2‐2

 中学校のセーラー服。


 わたしがかいへと落ちてきたときに着ていた、元いた世界との数少ないつながりのあかしだ。


 この手の制服はだいたいひと回り大きめのサイズを選んで、卒業まで着ていく。


 だから、一四歳になった今でもこうして着られる。


「行ってきまーす」


 わたしは今日もそれを着てかけはしくんちを出発した。


 かけはしくんのお母さんに洗ってもらうときを除いて、わたしはこのセーラー服を着て外出すると決めている。


 必要性は特にないけど。


 わたしの中のなにかがそうしてほしいと訴えるから。




 わたしが通うじゅくじゅくは学校によく似てる。


 塾生はじゅくという種類のじゅもんを中心とした授業を受けつつ、三つの課程――『わらべどう』『みちどう』『しるべどう』課程いずれかの修了を目指す。


 あくまで塾だ。


 義務教育じゃない。


 なのでどの課程も修了せずに塾通いを辞めてもいい。


 一応、わたしにもそれは当てはまる。


 じゅく<とう>のじゅもんを使いこなせるようになることがわたしの目標だからだ。


 そういうわけで、わたしは今日もまっすぐじゅくへは行かない。


 かけはしくんちとじゅくじゅくちゅうおうとうほんがある、ここ大円のとうさいセントラリオンをぶらぶらすることが最近のわたしの日課だった。


 そう、あくまで最近。


 実を言うとかいに落ちてしばらくの間は散策どころじゃなかった。


『やあ天使さん、今日も塾通いか。精が出るね』


『てんしさんっ。おはようございます』


『あーら天使さんいいとこに来たねー! 見ておくれよこの品々! 日が昇ってくる頃に入荷したばっかりだから新鮮なのよー! 天使さんがひいきにしてくれるんだったらうちも八百屋として箔がつくよ―あっはははー!』


 天国から来た天使だからって、目につく限りの人々から声をかけられた。


 いい気にさせられてたのは最初の数日だけだ。


 ――相手の話に合わせよう。


 ――なるべく笑顔で振る舞おう。


 ――かいの常識から外れないように頑張ろう。


 ほんっとに、おもいかえしただけで、きがおもい……!


 ああいう交流はわたしにはまだ早かった。


 それでしぶしぶ塾通いに専念することにして、天使さんブームが落ち着いてきたと感じたのがひと月くらい前。


 多少だけど<とう>をコントロールできるようになってたのも好都合だった。


 がいうるみはサボりがち。


 ほどほどに頑張るほうがわたしらしい。


 じゅくは学校そのものじゃないから別にサボってもお説教されないし。


 わたしと同じくじゅくじゅくちゅうおうとうほんに塾通いしてるかけはしくんとはまどうし課程が違うから、かけはしくん自ら様子を見に来ないうちはバレる心配もなし。


 だからこれでいいの。


 じゅくの大書庫でじっくり読書を楽しむためにもね。


 さあ酸素補給、酸素補給っと。


「そういえばもうそろそろなんだっけ」


 わたしは歩きつつ活気に満ちたレンガ造りの町並みに目を配る。


 とうさいセントラリオンの建国記念祭。


 開催まで三週間を切ってるだけあって市内は飾りつけが進んでいた。


 屋根代わりの布を上に張った道ばたに並ぶ屋台には、普段は見ない風鈴みたいな売り物がもれなくたくさんつり下がっている。


 ちっとも音が響かないから見た目が似てるだけかも。


 民家が多い通りを何本かのぞいてみてもお祝いムードだ。


 カラフルに着色した太めのつる草で軒先を彩ったり、玄関にドアがあるおうちはそのドアに鳥の巣のようなリースをかけている。


 リースのくぼみにちょこちょこ入れてあるのは玉石だ。


 鳥の卵をイメージしてるだけじゃなくてほかにも意味があったと思う。


「あ、<食火鶏ひくいどり>にも……」


 今わたしの横を通り過ぎてった、太ったおじさんを背中に乗せた茶色いニワトリは<食火鶏ひくいどり>。


 かいではよく見かける乗り物だ。


 わたしが元いた世界でたとえるなら馬かな?


 大きいから家畜としても重宝されている。


 ちなみに、さっきの<食火鶏ひくいどり>には金具をふんだんにつけた前掛けがされていた。


 あれも建国記念祭に向けた飾りつけの一環だ。


「今年は見に行ってみようかな、お祭り。毎年おばさんにさそわれてたし」


「ほっほっほ。ごきげんよう天使さん」


「ぉぁっ……ど、どうも」


じゅくはあっちじゃぞ。どれ、わしが案内してやろうかのう」


「いえいえ~お構いなく~……」


 わたしが通りすがりのおじいさんに話しかけられていた、まさにそのときだった。


「――――おまえじゃねえ! 天使さんだっつーの!」


 レンガの石畳がまっすぐ続く先にある横道のほうからだ。


 耳を打ったのは、荒っぽい男子の声。


 それとなにかを強くたたいたような硬い音。


 続けて視界に入ってきたのは、バラバラになった樽が横道からはじけ飛んでいく様子だった。


「ほっほっほ。呼ばれとるならまた今度じゃのう」


 通りすがりのおじいさんは横道とは逆のほうにこつこつ杖をついていった。


 のんき!


「はぁ、どうしよ……」


 さっきの声、わたしに用がありそうな感じだった。


 行きたくないなぁ。


 でもわたしが離れようとしてる背中を見たらこう『なに逃げてんだよーオラオラー!』みたいにからんできそう……。


 ああ、<とう>のじゅもんで透明人間になりたい。


「とりあえず様子見……そろーりそろそろ……」


 横道からの声も音もとどまるところを知らない。


 わたしは建ち並ぶおうちに張りつくような姿勢で近づいた。


 そして泣き出しそうな心臓を静めつつ、横道へと顔の半分をちらっと出した。


 けんかというには一方的な光景が広がっていた。


 登場人物はふたり。


 ひとりは半そで半ズボンのジャージを身につけ、こげ茶色のポニーテールをぴょんぴょんさせながら不満げにほおをふくらませる女子。


 わたしより背が低くて年齢も下に見える。


 そんなポニテ女子の軽快な動きに必死についていこうとしてるのが、ふたりめの登場人物。


 黒い長髪に黄緑色のメッシュたくさん。


 テカテカのジャンパーに合わせているのはだぶついてるスウェット。


 かいにもいるんだって逆に感動しちゃうぐらいの不良男子だ。


 そんな不良男子は何度もこぶしを振りかざしている。


 ポニテ女子になにかされたのかな?


 だとしても相手はわたしより年下っぽい女子だ。


 暴力なんてあんまりだよ!


 そもそもわたしあんな人に呼ばれてたのぉ……!?


「ゎゎゎゎゎ、ゎゎゎゎゎゎゎゎ」


 わたしがおびえている間もけんかは続く。


じゅくじゅく、塾条その八『乱暴な振る舞いをしない』」


 ポニテ女子が不良男子のこぶしをかわしつつ言った。


「西側のじゅくにもおんなじ塾条があるんだよってずっと言ってるじゃん」


「ただの塾生ごときが指図すんな!」


 不良男子は聞く耳を持とうとしない。


 あんなのとかかわったら大変なことになりそうだ。


 因縁をつけられて校舎裏に呼びつけられるとか。


「お兄さんだって塾生でしょ」


「うるせえ!」


「ひよ、お兄さんがお店の人に迷惑かけてるとこ見ちゃったもん。だめなんだよーそういうの」


「さっきからくどくどくどくど、母ちゃんみてえなこと言いやがって……」


 不良男子がポニテ女子からこぶしをわなわな引っ込める。


 反省したのかと思いきや、近くの八百屋に走って台に積まれていた赤くて丸い果物をひとつ、わしづかみにした。


 あれは多分ザクロだと思う。


 そのザクロに不良男子は遠慮なくかみつき、外側の厚い皮を歯で思いきりめくりだした。


「またやったーっ!?」


 ポニテ女子はまた注意しようとするかのように指を差した。


じゅくじゅく、塾条その――」


「ぺっ! お利口さんは黙ってな。これがチーム・終末日ウィークエンドのやり方だぜ」


「こんのクソガキィ!! お代!!」


「ババアも黙ってろ!」


 不良男子はむき出しになったザクロの果肉をひと口ほおばり、すかさずレンガの石畳にぷぷっと吹き出した。


「いくぜぞう<バンブーダン>だオラぁ!!」


 詠唱――。


 じゅくじゃなくてもじゅもんには違わないのだろう。


 なぜなら、直後にレンガの石畳に吹き出された真っ赤な粒のまとまりがいきなり発芽したからだ。


 それもありえない勢いで。


 ザクロの果肉ひと粒につき一本、青々とした植物が。


 わたしは絶句してしまった。


「――たけ――――?」


 真っ赤なザクロの果肉。


 もしくはその中の種から伸びてきたのはそう、竹だった。


 変なじゅもん


 でも乱雑にびゅんびゅん伸びる無数の竹は槍のように先がとがっていた。


 ポニテ女子も危ないと思ったようで、迫り来る竹を右へ左へとかわしていく。


 が、それはあまりにも多すぎた。


「かかったな!」


 不良男子は勝ち誇る。


 いくつもの竹が交差した天然の檻にポニテ女子が閉じ込められてしまうまで、ほんとにあっという間だった。


 幸いにもポニテ女子はどこもけがしていない。


 あれがマジックショーだったらどんなに安堵できただろう。


 このままじゃポニテ女子は逃げられない。


 もしまた不良男子が同じじゅもんを唱えて攻撃したら――――。


「ひぃ」


 わたしは考えたくもない結果を予想させられ、心臓がきゅっとなった。


 目を背けてしまいたい。


 だってわたしとは関係ないことだから。


 ……もう、もうっ。


 わたしは憎くてたまんなくなった。


 この、無意識にひらめいちゃった頭が。


 知らんぷりできない気持ちの弱さが!


ぞうって」


 ポニテ女子は真剣なトーンで叫ぶ。


「ちょっとお兄さん! なんてことしてるのさ!?」


ぞう!」


 不良男子はさらに口いっぱいほおばったザクロの果肉を吹き出す。


「<バンブー――ダン>ぅ!」


 同じやり方、同じじゅもんで繰り出される竹攻撃。


 天然の檻めがけて青々とした植物の槍がぐんと伸び。


 それらのいずれにもポニテ女子は


「痛っ………………く、ない……?」


 


<とう>のじゅもんが間に合ったから。


「……ぅ、はぁ~よかったぁ……」


 まずわたしが<とう>で天然の檻を急いですり抜けて、ポニテ女子の背中に指を届かせる。


 そしてピンチだった彼女にも<とう>をかけた。


 二年にわたる練習のおかげで学んでいたからだ。


 自分だけじゃなくて、ふれようとした対象もすり抜ける状態にできるという、じゅく<とう>のじゅもんに秘められた効果を。


 パパの書斎のときみたいなことにならない理由?


 単にくるぶしから下を<とう>させないようにコントロールしてるだけだよ。


 レンガの石畳には一応、足が着いてるってわけ。


 もちろん不良男子はこんなこと知りっこない。


 わたしたち初対面だし。


「なんだこりゃあ……」


 不良男子は大口を開けている。


 だけどすぐに乾いた笑い声を出して言った。


「つい驚いちまったがよ。どんなじゅもんだろうが魔力切れになっちまえば終わりだぜ。また刃向かうってんなら何度だって閉じ込めりゃいいんだ」


 この人、やる気満々だぁ。


「そこの三つ編みも覚えとけよ。ささがき百獣王ライオさまにかみつきゃ最後、<バンブーダン>の牙が待ってるってな」


「ちょっとお兄さん、天然の檻これかいじゅしてよ。ここ通る人に迷惑でしょ」


「っし目指すはちゅうおうとう! 待ってやがれよ天使さん!」


「ひよ無視されてる!?」


 ポニテ女子がかんかんになって呼び止めようとする。


「ねえお兄さん! 聞こえてるんでしょ!? ねえってばー!?」


 きいきい声もどこ吹く風。


 不良男子は低いところの竹から順に慣れた様子で飛び移り、民家が多い通りへと走り去っていった。


「……あーーーもうっ!! 逃ーげーらーれーたーーー!!」


「ぁ、あの」


「ん? ――誰!? って、あー三つ編みー!」


 この子、元気っ子だぁ。


「ぁぃぅぇ、えっへへぇ……」


 やめてようるみ!


 もっと、こう、ましな顔して!


 これじゃ不審者だよ!?


「お姉さんいつからいたの? あれ? なんか、すり抜けてる……!?」


「すー…………とりあえず、ここから出よっか」




<とう>がかかった対象同士は不思議とすり抜けない。


 また、自分以外にかけた<とう>は<透過>の使用者わたしがその対象にふれてる間しか効果がない。


 だからわたしはポニテ女子と手をつなぎ、一緒に天然の檻から脱出した。


「ふへぇ、ひと段落……」


「ねえねえさっきのなに!?」


 ポニテ女子は目を輝かせてわたしに質問攻めしてきた。


「お姉さんのじゅもんなんでしょ!? なんですり抜けてたの!? 熟字成分は!?」


 よかった、ほんとによかった。


 いろんな意味で助かったことをわたしは実感した。


「あれはその、<とう>っていうじゅもんで、効果を把握しきれてるわけじゃないから説明しにくいんだけど――」


「『とお』って『』ぎるからすり抜けるんだねー。じゅもんとしてイメージするの難しそう。ひよには向いてないや」


 ポニテ女子はふんふんうなずいた。


 なんだか分析的。


 人は見かけによらないって言葉がぴったりだ。


「お姉さん、ひよを助けてくれてありがとっ」


「むふぇ」


「むふぇ?」


「ぁ、ううん! なんでもないの! ほんとにたまたま、うまくいっただけだから」


「でもあんなタイミングで<とう>のじゅもんをひよに使うとか、お姉さんやっるぅー。このこのー」


 ポニテ女子はわたしのおなかをひじでつついてくる。


 わたしに用があったらしい不良男子はもういない。


 道幅いっぱいに四方八方をさえぎる無数の竹をよそに、わたしは安心しきっていた。


 つかの間の平和だった。

「ん、あれ……」


 わたしは横目遣いに違和感を見る。


 不良男子の置きみやげ、竹でできた天然の檻。


 その下にあるレンガの石畳が少しずつ盛り上がってきていることにわたしは気づいた。


 次の瞬間、わたしが注目していた場所から青々とした植物が力強く顔を出す。


「……たけ?」


 竹。


 またしても。


 どういうわけか、新たな竹はレンガの石畳を突き破って生えてきた。


 それも三本、四本とどんどん数を増やしている。


「こ、今度はなに?」


「さっきのお兄さんがかいじゅしなかったせいだよ」


 ポニテ女子は不満げに新たな竹を見つめる。


「塾生なのに都市の人たちを困らせるし、使っちゃいけないぞうを唱えるし、風紀を乱しすぎ。ひよに見つかったのが運のつきだもんね」


 そう言ってポニテ女子は天然の檻のほうから数歩遠ざかる。


 続けてレンガの石畳に片ひざと両手のひらをついた。


 つまずいたように見えなかったけど。


 わたしは念を入れて尋ねた。


「大丈夫?」


「お姉さんはそこにいて。ちゃんとスペースを用意しないと出にくいって文句言われちゃうんだ」


「文句って」


 わたしは思わずきょろきょろした。


「誰に?」


しょうかんじゅう


「しょう……え??」


じゅく


 こげ茶色のポニーテールが波打つ。


 じゅもんのために活性化された魔力が体中を巡りだしたんだ。


「――――<びゃっ>」


 左手には白い光。


 右手には黒い光。


 唱えられたじゅもんに呼応するかのように、ポニテ女子の両手のひらからあふれたそれらがレンガの石畳へと灰色の方円を描く。


 わたしは不意にそれを黒い装丁の本と重ねていた。


 あの表紙と裏表紙に刻まれていた模様となんとなく似ている気がしたから。


「お願い、ひよに力を貸して」


 ポニテ女子がつぶやく。


 灰色の方円から今、光を破る勢いで四つ足のなにかが飛び出した。


 ふわふわのくすんだ白い体毛に黒いしま模様が入ってて、動物図鑑に載ってたホワイトタイガーとそっくり。


 本物じゃないのはわかってる。


 あれはしょうかんじゅう


 かいとは別の異世界で暮らしてる生き物――だったと思う。


 だいたい動物図鑑のホワイトタイガーはあんなに大きくなかった。


 ぱっと見の体長は寝そべった大人ふたり分くらいありそうだ。


「びぃぃこぉぉぉ!! おっかえりぃぃぃっ!!」


 突然、ポニテ女子は灰色の方円から現れた<びゃっ>に飛びついた。


<びゃっ>の迫力に呆然としてるわたしにはとてもまねできない行動だった。


「ふっもふもぉぉ……ネコくさぁぁぃ……」


「ヒヨリ、離れろ」


 しゃべった!?


<食火鶏ひくいどり>はコケコケなのに!


「や! 吸う!」


「吸うな」


「だってだって魔力とモチベは一心同体だもん」


「正しくは表裏一体」


<びゃっ>はすぐに言い直す。


「ヒヨリの主張にはそぐわんが」


「それよりびーこ、ちゅうおうとうまで連れてって。大急ぎで」


「急いだって遅刻だ」


じゅくじゅく、塾条その十七『遅刻や欠席は事情に応じて許される場合がある』」


「またトラブルか」


<びゃっ>はうんざりだと言わんばかりに黒目を細めながらも、白黒な体を伏せた。


「乗れ」


「うん。じゃあお姉さんも出して」


 まさかの無茶ぶり!?


「ゎ、わたしには無理だよ」


「電子ほんかりじゅもん入れてるでしょ? <食火鶏ひくいどり>でもなんでもいいから早く早く」


「でんしまほん……??」


「お姉さんだって持ってるじゃん」


 ポニテ女子は半ズボンから両手に収まるくらいのタブレットを取り出した。


 これが電子ほん


 ……塾生のみんながだいたい持ってたやつだ。


「ただのタブレットじゃなかったんだ……」


「持ってないの?」


「ぁぅぅ」


「うっそー!? お姉さん、じゅくのすぐ近くに住んでたりする? 送迎つき?」


 手ぶらでかいに落ちてきたわたしだけど、スマホならある。


 あのときも普段どおりスカートのポケットに入れていたから。


 かいじゃ充電のしようがなくて、バッテリーが切れた状態で屋根裏部屋に置きっぱなしだけど。


「じゃあひよのびーこに乗せたげる」


「なにが『じゃあ』なの!?」


「お姉さんにも来てほしいんだもん」


 ポニテ女子は電子ほんをしまったその手でわたしの手を引っ張ろうとする。


「お姉さんの<とう>、すっごくすごいでしょ? あんなすごすごなじゅもん覚えてるお姉さんが手伝ってくれるなら、さっきのお兄さんなんて余裕で止められるよー」


「ぃゃぃゃぃゃ……わたし<とう>以外のじゅもんはからっきしだし、魔力だって少ないほうみたいだし」


「ひよは気にしないもん」


「それに、そのっ」


 わたしはうつむき加減に告白した。


「さっきの荒っぽい人が探してた天使さんって、ゎ、わたしのことだったり……するし」


「へー」


 ポニテ女子は淡々と相づちを打った。


 天国から来た天使ってことに反応しないかいの人、わたし初めてかも。


「それならますます来てもらわないとだね」


「えっ」


「じゃないとさっきのお兄さん、収まりつかないよ? 天使さんはどこだーってあちこちで迷惑かけると思うなー」


 いざ聞かされると目に浮かぶようだ。


「そこにお姉さんをドン! お兄さんはびっくり! 『やっと見つけた!』『ここで会ったが一〇〇年目!』――ほら、お姉さんなら止められそうでしょ?」


「絶対危ないよぉ……」


「ひよも一緒だから平気平気」


 ポニテ女子が軽いノリでわたしの背中を押していく。


 かなうならきっぱり断りたい。


 でもポニテ女子を思いとどまらせられる意見はひらめかない。


 足を止めるだけの勇気すらじゅくじゅくと奮わなかった。


 そうこうするうち、わたしはポニテ女子にぽんと後ろから突かれて<びゃっ>の背中に倒れ込んだ。


「振り落とされないようにしてね。びーこの毛、引っ張ったくらいじゃ抜けないから」


「ぉょょょょ……」


「それじゃあびーこ、出発進行ーっ!」


<びゃっ>がすっくと腰を上げる。


 虎のように勢いよく走り出すどころの話ではなかった。


 次にわたしをぐんと襲ったのは浮遊感。


<びゃっ>はその大きさに見合わない軽やかさで高く跳んでいた。


「おっ――」


 建物の屋根に着地してはまた一段と空を舞う。


 こんな絶叫アトラクションに乗り慣れているわけもなく。


「ぎぃぃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!?」


 わたしはのどがかれるような思いでひたすらしがみつくのだった。




<びゃっ>の高速移動のおかげで、わたしとポニテ女子は二分と経たずにじゅくじゅくちゅうおうとうほんの門前へと到着できた。


 そこは半円形の広場のようになっていて、いくつかの大通りとつながっている。


 だから見晴らしのよさは文句なしだ。


「……むは……」


 それはそれとして寿命が縮んだ気がする……。


「お姉さんあっち」


「ぇ、っと」


「来るよ」


 運がいいのか悪いのか。


 ちゅうおうとうの門前から向かって正面に目をこらすと、ちょうど一本の大通りにあの人影があった。


 遠くてもはっきりわかる。


 黄緑メッシュの不良男子だ。


 乱雑に生える青々とした植物を背景に、塾生らしき男子をこぶしではじき飛ばしつつわたしたちのほうに歩いてきている。


「……あの人、息が上がってるみたい」


 なんだかわたしより疲れてそうだ。


「おーいお兄さーん! 天使さんはここだよー!」


「そんなあっさり言っちゃうの!?」


「いざとなったお姉さんは<とう>ですり抜けられるでしょ?」


「ぁぅ、無責任……」


 一方で都市を荒らす不良男子の矛先を引きつけるには効果的だった。


 とたんに不良男子は歩みを速め、半円形の広場へとすぐにたどり着いた。


「言われてみりゃ……かいじんらしくねえ雰囲気してるぜ」


 不良男子は手の甲で鼻の汗をぬぐうと、わたしににらみを利かせて言った。


「おい三つ編み。おまえが天使さんだったのか?」


「……そう呼ばれてたりはする、けど」


 わたしは<びゃっ>にきちんとまたがり、不良男子に向けて首を横に振った。


「ほんとの天使かどうかって聞かれると、ちょっと……」


「呼ばれてんなら違わねえだろ」


「でもわたし、ただの人間だよ? ……かいの人が勝手に呼んでるだけ」


「んじゃ天使さんで決まりだ」


「な、なんでまたっ」


「多数決ぐらいわかんだろ? みんなが認めりゃそれが当たり前なんだぜ」


 なにも言い返せなかった。


 胸が裂けるかのような苦しみがよみがえったせいだ。


 ……わたしが元いたあんな世界と同じだなんて。


 そんな理屈、認めたくないのに。


「っつーわけだ。見つけた以上はつかまえるっきゃねえよなあ」


「お兄さんってばだいた~ん」


「余裕ぶっこいてんじゃねえぞ。そんなしょうかんじゅうごときじゃ<バンブーダン>は攻略できねえぜ」


「でもあのぞうじゅもん、植物の種がないと使えないでしょ」


「さすがはお利口さんだぜ。よく見てやがるが……」


 不良男子はこれ見よがしに、ジャンパーのポケットから小さなきんちゃくを取り出した。


「種なんざ花屋でいくらでも手に入らあ」


「ひっどーい! またやったんだ!」


「行くぞオラぁ! ぞう!」


 とうとう不良男子がレンガの石畳を蹴る。


 疲れた様子がうそみたいなスピードだった。


 だってたったの一歩で何メートルもまっすぐ進んで、まるで地面に足が着いていないかのような――――。


 違う!


 ほんとに足が着いてない!


「バっ、ばば、ばかなぁ!?」


 走ってはいなかった。


 あのスピードで引っ張られていただけだ。


 あれよあれよという間に不良男子はわたしたちふたりと一頭の横を過ぎて、ちゅうおうとうへと突入。


 そのまま構内にそびえる塾長の銅像へと顔からがつんとぶつかってしまった。


 わたしにはなにが起きたかわかる。


 二年前に体験してるから。


「対象は気絶したな。及第点」


 着古された黒い学ランとマントを身につけた人物が、銅像のとなりでそうつぶやいた。


かけはしくん!」


 じゅく<ばんゆういんりょく>のじゅもんの使い手だ。


 不良男子はこれで引っ張られたと思って間違いない。


「で、うるみとつるんでなにしてるんだ。問題児」


「はっしーじゃん。おはよー」


 は、はっしー?


「というか問題児ってなにさ!」


 ポニテ女子は自ら『はっしー』と呼んだかけはしくんの近くまで<びゃっ>を進ませる。


「ひよは模範塾生目指してるんだけどっ」


きしよりわらべどう課程一年目にして召喚系のじゅもんを使いこなす天才肌だが、塾条を振りかざし、おおむね無関係なトラブルに首を突っ込んではばからない――もっぱらのうわさだぞ」


「塾条を守ってなにが悪いのさ」


「アホ。限度があるだろ」


 かけはしくんはあきれ加減にそう言いつつ、目を回してる不良男子を<ばんゆういんりょく>でゆっくり引き寄せる。


 彼の矛先はわたしにも向けられた。


「うるみもうるみだ。わらべどう課程の一限目はとっくに終わってるぞ」


「ぎくっ」


「寝坊にしては遅すぎる。<びゃっ>に乗せられるほどよりと仲がいいなんて話も聞いたためしが」


 そこでかけはしくんは言葉を区切ると、しばらく黙り込んだ。


「……妙だな」


「ぃゃ、ぁのっ、全然サボりとかそういうのじゃなくってぇ……」


「うるみのことじゃない」


「へ?」


「遠くに見えるあれはこいつがやったんだな?」


 せんさくされないなら話題の変化は大歓迎。


 わたしはかけはしくんへと何度もうなずいて見せた。


 ポニテ女子……ううん、これからはきしさんって呼ぼ。


 きしさんもわたしに同調した。


 けどすぐに「あっ」と大通りのほうに振り向いた。


「ちっとも消えてないね」


「ああ妙だ」


「わかったはっしー、ぞうだからだよ」


「なんだって?」


「ほんとほんと。そこのお兄さんがそう唱えてた」


「ならじゅもんが暴走してるのか。禁じられたぞうなんか使いやがって……」


「……ぇ、っとぉ」


 ふたりの話についてけない……。


 おろおろするわたしにかけはしくんは気づいてくれたらしい。


 見かねたように説明を始めた。


「たいていのじゅもんかいじゅを宣言しなくても、使用者がじゅもんを維持できない状態になれば効果を失う。たとえばそう、気絶したとき」


「えっでも」


 わたしはちらっと不良男子に目を移す。


 疑問なんてお見通しとばかりにかけはしくんはわたしの言葉をさえぎった。


「暴走したじゅもんは別だ。ところでうるみ、じゅもんにはいくつ種類がある?」


「ふ、ふたつ……じゃなくて、三つ! じゅくかり、それにぞうも」


「よし正解」


「ほっ」


 当てずっぽうの正解だった。


 だってわたしぞうなんて習ってない。


 今日初めて名前を知ったくらいだよ。


「ごめんねかけはしくん、ぞうってどういうじゅもんだっけ?」


「おさらいもかねて教えるつもりだったんだ。遠慮なく学んでいけ」


「今のはっしー、講師のセンセっぽーい」


「茶化すな」


「はーい」


「まずはじゅくかいにおいて最も一般的で、今なお研究が進んでるじゅもんの一分類だ」


 これはわたしにもなじみ深い。


<とう>のじゅもんも<ばんゆういんりょく>のじゅもんじゅくだ。


「次にかりほんに収録される形でほぼ誰にでも唱えられるじゅもんだな。歴史的に見てかなり古い」


「<食火鶏ひくいどり>なんかもかりだねー」


「そういうおまえの<びゃっ>はじゅくだったな」


「そういうはっしーに質問っ。おんなじ召喚系なのになんで<びゃっ>と<食火鶏ひくいどり>は違う種類のじゅもんなの?」


「自分のじゅもんのことぐらい自分で調べろ」


「ぶー」


「そして最後はぞうだ。これはじゅくともかりとも異なる独自形式のじゅもんで、じゅもん固有の……」


かけはしくん?」


「……意味や概念的性質が不確かなんだ」


 ふと、かけはしくんがどこか苦い顔つきになったような気がした。


「その分、幅広い効果が期待できる。使用者がコントロールしきれずに暴走する危険もあるけどな」


「その暴走ってどれくらい危険なの?」


「あらゆるじゅくじゅくが固く禁止するほどだ」


 う~ん、いまいちピンとこない。


「このままだとお兄さんが死んじゃうくらいだよ」


 なんでもないかのように物騒な言い方をしたのはきしさんだった。


「解けないじゅもんは魔力が空っぽになっても解けないんだよ。魂を魔力代わりにして使いきっちゃうまではね」


「ぅゎぁ……」


「安心しろ。魂を使いきる前にじゅもんで回復し続ければ死にはしない」


 かけはしくんは冷静に言った。


「それより都市中に生えようとしてる竹のほうが問題だ。こいつにかいじゅさせるまでは場当たり的だろうが竹を処理していかないとまずいぞ」


「タケノコだったら取り放題なのにねー」


「おまえってやつは……」


「冗談冗談」


「おまえとうるみはちゅうおうとうに避難してろ」


 かけはしくんは<ばんゆういんりょく>のじゅもんを唱える。


 すると彼と不良男子の体が少しずつ浮き上がった。


「おれはこいつを法務官庁に引き渡すついでに状況を伝えてくる。すぐに警務官庁を巻き込んでくれるはずだ。もちろん、しるべどうたちがいるちゅうおうとうにもな」


「センセも出てくるの!? じゃあひよが模範的に頑張ってるとこ見せちゃおーっと」


「アホか、わらべどうの手に負えるような――」


 まさに一瞬。


 なんときしさんはすでに<びゃっ>を跳ばしていた。


 かけはしくんの注意を振り払うかのように。


 そしてわたしはとばっちりだ。


「ぁ……あぁんまりだぁぁぁぁぁぁ…………」


<びゃっ>から降りとけばよかった!


 あんな竹の処理なんかできっこないよぉ!

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