第5話 王子①

 女神の元夫だった男は次の生で王子に生まれ変わって有頂天になっていましたが、彼が生まれ変わった王子の体はとても虚弱でした。


 陽に当たると肌に発疹が浮かび上がり、風に当たると熱を出し、雨が降ると頭痛に襲われ、雪が降ると咳き込み、曇りだと倦怠感に苛まれるので彼は年がら年中、体のいたるところが不調で寝込んでばかりいました。


 虚弱な王子の胃は味つけされていない粟や稗といった雑穀の粥と野菜と白湯しか受け付けないから、彼がどれだけ高級な肉や菓子や茶や酒を欲しても飲み食いすることは出来ませんでした。


 それに虚弱な王子の肌は木綿しか受け付けないから、彼がどれだけレースやリボンやスパンコールが沢山ついた豪奢な絹の洋服や宝石が沢山ついた高価な貴金属の装飾品を欲しても、それもやはり身につけることは出来ませんでした。


 しかも王子は顔立ちはおろか、髪や瞳の色でさえもが王や王妃に少しも似ていなかったことで、妻の不貞を疑った王と、夫に不貞を疑われた王妃の両方から疎まれて、生まれて直ぐに離宮に追いやられました。


 更には四六時中寝込んでばかりの王子では次の王にはなれないからと、彼は第一王子に生まれたにもかかわらず早々に王位継承争いからも外されてしまいました。


 それにより王子は権力にすり寄って恩恵に預かりたいと思っている貴族達から持て囃されたことが一度もなく、また外見も見目麗しくなかったため女性達からも全く見向きされませんでした。


 なので男が来世で王子に生まれ変わったら思いのまま手に入ると夢見ていたものは、何一つとして彼のものにはなりませんでした。


「チクショー!せっかく王子に生まれたのに、これでは何も楽しくないじゃないか!もしかして、あの女が俺を呪ったのか?おい、誰か!北にある女神の森に直ぐ行って、女神に呪いを解くよう命じてこい!」


 物心ついた頃から毎日のようにそう命じ続ける王子に、王子を看病をしている侍従やメイド達は呆れ果てながら毎日のように諌め続けました。


「毎日毎日いい加減にして下さい。何度も何度もご説明申し上げているではないですか。もしや熱に魘されて忘れておいでで?いいですか、ナルシス王子。北にある森は女神の森ではありません。あの森は人を喰らう悪魔が棲む森と呼ばれる、大層恐ろしい森なのです」


「もしやナルシス王子は我々が王子の命令を聞くのが嫌で嘘をついていると思われているのですか?確かに悪魔が棲む森だなんて、子ども騙しのおとぎ話のようにしか思えないかもしれませんが、我々は嘘などついておりません」


「そうですよ。あの森は本当に恐ろしい森なんです。何でも言い伝えによりますと森に棲む悪魔はこれまでに百人以上もの人間を喰っているそうですよ」


「ナルシス王子が幼き頃からあまりにも森にご執心され続けているのを不気味に思われた両陛下の命令で私どもは言い伝えを詳しく調べてみたところ、一番古い記録では貧しい木こりの男が最初に行方不明になった後、次に木こりを探しに行った木こり仲間全員が森から帰ってこなかったそうです」


「その後、暫くは行方不明者は出なかったようなのですが、その70年後に18になったばかりだったという、人嫌いの鍛冶屋の息子が森に行くと言い残して行方不明となり、その息子を探しに行った親族や有志達も、やはり森に入ったまま帰ってこなかったそうです」


「そして、その次の60年後には人々から頼りにされていたという教師の男と教師を探しに行った多くの友人達が行方不明になったそうです。そのまた次の40年後に行方不明になった女にだらしのない遊び人の男と、その次の次に行方不明になった嫌味な金持ちの息子のときは皆、人喰い悪魔を怖れて捜索者を出さなかったおかげで、悪魔の犠牲者となったのは、自ら森に入っていた二人だけで済んだそうです」


「数十年ごとに行方不明者が出ているのですから、悪魔は本当に森にいるはずです。最後に金持ちの息子が行方不明になってから数十年経っていることもあって皆が次の犠牲者になるのを怖れているのです。ですからお願いですから、そのような恐ろしい命令は出さないでくださいませ」


 使用人達に諌められても王子が毎日命令を口にするのが止められないのは、虚弱による体の辛さのせいもありましたが何よりも大きな理由は、北にある森に人喰いの悪魔が棲んでいるという話が嘘だと王子だけは知っていたからです。


 人喰い悪魔の話をでっち上げたのは貧しい木こりだったときの自分でした。背が低くて醜い容姿をしていて、しかも貧しい木こりでしかない自分が、美しくて優しくて純真無垢な女神を妻にすることが出来たとき、自分は生まれて初めて愛し愛される幸せを知ると同時に、彼女を他の者に奪われることを非常に怖れたのです。


 女神は今は、自分の見た目を気にせずに自分の一途な愛を素直に喜んでくれる。貧しい暮らしにも文句一つ言わず楽しそうに毎日を過ごしてくれている。だけど、もし彼女が自分よりも優れている男と出会ってしまったら?


 自分よりも背が高い男はうんといる。自分よりも容姿が優れている男は沢山いる。自分よりも金を持っていて彼女に贅沢な暮らしをさせてあげられる男だって山のようにいる。そんな彼らに女神が靡いてしまったら?


 心がとても綺麗なあなたの妻になれて嬉しいわと微笑んでくれる彼女にまで見捨てられてしまったら、自分は本当に独りぼっちになってしまう。


 そう考えると不安で居ても立っても居られなってしまった自分は、女神に気づかれないように木こり仲間を一人ずつ罠にはめて一人残らず手にかけた後、森に人喰いの悪魔がいると嘘をついて自分もろとも彼らも悪魔に喰われたように偽装して、人々を森から遠ざけることに成功したのです。


 そうして、やっと女神とふたりっきりの生活を手に入れたまでは良かったのですが、彼女が男の欲にとんと気づかない純真無垢な女神だったせいなのか、はたまた自分が血塗られた手で純真無垢な女神に触ることに無意識に罪悪感を感じていたからなのかはわからないけれども、いつまで経っても男女の深い仲になるどころか、キス一つ出来ないまま、三度も人生を無駄に過ごしてしまったのは思わぬ誤算でした。


 その後も転生する度に自分は、森には人喰いの悪魔がいると人々に言い広め、自分を追って森に入ってきた者達を手にかけては悪魔に喰われたように偽装し続けた結果、国中の者が森には人喰いの悪魔がいると信じ込んでしまったのでした。


 過去の自分が繰り返し行った偽装工作のせいで王子は森に使いを出すことが出来ませんでしたが、それが嘘だと知っているだけに使用人に毎日命令するのが止められず、そのせいで彼は初めは王子の境遇に同情的だった使用人達からも嫌われてしまい、あくまでも義務に看病を受け続けるという孤独な日々を過ごすこととなりました。


 そんな生活を渋々続けていた王子でしたが、18の歳についに余命一ヶ月と告げられたことで、なりふり構っていられなくなりました。


「父上、母上、一生に一度の最後のお願いです!私が死ぬ前に、どうか私に北にある森に行く許可を下さい!」


 18年間もの間、王子を冷遇していた自覚のある王と王妃は余命僅かな息子の頼みを断れませんでした。そこでやっと王子は森に行く許可を貰い、三人の騎士とともに馬車で北にある森へと向かいました。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る