第3話 影

 目を覚ます。

 眠っていたみたいだ。見たことがない部屋にいる。目に見えるだけでもお洒落な木製の壁、彩られた花々、綺麗な照明。お洒落な雰囲気のある場所だった。そして、ほんのかすかに花の香りと香水の甘い香りが辺りを充満している。


「ここは…」

「起きたかしら?どう、気分は?」

 僕は声がした方を振り向く。

 スラッとした体に黒いスーツに黒いズボン、黒いヒールという全身黒の服装を身に着けた女性が僕が座っているソファの後ろにある椅子に座って僕を見ていた。

 髪は肩まで真っ直ぐ伸びていて黒く染まった服装とは反対に雪のように真っ白な肌をしていた。


「あ、貴方は?」

 困惑気味に僕が聞くと彼女は椅子から立ち上がり、僕の目の前まで来る。彼女は常に笑顔だが、なんだか取ってつけたような表情でやや不気味にも感じる。


「私の自己紹介がまだだったわね。私は宇(そら)。貴方は?」

「ぼ、僕は金谷潤です。宇…さん。よろしくお願いします」

「金谷君ね。よろしく」

 宇という女性はニッコリと笑って僕に手を差し出す。僕は怯えながらも手を出し握手する。彼女の細い体からは想像できないほど宇さんは力強く握った。


「まだ状況が分からないことばかりでしょう。順を追って少しずつ説明するわ」

 僕は何やら面倒事に巻き込まれたようだ。

 そりゃ今日起きた訳分からないことは面倒な事に違いないだろう。


「ん、誰?そいつ」

 宇さんとは違う、別の声をした方を振り返る。いつの間にそこにいたんだろう。かなり小柄な女性が自身の身の丈に合わないダボダボな服を身に着け、少し離れたキッチンに立ってカップラーメンを手に持っていた。


「あら、泉(いずみ)、まだ帰ってなかったの?」

「これから。これ食べ終わったら行く。そんで?そいつは」

「紹介するわ。この子は金谷潤。新しく入る子よ。金谷君、こっちは泉よ」

 彼女が僕を見たその瞬間。ふわっとそよ風のようなものを感じる。そしてまるで瞬間移動したかのように一瞬で彼女は僕の目の前に立っていた。彼女は僕のことを不思議そうに見上げ、僕は反射的に体を後ろにそらす。


 見た通り、彼女は小さい。だが僕が彼女を身長で見下ろしているのに、何故か彼女の雰囲気が僕を圧倒して僕が見下されているような感覚だった。


「へー、新人か。それで?あんたは何出来るの」

「ど、どんなこと…?」

「宇に勧誘されてるってことはかなり強いでしょ?あんた何できんの?移動?攻撃?それともそれ以外?」

「ちょっと泉。そのくらいにしておきなさい。金谷君は今日の朝、私の影に選ばれたの。まだ何が出来るのか分かってない。今さっきこの子の影が暴れていたから抑えつけて拾ってきたの」

 それを聞くと泉さんは少し驚いたように宇さんの方を振り返る。


「…え?こいつが?こっんなに弱そうなのに?」

「ええ。この子の影はさっき暴れてたのを無理やり抑えたからまだ会ってないけれど、もうそろそろ、そう遠くない内に出てくると思うわ」

「ふーん、ま、いいや。あたしには関係ないし。また何かあったら呼んで」

 そう言うと泉さんはさっきのソファにまた一瞬で移動して横になり、スマホを弄り始めた。話し方自体は普通だけど何か抑揚を感じない、無感情な人のような話し方だった。


「えっと…その、さっきから影って言っているのは何ですか?」

「影について説明するのは大変ね。説明しないといけないことが多いから…。とりあえず見本として私の影を出しましょう。空って呼んであげて」

 彼女の足元にある影が彼女の足元で段々と揺れ動き始め、平らな存在だったものが段々と奥行きを持って形になっていき、そして宇と同じ大きさの女性が現れた。

 一つ違う点があるとすれば空は全身が真っ黒なモヤで包まれているいることだ。顔はモヤで何も見えない。唯一目の部分だけは白くなっていて場所を確認できる。

 僕が今朝見たのはこの人だとすぐに分かった。


『君と会うのは2度目だ。今日の昼に会ったのを覚えてくれているかな?覚えていなくても問題ない。また改めて自己紹介させてもらおう。私の名前は空だ』

 そう言ってさっきの宇さんと同じように手を差し出す。何だか口調や雰囲気がちょっと違う、宇さんよりもやや堅いけど声自体は宇さんと同じだから変な感覚だ。手を握ろうとするも僕の手は霧を掴む時のように彼女の手をすり抜けていった。


「これが影。実体は無い。君にも同じようなものを持っているわ。影にはそれぞれ特別な能力を持ってて空は…、未来を見たり、位置を交換出来る」

 驚いている僕を横目に空さんは普通の影に戻っていった。


「ちょっと早いけど説明は終わり。本当は君に伝えたいことは山のようにあるけれど一度に全部説明しても理解しきれないでしょう。君の影が出てきた時、また詳しく説明するわ」

 説明を聞いてなんとなくは理解できたがまだ理解しきれない。

 僕はどうなってしまったのか。あの影を僕も持っているらしい。不安が押し寄せる。


「それで…僕はこれからどう過ごしていけば良いんですか?その…影、というのを僕はちゃんと使えるようになるんですか?」

 宇さんは僕を見ながら顎に手を当て、少し考えた後視線を僕から外しどこかを見ていた。僕も視線の先を見てみるとソファでスマホをいじっている泉さんがいる。


「君が影を使えるようになるかは安心して。使えるか使えないかじゃない。使えるようにする、から。そして、これから影が安定して出てこれるまでの間の金谷君の護衛は泉、貴方に任せるわ」

「え?何?あたし?」

 ソファに寝っ転がってスマホを弄っていた泉さんが驚いたように首だけ上げ、僕達を見る。


「ええそうよ。泉ならいくらピンチになってもどうにかなるでしょ」

「あたしより哲の方が頼り甲斐があると思うけど」

「それはダメよ。哲は私から別の用事をお願いしているから。蓮は今の状態じゃ任せていられないし」

「えぇ〜……」

 ゴニョゴニョと何か言っているが諦めたように頭をドサッとソファに落とし


「ハーイ、ワカリマーシタ」

「フフッ、それじゃあお願いするわ。それと、どうせ泉もそろそろ帰るんだからこのまま金谷君を送ってあげてくれるかしら?」

「はいはい、分かったよ。はぁ、人の使い方が荒いんだから。ま、今日は課題が早く終わって気分がいいからね。仕方ない。やってあげよう」

 そう言うと泉さんはソファから飛び上がり小さいバックを肩にかける。

 送ってもらうということは電車でだろうか。こんなに小さいのにもうしっかりしているな、と思った。


「すいません、急に送ってもらうことになるなんて。ありがとうございます…」

「いーの。じゃ、行こっか。場所は?」

「えっと、ここです」

 最寄りの駅をアプリを開いて見せる。それを見た泉さんは苦笑しながら


「いやいや…電車じゃないよ。直で行くんだから。あんたの家の住所は?」

「え、えっと…ここですけど、まぁまぁ遠いですね。」

地図アプリで僕の家を見せ、泉さんはうんうんと頷き、集中するかの如く目を瞑りながら深く息を吸って同じくらい深く息を吐く。

 泉さんが目をゆっくりと開けるとさっきまでの少し余裕のあるゆったりとした雰囲気とは違った、鋭く息が詰まるようなまるで別人のような雰囲気になっていた。


「目、瞑ってて」

 言われた通り目をぎゅっと瞑る。

 泉さんが僕のお腹を抱えるように腕を通す。

 何か言おうとした瞬間にザンッという風が切れるような音と、まるでジェットコースターに乗っているかのような風を数秒間浴びたあと、風はパッと止んだ。


「場所、ここでいい?」

 ゆっくり目を開くと僕の家のベランダに着いていた。泉さんも先程の雰囲気に戻っている。


「は、はい。ありがとうございます」

「私はこれで。バイバーイ」

 呆気に取られている僕を置いてそそくさと泉さんはベランダから身を乗り出し、そのまま落下していった。僕は急いでベランダの下を見るも、もう既に姿は見えなくなっていた。

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