ビル・ゲイツは知っている、ウィンドウズは知らない

 父は、いつもニュースを見る際に、為替相場の動きをよくチェックしていた。この事実だけを切り取って聞くと、世界経済の動きに非常に敏感にアンテナを張っているバリバリのビジネスマンに聞こえる。

 確かにここまでは正解と言えば正解だが、そのインプットに対してアウトプットする機動力がない。もしかしたら、父に限ったことではなく、父の世代にはありがちなことなのかもしれない。 逆に若い世代は、為替相場に毎日関心がないかもしれないが、PCも使うしスマホも毎日使ってネットやゲームに勤しんでいる。

 どちらの世代も、自分の生活や仕事に直接かかわりがなければ、関心を示すことはないと同時に、自分の日々の生活に必要なインフラに関しては、行動を持って熟知している。

 百歩譲って、ITに興味がなくとも、スマホは使えるのではと思う反面、父は、携帯電話自体が、生きる上で必ず必要なアイテムでもない。スマホの時代にガラ携だったが、しかも受信専門家だった。

 父と待ち合わせをして、こちらから連絡することはあっても、父から電話をかけてくることはない。少なくとも私が一緒にいた時間は、かけてくることはなかった。携帯電話が文字通り「携帯する電話」そのものになっていた。もし製品名が携帯受信電話となっていたら、受信するための電話と認識して購入したかもしれないが、携帯電話とだけ書かれていたら、購入することはなかったかもしれない。

 父は、経営者になってから、個別銘柄の株の動きに興味を持つようになった。どれだけの株を所有していたのかは分からないが、前述した競馬レースの分析ノートに向けた情熱を、もし投資に向けていたら、大きく資産の幅を広げることができたのではないかと推測する。

 日々株の値動きを追っていたので、マイクロソフトという言葉と、読書家だったのでビル・ゲイツという言葉も恐らく知っていただろう。しかし、PCを触らないため、ウィンドウズが何かを認識はしていなかったと思うし、マイクロソフトは、窓の販売で世界を席巻した外資企業と思っている可能性もある。

 その昔、「リンクトインって知っているか?」とまだアメリカからの一時帰国の時に聞かれたことがあった。勿論私は知っていたが、父がリンクトインが何の会社なのかを認識していたかどうかと言われれば、きっと株価を除き認識をしていなかっただろう。

 今、いくつか話してきたトピックで勘のいいひとならわかると思うが、父は、つまり、「惜しい」ところにいるのだ。

 競馬に夢中になった時に記録し続けた競馬レースの結果ノートも、その結果をエクセルで蓄えていたら、特定の馬の走り、体調の傾向、騎手のレース実績の傾向をある程度までは分析し、次のレースでの結果の予想に役立てたはずである。

 競馬ノートを書いていた時に、ビル・ゲイツを知っていただろうに、エクセルというものに到達できていなかったのは実に「惜しい」。寧ろ、ネタとしては「おいしい」。芸人であれば、敢えてネタとして考えて踏んだ韻も、父はリアルに、素の状態で実践をしていたのだ。

 アウトプットに乏しかった父も、競馬に向けた情熱に関しては、ローテクでアウトプットを続けた。にもかかわらず、マネタイズに関しては、企業成長としてではなく、最後までギャンブルとして終わってしまったのは、実に「惜しい」。

 私に「リンクトインを知っているか」と尋ねた時、株価を追っていた。当時、既に一般的になっていたフェイスブックのプロフェッショナル人材版だということも、もしかしたら証券会社の営業マンを通して聞いたことがあったかもしれない。

 しかし、ソーシャルメディア自体のコンセプトを認識していなかったと思うし、フェイスブックを実際に使ったこともなければ、リンクトインが何を生み出すためにあるサービスなのかを認識することは難しかったかもしれない。

 ビル・ゲイツを知っていて、マイクロソフトまで知っていたにも関わらず、マイクロソフトがリンクトインの親会社であるという知識までにはつながっていなかったのも実に「惜しい」。

 赤字立て直し専門家として、自分の会社のいくつかの海外拠点の赤字を立て直した立役者も、英語は話せなかった。しかし、読むことはできた。しかし、英作文はできなかった。もし、英語も話せて、Eメールをグローバル拠点に送ることができる能力があれば、もっと大きなビジネスも動かせたかもしれないと考えると、実に「惜しい」。

 ここまで惜しい人材も最大のアウトプットとして発展させてやれなかった身内として、今では反省をしている。あの時、あの競馬ノートをエクセルに打ち込んで売上予測のようにレースの予測を出せていたら、どれだけ父の競馬壁を、ただのギャンブルと終わらせずに、データサイエンティストとして名前を世に知らしめることができただろうと考えると、実に悔いが残る。出る悔いは、晴らしたい。そういう一心で今を生きている。


父への手紙

 親父は、人には理解されない才能を持っていたし、その数も多才と言えました。常に惜しいところにいながら、それを引き出すだけの人材が日本にも家族にもなかったことは、後悔してもしきれない。頑固と言われたかもしれない性格も、正しい方向に向いていた、ということだけは伝えておきます。将来の展望を示してくれてありがとう。今では、ウィンドウズは、窓売りじゃないって分かりました。

 「ビル・ゲイツは知っていても、ウィンドウズは知らない」というのは、私の今までの生き方で非常に共感できるものがあります。これが血というものなのだ、と納得させられる事実です。

私は、ドラムを長いこと叩いていましたが、基礎ができていなかった。アメリカでの音楽活動も、マネージャーを申し出てくれたエージェントまで見つかったところで、バンドは実質解散状態だった。受験は、模試ではA判定なのに、本試験は不合格ばかりだった。全て「惜しい」ところまで進んだものの、ものに出来ぬものばかりだった。


きっと親父は、「成功したいなら、継続の他に、色々なやり方でアプローチしてみろ」と伝えたかったのだろうと思う。

ドラムも基礎ができないなら、一旦目の前のジャンルを離れ、基礎固めをしておけば、今のYouTuberのようなお披露目ができただろう。

エージェント契約が結べるチャンスを解散ということで逃したのは、企業で言えば、今までの誠意ある営業活動が実って大型案件を貰えるチャンスを、リソース不足により断念しなければならなかった時に準え、何が起こるか分からない未来に備えておけ、というメッセージだったのでしょう。

模試A判定で受験に滑った事例からは、準備が完璧にできても、本番でも揺るがない屈強なメンタルを作れということを言いたかったに違いない。

まさか、親父の「惜しさ」が人生50年を迎えそうな今に繋がるとは思わず、親父の生き方を自分の人生で挽回することができていない今を残念に思う。多くの教えを受けていたことが、コミュニケーションが取れなくなった今、身をもって分かるようになりました。そういう意味では、親父のアルツハイマーも、「天からの声」として降ってきた荒療治の一つだったのかもしれない。


多くの教えに感謝します。

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