったじゃないか!俺は何度生まれ変わっても名前はいつも同じだったのに!あれは嘘だったのか?」
「いいえ。あなたが私の名前を言うと雷が落ちる話は本当の話よ。私があなたの名前を呼ばなかった最初の理由も嘘じゃないわ。ただ、その理由は結婚して直ぐに魂が汚れていったあなたの名前を口にするのに忌避を感じて言えなくなったという理由に変わってしまったことは黙っていたけれど……。ルーが私の名前を呼べるのはルーが私と同格の神になったからなの。それから私達は結婚して本当の夫婦になったのよ。ね、ルー?」
「そうだね、ユトゥルナ。愛しているよ」
「フフッ、私も愛しているわ、ルー」
見つめ合い、口づけを交わすふたりを見て、王子は激怒しました。
「なんて破廉恥な!俺という夫がありながら結婚しただって!?ふざけるな!お前は俺だけの女だろうが!他の男を森に引き入れるなんて、とんだあばずれ女神だな!……おい、騎士達!この男を殺せ!」
王子は後ろにいる騎士達に命じましたが一向に返事も動きもしないので再度命じようと後ろを振り向くと、騎士達皆が王子を恐ろしいものを見るような目で見ていました。
「おい、お前達?……どうした?何故そんな顔で俺を見るんだ?」
騎士達は王子から距離を取ろうとするかのように後退りながら言いました。
「お、王子こそ何もないところに向かってブツブツと話し続けているなんて、一体どうされたのです?……そ、そこに誰かがいるように見えておいでなのですか?」
「そ、それにまるで森に来たことがあるかのように迷いなく歩かれてあのボロ小屋に辿り着くなんて……。もしや王子は悪魔に誘われて森に来られたのですか?」
「お、王子は悪魔に魅入られて森に来たんだ……。冗談じゃない。俺はもうすぐ結婚するんだぞ」
怯えた目で見ている騎士達の様子を見て、王子は慌てて女神を振り返って言いました。
「何で、こいつらにはお前らが見えていないんだ!一体こいつらに何をした!?」
「何もしていないわ。齢を重ねた分だけ私も神として成長したから、普通の人間に感知されなくなっただけよ。それよりも本当に今直ぐに不老不死を望むの?その対価は今のあなた自身から貰うことになるけれど、本当にいいのね?」
「望むところだ!今直ぐに俺を不老不死にしろ!」
「わかったわ。最後に素敵な贈り物をくれてありがとう……ほら、これであなたは不老不死よ。今度こそ本当にさようなら。……さぁ、ルー、お待たせ。これでやっと私達ふたり揃って森から出ていけるわ」
女神はそう言うと黒髪の青年とふたりして光の粒子に姿を変え、そのまま空高く飛んでいき、やがて見えなくなりました。
「アハハハ、やったぞ!これで俺は死なない!永遠に若いままだ!不老不死になったんだから、これからは贅沢も女も思いのままだ!今度こそ今までで一番幸せな人生を歩んでやるぞ!……さぁ、皆の者、城に引き上げるぞ!」
王子は高笑いし、怯えきった騎士達に命じて森から出ようとしましたが、どういうわけだか森の出口手前に来た途端、王子の体がピタリと止まり、自分の意思で動かせられなくなりました。
「おかしいな。おい、お前ら。俺の体を持ち上げて森から出せ!」
怒り心頭の王子は騎士達に命じて自分の体を運ばせようとしたが、病でやせ細っているはずの王子の体は信じられないほど重く、騎士が三人がかりでも持ち上げることが出来ず、騎士達が押しても引いても、びくともしませんでした。
「何なんだ、一体!?チクショー!あの女、素直に言う事を聞いたと見せかけて性悪な呪いを俺にかけやがったんだな!やい、陰険女!とっとと出てこい!どこかに隠れて俺が困っているのをせせら笑っているんだろう!無駄なあがきは止めて、俺を森から出しやがれ!」
辺りを見渡して怒鳴りながら地団駄を踏む王子は、騎士達が顔面蒼白になっていたことに気が付きませんでした。
「ナルシス王子が幼い頃から森に来たがっていたのは、悪魔に呼ばれていたからだったんだ!その証拠に王子は森から出られなくなった!ああ、なんと恐ろしいんだ」
「王子の言う通り、これは悪魔の呪いに違いない!このまま森にいたら王子だけじゃなくて俺達まで森から出られなくなるんじゃないか?」
「嫌だ。俺は生きて帰って恋人と結婚するんだ!」
ガタガタと身体中を震え上がらせた騎士達は慌てて王子の傍から飛び退くようにして離れだした。
「おい、お前ら!俺を置いて逃げるつもりか!」
「に、逃げるなんてとんでもない!」
「そ、そうです。た、ただ私達は悪魔に喰われるのが怖……いいえ!私達は一刻も早くナルシス王子の一大事を王に伝えてご指示を仰ごうと!」
「ええ、そうなんです!だから少々お待ちくださいませ!では!」
そう言うと騎士達は我先にと一目散に馬車を走らせて行ってしまいました。
「全員で行くなんて不敬だぞ!誰か戻ってこい!俺をひとりにして置いていくな!」
王子は声を張り上げ続けましたが、いつまで待っても馬車が戻ってくることはありませんでした。
「まったく、どいつもこいつも!森から出られたらひとり残らず処罰してやる!……ああ、チクショー。クラクラと目眩がする。不老不死になったはずなのに、少しも体が楽にならない。どうなっているんだ?ああ、体中が痛いし、怠いままだ。あの女、嘘を言ったのか?いいや、あいつは……彼女は神は嘘がつけないと出会ったころに言っていた。だから俺は不老不死になっているはずなんだ。ああ、それにしても体が辛くて、もう起きていられない。……仕方ない。助けが来るまで家で休んでいよう」
王子は体を引きずるようにして女神の家に戻っていきました。先程は騎士達と来たため、あまり家の中をよく見ていなかった王子は家の中に入って、あることに気がつきました。
「何だ、この家は?……よく見たら、俺が貧しい木こりだったときの小屋じゃないか」
小屋の中には男が貧しい木こりだったときに使っていたボロボロの家財があるだけで、前世で女神と暮らしていたときに増築した部屋や彼女が使っていた家具や二人の思い出の品々といったものは一つも置かれていませんでした。
まるで初めから女神と暮らしていたのは夢幻だったのではないかと思うほど昔の記憶のままの部屋を暫し眺めた後、王子は無言で硬くてカビ臭いベッドに身を横たえました。
「そう言えば、森での生活は贅沢とは程遠い生活だったな。食べるのは粟や稗の粥と野菜と白湯だけ。着るものだって貧乏だから木綿の服しか買えなくて。そんな生活だったけど彼女は文句一つ言わずに俺の傍にいてくれた。優しい彼女と一緒に過ごした日々は俺にとって、まるで宝物のように大切で幸せな時間だった……」
回りに誰もいない静まり返った部屋で王子が思い出すのは、女神と暮らしていた頃の幸せな思い出ばかりでした。
「どうして今ここに彼女はいないんだろう?……いや、彼女とは別れたんだから、いなくて当然なんだ。それに俺は不老不死の王子になったんだから、今度こそ彼女と一緒にいたときよりも、うんと幸せになるはずだ」
王子は今はいない女神との思い出がこれ以上蘇らないように瞼にギュッと力を入れて目を瞑り、己を抱きかかかえるようにして身を縮こませ、城からの助けが早く来るよう願いながら眠りにつきました。
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