第4話 嫌味な金持ちの息子

 次の生で女神の夫だった男が森にやってきたのは前回よりも早い、21の歳でした。


 女神の前に現れた男は、女神によって金持ちの家に生まれ変わらせてもらっていたはずなのに何故か物凄く見窄らしい姿をしていて、そして前世と同じようにヨタヨタと歩いてきました。


 男は家から少し離れたところにある花畑の中に腰を下ろし、季節の花を愛でている女神の後ろ姿を見つけると、よろめく足で駆け寄ろうとしました。


 が、女神の直ぐ横にいた大きな狼が、男が近づくと彼女の前に出てきて、男に威嚇の唸り声を上げたので慌てて足を止めました。


「遅くなって済まない。実は悪い奴らに騙されて家も金も全部失って苦労していたから森に来られなかったんだ。近くで謝りたいから、その獣を何処かにやってくれないか」


 男は前世で女神と別れたことを忘れているのか、それとも忘れたふりをして、別れたこと自体をなかったことにするつもりなのか、悪ぶれた様子もなく言い訳をしてきました。


 女神はあれ以来、泉で男の様子を見ることもなかったから、彼がどのように生きてきたかを知りませんでしたが、今回の言い訳も嘘でした。


 確かに男は金も家も全部失っていましたが、それは彼が20の歳に家業を引き継いだ後のことで、それまでは贅沢三昧に暮らしていたのです。


 家に金があることを鼻にかけていた男は物心付く前から周囲の人々に対し横柄な態度で接していました。彼の傲慢さを咎める者も諌めようとする者も金の力で遠くに追い払ったため、彼の近くにいる者達は皆、彼の金に屈し、その金を当てにする者しか残っていませんでした。


 そして男が金や家を全部失ったのは悪い奴らに騙されたのではなく自身の怠惰や放蕩が原因だったのですが、彼が金を失いそうになったとき、彼の側にいた者達は誰も彼を助けようとはせず、彼が全てを失った途端、金の切れ目が縁の切れ目だとばかりに、ひとり残らずいなくなってしまったのです。


 女神は男の事情を知りませんでしたが、金持ちの家に生まれたはずの男の見窄らしい姿を見れば、男が森に来た理由は一つしかありません。


 とうの昔に男への愛情が消え失せていた女神はため息をつきながら立ち上がり、狼の頭を優しく撫でた後、冷たい眼差しを彼に向けて言いました。


「何処かに行くのは、あなたの方です。前世で森には来ないでと言ってあったでしょう。今直ぐ森から出ていってください」


 女神がそう言うと男は、その場で跪いて嘆願してきました。


「約束を破ったのには理由があるんだ。実は俺の今生は金持ちの家に生まれ変わったのにちっとも幸せじゃなかったんだ。親兄弟も友達や恋人だと思っていた奴らも皆、金のことしか考えてなくて、金が失くなった途端、俺は皆に捨てられた。それに今回も前世と同じ病になって余命僅かなんだ」


「そうなんですね」


 余命僅かと聞いても、女神はもう夫婦だったときのように悲しみに襲われることはありませんでした。だから彼女は、前世もそうだが今生でも彼は随分と早い内に死ぬのだなとぼんやりした気持ちで相槌を打ちました。


 そんな気のない相槌だったのですが、自分の不幸に酔っている男は、女神が親身になって話を聞いてくれていると受け取ったらしく目を潤ませました。


「そうなんだよ。で、俺はやっと気がついたんだ。この世で、一番大事なのは美しさや金ではなく、持って生まれた身分……権力なんだとね」


「権力ですか?」


「そうさ、権力。王家に生まれたなら背が低くても美しくなくても女は寄ってくるだろうし、皆が俺に傅き、敬ってくれるだろう?それに何と言っても、自分は働かなくとも民が働いてくれるから、どれだけ金を使っても失くなることはないだろうしさ。だからさ、次は俺を王子に生まれ変わらせてくれよ」


「どうして私があなたにそこまでしてあげる必要があるのですか?」


「そんなこと言わずに頼むよ。王子に生まれ変わらせてくれたら俺は絶対に幸せになれるんだ。これで本当に最後の願いにするからさ。……もしも叶えてくれないなら、叶えてくれるま……で森に押……しかけ続けるか……らな」


 男は自分勝手な願いを口にした後、そのまま地面に倒れました。女神は死相が出ている男を見て、ハァと再びため息を付きました。


 きっと男は来世で王子に生まれ変わらせてあげても難癖をつけて、また森に押しかけて女神に願い事をしてくるのでしょう。そして、それは男が生まれ変わる度に延々と繰り返されるに違いありません。


「王子になるという願いを叶える対価に、今後は転生後に前世の記憶を思い出さないようにしても良いですか?」


「そ……れは駄……目だ。前……世の記……憶を思……い出さない……ことを対価にし……たら、俺は来……世で王子に……なったかどう……かがわから……なくなるじゃな……いか」


 男の返事に女神はうんざりした気分になりました。それでも何度男が生まれ変わって森に押しかけてこようとも、もうこれ以上願いを聞きたくはないと思いました。


 なので、男に背を向けて歩き出そうとして……二歩程歩いたところで彼女はふと立ち止まり、自分の隣にいる大きな狼を見ました。


 女神を背に乗せられそうなほど大きい体の狼の正体は、女神が夫と別れたときに一緒にいた、あのときの仔狼でした。


 あれから仔狼は女神と仲良く暮らし、8年後に狼としての寿命を迎えたのですが、女神と離れることを拒んだ狼は天上の国で女神の両親に直談判し、自身の転生を対価にして女神の眷属となっていたのです。


「そうだ……。ルー。私の傍にいるために自ら望んで私の眷属になってくれた健気なルー。私に後もう少しだけ力があればルーを……」


 女神の呟く声は小さくて、地面に倒れている男には聴こえませんでした。


「……叶えてあげてもいいわ。でも本当にこれが最後よ。そして対価はきちんとあなた自身で払って貰いますからね」


 女神の了承の言葉を聞いて、気が緩んだのか、男の瞼が重く垂れ下がっていきました。


「対価は……何だ?……前世の記憶は対……価には……し……ないか……らな」


「わかっているわ。それなら前世で説明した通りの対価を貰うだけよ。今回も願いの対価が圧倒的に足りないけれども、私が必要としている分には足りているから、それで我慢してあげる。だから次はもう絶対に森には来ないで。今度願い事があったとしても契約不履行であなたが困ることになるだけだから」


「前世で説……明した対……価?……何だっ……たかな?……まぁ、い……い。俺を王子に……」


 そう言い残して男が息を引き取ると、女神は男の着ていた上着とズボンを剥ぎ取り、女神の横にいた狼に向かって手を翳しました。


 すると狼の回りを取り囲むようにして、小さなつむじ風が巻き上がり、狼の姿が風で見えなくなったかと思った次の瞬間、そこには狼の耳と尾を持つ黒髪の凛々しい青年が地面に座り込んでいました。


 驚いた様子で自分の手足を見たり、顔や頭の上にある耳や尾を触って確認している青年に向かって、女神は喜びの表情で抱きつきました。


「ルー!」


 青年は目を丸くさせたまま、女神を腕に抱きしめました。


「僕は君と同じ生き物の姿になれたらいいのにと思っていたけど、本当にそうなれると思わなかったから凄く嬉しいよ。でも、どうして?」


 女神は青年のキラキラ輝く金色の瞳を見つめ、頬にキスをしながら言いました。


「ルーは普通の狼だったのに、私を一人森に残して逝きたくないからとお父様達に頼んで、私の眷属になってくれたでしょう?私は今まで願いを叶えてくれと請われるばかりで、私の心からの願いを察して叶えてくれるひとなんていなかったから、それが凄く嬉しかったの。だから後もう少しの力が私にあれば、ルーの望みを叶えてあげられるかもと思ったのだけど、私の予想以上の結果になったから物凄く私は嬉しいの」


 女神にキスをされた青年は嬉しげに頬を染めると、彼女の頬に手を添えて言いました。


「君が嬉しいなら僕も凄く嬉しいよ。ところで予想以上とは何のことなの?」


「ルーは本当に優しいね。ルーと出会えた私はなんて果報者なんでしょう。……あのね、良い報告があるのだけれど、ここは酷い匂いがするでしょう?だから話すのは場所を変えてからにしましょう」


「うん、いいよ。……それにしても、このオスはどうしてこんなにも臭いの?病気の匂いとは違う、嫌な匂いがする」


「ああ、それは魂の匂いよ。穢れた魂は真夏に放置された生ゴミよりも酷い嫌な刺激臭がするの。この人間はね、出会った当初はとても良い匂いがしていたのだけど、暫くして突然臭い匂いを変わってしまったの。転生する度に匂いが濃くなって……今生ではついに、こんなにも臭い嫌な匂いになってしまったのね」


「……このオス、もしかして君の番だった?」


 そう尋ねる青年の頭上にある狼の耳がへニョと力を無くし、金色の瞳も不安げに潤んでいくのを見て、女神は労るように彼の艷やかな黒髪を撫でました。


「いいえ。彼は番になりたいと最初は望んでいたのだけれど、直ぐに考えを変えてしまったの」


 即答した女神は自分達は本当の夫婦ではないと言っていた、以前の夫を思い出しながら言いました。


「彼はね、私のことを純真無垢で美醜に興味がない女神だと誤解をしていたようなのだけど、私も他の神々と同じで人間以上に美醜に煩いし、彼が思うほど純真無垢ではなかったのよ。実はね、神にとって魂の容れ物にしか過ぎない肉体の美醜は有って無いようなもので、私達神が最も重視しているのは魂の美醜なの。……彼は直ぐに穢れた魂に変わっていったけれども、それでも最初に約束した通りに彼が一途に愛してくれるならと私も愛し続けようと思ったわ。だけどね魂は汚れていく一方だったし、匂いも酷くなっていったから、私との関係を深めようとする彼を私は無意識に避けてしまっていたのかもしれない。……きっと、もしも彼が私を裏切らなくとも、どちらにしろ私達は別れていたのだわ」


「……あの、ごめんね。君がいっぱい説明してくれているのに難しい話はよくわからないんだ。どうしよう、良い報告もわからないかも……」


 尻尾まで力を無くして、しょんぼりしている青年を見て、女神は元気づけるように慌てて言いました。


「ああっ、こちらこそごめんなさい、ルー!気持ちの整理をしていた心の声が出ただけなの。良い報告はルーにもわかるから大丈夫よ!さぁ、まずはこれを着てから一刻も早くここから離れて帰りましょう。帰ったらルーのお洋服を仕立ててあげるわね」


 そう言って女神は男から剥ぎ取った服を青年に差し出しました。


「うん。良い報告も洋服も凄く楽しみだ」


 青年は女神の手を借りて服を着ると二本足で立ち上がりました。


「まぁ!ルーは狼だったときも大きな体をしていたけれど、人化しても、とても背が高いのね。間に合せの服では丈が足りなかったわね」


「大きな狼だった僕は嫌?二本足になった僕の背が高いのは嫌?」


「いいえ、どちらも嫌ではないわ。私は大きな狼だったときのルーも大好きだし、人化して手足が長くなって背が高くなった今のルーも大好きよ。あのね、私がルーを大好きなのは、ルーが私にいつも寄り添ってくれる優しい心根の持ち主だからなの。だからルーがどんな姿であっても私は絶対に嫌にはならないわ」


「それなら良かった。僕もね、僕に優しい君が大好きだよ。君は初めて会ったときと今では姿が違うけれど、どちらの君も心と匂いは綺麗なのは一緒だったから、きっとこれからだって、君がどんな姿に変わろうとも僕はずっと君を大好きなままだと思うよ」


「そう言ってもらえて凄く嬉しいわ、ルー。……足が少しふらついているわ。二本足で歩くのは大丈夫そう?」


「うん。後ろ脚だけで歩くのは初めてだけど、君と同じように歩けるのは嬉しいから頑張るよ」


「偉いわね、ルー。そうだ!ねぇ、手を繋いで帰りましょう」


「前脚……じゃない手を繋ぐ!?わぁ!こうやって手を繋げて歩けるなんて二本足って素敵だね。この姿になれて本当に良かったよ」


 微笑みあった女神と青年は初めての手つなぎを喜びながら、花に埋もれた屍を振り返ることもなく、森の奥にある家に向かって帰っていきました。







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