3‐2

 見飽きるほど代わり映えしない青空が広がる昼下がり。


 わたしはとうさいセントラリオンにほど近い南部の小さな湖を見下ろしていた。


 かけはしくんのお母さんから借りた上下一体型の水着を身につけた上で。


 部分的にきついけど少しの間だからがまんしなくちゃ。


じゅく<とう>」


 わたしは上半身に<とう>をかけた。


 周囲のほとりより盛り上がってる高台から見える湖はとてもすんでいる。


 水面までは結構高い。


 ぱっと見でわたしふたり分くらいだ。


 ただ危険な生き物は生息してないって本に書いてあった。


 だからわたしは安心して飛び込んだ。


 ――やっぱり苦しくない。


 理屈はさっぱりだけど、<とう>で上半身がすり抜けてる間は水中でもふつうに息ができるようだ。


 地中でも同じだと思う。


 かいに落ちていくときに息苦しくなかったから。


「ぁー、ぁー。声までふつうに出せるんだ」


 変な効果。


 わたしはそう思いつつ、どろっとした水底をはだしで蹴って湖面へと顔を出した。


 下半身だけが水の影響を受けてる状態じゃ泳ぐのは厳しそうだ。


 ここで無理したせいでバランスをくずしたらどうなるか?


 きっと上半身だけ水底に埋まってしまう。


「<とう>を解いちゃおっかな? ……三つ編み、ぬれたらほどけそう……」


 時間はかかるけど仕方ない。


 わたしはもう一度水中にもぐり、水底を歩いてほとりに向かうことにした。




 じゅくのお昼休みを使った<とう>の新たな練習。


 ちょうどいい場所として選んだこの小さな湖へとわたしを連れてきてくれたのは、ほかでもないきしさんだった。


 わたしが頼んでわけじゃない。


<とう>の新たな練習の話をぽろっと出したら『ひよも行くー』『びーこに乗ればすぐでしょ?』と言って聞かなくなったからだ。


 数日前の竹騒動以来、きしさんはなにかとわたしにからんでくる。


「う~るみ~ん」


 こんな感じで。


 やたらと人なつっこく。


「どうどう? うまくいってる?」


「確認はできたかな」


 わたしは両腕を使って小さな湖から上がれるよう<とう>をコントロールする。


 きしさんはというと、ほとりに座ったままはだしで湖面をぱしゃぱしゃしていた。


「ひよも泳ぎたかったなー。水着買おっかなー?」


「んしょ」


 わたしもきしさんのようにほとりに座ると、気になってあたりを見回した。


「あのおっきくて白いしょうかんじゅうは?」


「勝手に帰っちゃった」


「帰った?」


「そうなの! せっかくふもふもしながらお昼寝しようとしてたのに、びーこってばひよの枕じゃないとかなんとか言っちゃってさ。あったまきちゃう」


「<びゃっ>だっけ。ペットなのに言うこと聞かないの?」


「ペットじゃないよ」


 きしさんはピンと立てた人差し指をあごにそえる。


「んっとね、家族だけど家族じゃないっていうか……持ちつ持たれつ?」


 対等ってことなのかな。


 じゃあ枕なんかにできなくない?


「びーこはね、たまーにかいじゅって宣言しても聞かなかったり、待ってって言っても帰っちゃうの」


「へぇ」


「でもこれが正しい付き合い方なんだってじいじが言ってた。じいじもばあばも、びーこたちに甘々なんだよ」


「ふぅん」


「ひよは甘やかさないよ。だってひよのほうが甘えるんだもん」


「ほぁー」


 とりとめのない話に耳を傾けてるうちにふと、わたしは尋ねたくなった。


「そういえばきしさんは<びゃっ>のこと『びーこ』って呼んでるね」


「うん。びーこはびーこだもん」


かけはしくんは『はっしー』だし、わたしのことは――」


「うるみん! うるみだからうるみん! いいでしょ?」


「そ、そうかな……そうかも……?」


 どうもきしさんにはあだ名をつけたがるクセがあるらしい。


 思えば、わたしは出会ったときから彼女のマイペースなパワフルさに振り回されている。


 それなのに不思議。


 案外いやじゃないと感じる自分がいる。


 なんだか絵に描いたような青春を味わってる気分だ。


 そんなひとときを送っていると、セントラリオンのほうの空からかけはしくんが飛んできた。


「探したぞうるみ」


かけはしくん?」


「問題児も一緒だったか。手間が省けた」


「はっしーこんちゃー。えいえい」


 きしさんは湖に入れていたつま先を上げ下げする。


 湖上に浮くかけはしくんに水をかけたいようだ。


 届く気配はないけど。


「うるみはなるべく早めに着替えろ。法務官が首を長くして待ってるぞ」


「法務官?」


 聞き慣れない単語だった。


 法務ってルールとかにかかわる言葉だよね。


 わたしが元いた世界だとなんだろ。


 裁判官?


 それとも警察官?


「もしかしてうるみん、やらかし~?」


「おまえもだ、より


「模範塾生目指してるのになんでさー!?」


「悪さがバレたとかって話じゃない。わかったらおまえはそのぬれた足をふけ。それから靴を履け」


「サンダルでいい?」


「いつも履いてるほうの靴にしろ」


「や。うちまで取りに戻るのめんどくさいもん」


「おまえなあ……」


 かけはしくんは片手で目を覆いつつ空を仰いだ。




 身支度をすませたわたしたちはかけはしくんのじゅく<ばんゆういんりょく>のじゅもんで空を飛び、ちゅうおうとうの門前へと着地した。


 もうすぐじゅくのお昼休みが終わる。


 だからちゅうおうとうを行き来する塾生の姿はすでになかった。


 その代わり、ちゅうおうとうの門前には灰色のスーツに短めの青いケープをまとった男性が立っていた。


 わたしはひと目見て特徴的なケープだと思った。


 縁にきらきらしたししゅうがされてるだけじゃなくて、胸もとのあたりに金色のバッジまである。


 変な威圧感。


がいうるみときしよりです。どちらも顔を見ています」


 開口一番、かけはしくんは短めの青いケープをまとった男性に声をかけた。


「先に、天使にまで手数をかける無礼をわびよう」


 男性がお堅い感じに口を開く。


「私はセントラリオンで法務官を務めている者だ。かけはしりんから話を聞き、きみにも足労してもらうべきだと判断した次第だ。無論、きしよりにもだ」


「もしかしてこの前のお兄さん関係?」


 言われてみれば。


「法務官がお話ししてる最中だろ。勝手に割って入るな」


「すでに話が伝わっていたらしいな」


 法務官の男性はせき払いしてから続けた。


「いかにも、そこのわらべどうが言ったとおりだ。数日前にぞうでセントラリオンを荒らしたささがき百獣王ライオが看守の隙を突き、法務官庁の独房から逃げてしまったのだ」


 うゎぁ、洋画のあらすじみたい。


「先ほど、ささがき百獣王ライオとおぼしき人物が自らの足で西に逃げたとの目撃情報が入ったばかりだ。今から向かえば充分に追いつけるだろう。この追跡に万全を期すべく、私はささがき百獣王ライオと対峙したというきみたちにも協力してもらいたいと考えている」


 ここまで話してから法務官の男性は「では意向を聞こう」とわたしときしさんの発言を認めてくれた。


 つまり顔がわかる人が必要ってこと?


 写真撮ってなかったのかな。


 あの不良男子と会ったってだけで戦力みたいに数えられるのは、なんだかなぁ。


「うるみんとならぜひぜひ!」


「ふぁ!?」


じゅくじゅく、塾条その六『問題はなるべく解決する』。模範塾生目指して頑張りまーす」


「ぇぁぇ、ゎ、ゎた――」


「よい心がけだ」


 待って!?


 わたし行きたくない!


 行きたくないのに、そんなサクサク決めないでよぉ!?


 ……うぅ、断るタイミング逃したぁ。


「追跡は計五部隊で行う。すでにチームを組んでいるかけはしりんはさておき、天使ときしよりの両名はまだ誰ともチームを組んでいないはずだ。よって私と組んでもらう」


「はっしーもひよたちと組んじゃえばいいじゃん」


「法務官がおっしゃったチームっていうのは追跡部隊のことじゃないぞ」


「そうなの?」


じゅくじゅくは課題攻略などのために塾生同士でチームを組むことを推奨してるんだ」


 ふとわたしの頭の中を思い出がよぎった。


『チーム・Gのかけはしです。勝手ながらご報告させてください』


 二年前の塾長室!


 かけはしくんは確かにこう言ってた。


「で、おれはこのチームのほうで追跡に加わることにした。即席に誰かと組むより動きやすいからな」


「はっしーノリ悪ーい」


「だだをこねるな問題児」


「ぶー」


「ゴホン。ほかに確認事項はあるか? ……なければじゅくじゅくの講師に代わり、天使ときしよりの両名に課外授業『ささがき百獣王ライオの追跡』を命じる」


 そう言って法務官の男性は半円形の広場へと歩き出した。


「我々以外の三部隊はすでにセントラリオンを発っているのだ。まずは西門まで急ぐぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る