きっと執筆家になりたかった
父は、間違いなく執筆家になりたかった。売れない小説家を切望していたに違いない。開けても暮れても読書、何も言わずに出かけても家族が心配することはなかった。何故なら、行き先は、近くの図書館か、隣駅の図書館か、養老渓谷かの3択だからだ。
父の中にある地理の教科書の中には、地形を教える章では、「渓谷」「山地」の二つだ。渓谷に行くなら「養老渓谷」。近くに山地がないから、その代替案として「散歩」をする。「散歩」の原動力となるのが、「図書館」だ。登山家である父は、「なぜ散歩ばかりする?」の質問に「そこに図書館があるから」と応える。実に深い哲学である。
父が出かけ時についていっても、たどり着けるのは図書館でしかなかった。それ以上でもそれ以下でもない、あの本を無料で借りられる「図書館」だ。近くの図書館は狭く、蔵書も少なかった。子供時代に狭いと感じたのだから、大人になった今行けば、茶室並みのサイズに見えることだろう。
隣駅にある図書館は、近くの図書館よりも広く、レコードなどのメディアがもあり、蔵書も明らかに多いと感じた。今住んでいる地元の図書館も小さく見えるが、当時の近くの図書館よりは大きい。
「図書館」を広辞苑で調べれば⑩の意味に「父」とか出てきそうなくらい、「父と言えば図書館」な人だった。とにかく小説が好きだった。私が大人になってから読む本は、実用書、経済書、リーダーシップや経営、マネージメントに関する本が多いのに対して、父は圧倒的に小説が多かった。
小説のいいところは、「想像力」が鍛えられるところだ。そんな父は、「想像力」に乏しく、どちらかと言うと現実的だった。今思うと、父の性格からすれば、マネージメントやリーダーシップ、経営の本の方が性格に合っていたのではと思えて仕方がない。
そんな父は、引退後に朝日新聞のコラム欄に書いてあるようなことを書けるようになるためのクラスを受講していた。最初は、表現力を出し切れずに苦労していたが、最後は実によく講師からお褒めの言葉を貰っていた。そういう時は決まって、「この間書いた短編なんだけど、読んでみる?」と聞いてくる。「いや、大丈夫」と断ると「読んでみたくない?」と食い気味にくる。押しに負けて「分かったよ。読むよ。読ませてください」と言うと「嫌ならいいんだけどさ。強制はしないよ」と今度は引き潮を演じる。津波の前兆が引き潮だ。ここで読まなければ大きな波に襲われると感じ、私の方から作品を取りに行く。
読んでみると、普通に良く書けている。ただ、小説を読まない私にとっては、仮にその作品が価値として高くても、正当に評価できないのは残念だ。
思い返してみると、父は図書館で小説を借りては、そこにある文章をノートに書き写していたことがあった。それは、小説の表現を自分なりに覚えようとしていた証なのだろうと思う。父には、ネタ帳が二種類あった。一つが、小説の文章を書き写していたネタ帳。もう一冊は、競馬の予想ノートだ。コクヨのノートもノート冥利に尽きるだろう。
父は、コンクールに作品を応募するということはしていなかったと思う。出せばよかったのにとは思うのだが、父は学校の様な学習が好きで、それをもとに行動を起こすことをためらう性格だった。
臆病と言っていいのか、行動に出るまでに緻密に考えるたちなのか、色々と理由はあるのだろうが、行動する人はそれ程考えてはいないはずだ。考えが行動力をそぎ落としてしまうということは、世の中の成功者たちなら既に理解しているだろう。
父は、定年を迎えて引退をしたものの、正直、経営者にもなっていたから、もっと続けることが出来たと思う。父は疲れたからやめると言っていたが、疲れたのは物理的な事ではなく、心理的な要因が多いはずである。現役中に、小説のコンテストに応募でもして、一度でもいい賞を取り、一冊でも小説を出していたのなら、引退後に売れない小説家首位の座くらいは獲得できたと思うと、悔やまれてしょうがない。
父はテクノロジーとは無縁な生活をしていたので一生知らないままだったと思うが、今は人工知能が文章を起こしてくれる時代、表現力が稚拙でもアイデアや構成を指示すれば、それなりの小説は完成できたことを知れば、テクノロジーにも興味を持ったかもしれない。
父が車やコンピュータに興味がなかったのは、それを使ったアウトプットに自分の興味が結びつかなかったからに他ならない。ビル・ゲイツは、株を購入するという行動と結びつき、マイクロソフトという名前に興味を持たせてくれたかもしれないが、コンピュータを動かすウィンドウズは、コンピュータを動かさないからこそ、知っても意味のない存在だったのだと思う。
もし、父が構成や設計を私に伝え、私が人工知能に指示をして文章を起こして出来上がった短編を読んだら、必ず興味を持ったに違いない。人工知能が民主化されるのが少し遅かった。
父の行動パターンから学ぶ経営ノウハウ
父は読書家であり、図書館に頻繁に通い、小説を借りて読むことに時間を費やしていた。また、小説の文章をノートに書き写し、表現力を高める努力をしていた。これは、自己啓発と継続的な学習の重要性を示している。経営者としても、新しい知識やスキルを習得し続けることが重要である。
父は、小説への強い情熱を持ち続け、そのために多くの時間を費やした。引退後も、文章のクラスを受講し、表現力を磨こうとしました。これは、情熱と持続力の重要性を示している。経営においても、情熱を持って取り組むことが長期的な成功に繋がることを教えてくれている。
そんな父は文章を学び続けたが、コンクールに作品を応募するなどの具体的な行動には移すことはなかった。これは、計画だけでなく実践と行動が重要であることを示している。経営者として、計画を立てるだけでなく、実際に行動に移し、試してみて初めて成功へ扉は開くのだ。
父がテクノロジーや人工知能に興味を持たなかったのは、それが自分の興味と結びつかなかったからに他ならない。しかし、もし父が人工知能を利用して文章を作成することを知っていたなら、興味を持ち、そのリソースを活用したかもしれない。これは、適切なリソースやテクノロジーを活用することの重要性を示している。経営においても、新しい技術やツールを活用して効率を高めること示唆していたのだと思える。
父が引退した理由の一つには、心理的な疲れがあったとされる。経営者も同様に、心理的な障壁を克服し、精神的な強さを保つことが重要である。これは、心理的な健全さとストレス管理が経営に何よりも重要であることを教えてくれていたと言えよう。
父の読書という行動パターンは、小説を読むことで想像力を養えという教えであったと思う。経営においても、想像力と創造力は新しいアイデアや解決策を見つけるために重要であり、創造的な思考と問題解決能力こそが社会への還元に他ならない。
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