第10話  少女

 冷たい風が頬を撫で、森の静けさが耳にしみ込んでくる。周囲の木々は高くそびえ、太陽の光がわずかに差し込むだけで、ほとんどが影に包まれている。木々の間からは細かい霧が立ち込め、視界をぼんやりと覆っている。


 空気はひんやりとしており、湿気を含んでいる。足元には苔が一面に広がり、踏みしめるとしっとりとした感触が伝わってくる。遠くからは川のせせらぎがかすかに聞こえ、森の静寂の中で一際目立っていた。


「ここは……どこの森だ?」


 周囲を見渡しながら、自問自答する。この森には見覚えがない。完全に未知の地域かもしれない。


(寒いな……北の大陸か?)


 突然、鳥たちの囀りが止まり、静けさが一層際立った。不気味な静寂が森全体を覆っているようだ。


「……気配を感じる」


 周囲を警戒しながら、森の奥へと進んだ。足音を立てないよう慎重に進む。葉っぱが風に揺れ、微かに擦れる音が耳をくすぐる。


 霧の中から大きな影が現れた。巨大な狼のモンスターが群れを成し、こちらに向かってくる。目は血走り、飢えた表情だ。


赤狼レッドウルフか……ちょうど良い試し相手だ。獣に近いから話も通じないだろうしな」


 小さなカエルの姿のまま、戦闘態勢を取ると、赤狼レッドウルフたちが一斉に襲いかかってくる。


 素早くジャンプし、その動きをかわす。彼らの攻撃を避けながら、次の手を考える。


「まずは一匹!」


 俺はスキル、強酸息吹アシッドブレスを発動し、近づいてきた一匹の狼に向けて強酸を吹きかけた。狼は苦しみながら倒れ、そのまま動かなくなった。


「次だ!」


 残りの狼たちが一瞬ひるむが、すぐに襲いかかる。俺は素早く動き、次々とスキルを発動して倒していく。


 最後の一匹が突進してきた。微蛙化マイクロフロッグを解除し、EXスキルの捕食進化エヴォリューションバイトを発動して丸呑みにする。


 捕食進化エヴォリューションバイトは、敵を捕食することでその能力やエネルギーを取り込み、自身の力として吸収するスキルだ。


(ケロキングのEXスキルの一つ。さぁ効果はどれぐらいだ?)


 狼のエネルギーが体内に吸収され、力となるのを感じた。


「やっぱり、この力は使える。ケロキング、たいしたもんだな」


 周囲を見渡すと、再び静けさが戻り、鳥たちの囀りが聞こえ始めた。


「これなら、なんとかやっていけそうだ。だけどここは未知の領域、油断はできないな」


 スキルの微蛙化マイクロフロッグでもう一度小さくなり、振動感知バイブレーションセンスを使って周囲に動きがないか警戒すると、小さな反応が一つあることが確認できた。


 今の体、このケロキングの体は通常のカエルと異なり二足歩行ができるようなので、俺は立ち上がりその反応がある所へ向かった。


 体の重みを感じながらも、しっかりと地面に足をつけて歩くことができる。新しい姿勢に慣れるまで少し時間がかかりそうだが、この体には無限の可能性が秘められていることを感じる。


 人間だった時は二足歩行なんて意識する事なんてなかったけど、転生してアリだったりカエルだったりでずっと四足歩行だったからなんか変な感じだよな、なんて考えながら歩いていると小さな反応があった場所にたどり着いた。


「確か……この辺りだったと思うんだけどなー」


 俺は警戒しながら周りを探索すると、大きな木の根元に人間の子供が入れるような穴があるのを見つけた。木の根は絡み合い、その間に隠れるように穴がぽっかりと口を開けている。まるで何かがその中に隠れているかのように、自然の隠れ家のようだ。


「ここか?」


 その穴をのぞき込むと、薄暗い空間の中に小さな少女が横たわっていた。彼女の顔は汚れており、衣服もぼろぼろだ。息が浅く、微かに動く胸が彼女がまだ生きていることを示している。少女の周りには、乾いた葉や小枝が散乱しており、彼女の体をかばうように覆っている。


 木漏れ日が僅かに差し込み、少女の髪が金色に輝く。その姿はあまりにも無垢で、保護が必要な存在であることが一目でわかる。俺は彼女に近づき、そっと声をかけた。


「ゲロ? ゲロ(大丈夫か? 助けてやるからな)」


「わぁー、大きいカエルさんだー。その小さな王冠みたいなのかわいいねー」


(しまった! 蛙語翻訳フロッグトランスレーションは人間には通用しないのか)


 俺の声は少女にはただのカエルの鳴き声としてしか伝わらなかったらしい。だが、彼女の表情には恐怖の色はなく、むしろ好奇心に満ちていた。そんな無邪気な反応に、少しだけ心が和んだ。


 しかし、子供がいるという事は近くに村か町があるとみていいかも知れない。さすがにモンスターがいるこの森で子供一人って事はないだろうし。俺は周囲の警戒を続けながら、彼女を助ける手段を考えた。


 少女は何度か俺に手を伸ばし、ふわふわとした小さな手で俺の体に触れた。彼女の手は温かく、その温もりが緊張を少しだけ和らげた。


「わたし、足をケガしちゃってうごけないんだ。カエルさんはどうしたの? ここには食べられるものはなにもないよ?」


 少女の足に目をやると、血がにじんでいるのが見えた。傷は深くはなさそうだが、放っておくわけにはいかない。俺は一度深呼吸し、彼女に向かって微笑むように試みた。


「ゲロ、ゲロ(大丈夫だ、少し待っていてくれ)」


 手を胸に当てて、任せてくれといったポーズを取ってみた。


「もしかして任せてってこと? うふふ」


 彼女は微笑みながら、俺の意図を汲み取ってくれたようだ。


 これぐらいの傷ならなんとかなる。確か賢者に、魔法もスキルも使えない時に使える賢者の一族だけが知っている簡易的なポーションの作り方を聞いたことがある。必要なのは、セリュリア樹の樹液、飲めるような綺麗な水、そして少しの手間だけだ。


 周囲の様子を確認して、大きな葉を探した。幸運にも、すぐ近くに広くてしっかりした葉を見つけた。それを慎重に折り曲げて即席の容器を作る。


(これで樹液を集めるか)


 セリュリア樹の幹に小さな切れ目を入れ、葉の容器で樹液を受ける。続いて、近くの清潔な水源から水を集め、同じ容器に注いだ。


(これで……完成だ)


 俺は樹液と水をさっき水を集めた時に洗っておいた小枝でよく混ぜた。小枝を慎重に動かし、光の粒が浮かび上がるのを確認した。淡い光がポーションに宿る様子を見て、少しだけほっとした。


(さて、これを……)


 即席のポーションを少女の傷口に塗ると、少しずつ血が止まり、傷口が閉じ始めた。さすが賢者の一族だけが知っている秘伝のポーション、簡易的とはいえその即効性には驚かされるな。


 少女の顔に安堵の表情が浮かび、ほのかに微笑んだ。


「ありがとう、カエルさん……」


 少女の感謝の言葉に、俺は少しだけ安堵した。そばにいるわけじゃないのに、また助けられたな。ありがとう、賢者。


「ゲロ、ゲロ(大丈夫、安心してくれ)」


 俺は少女に向かって優しく微笑んだ。その微笑みを受け取った少女も、安心したように微笑み返した。


「もしかしてカエルさん、わたしの言葉がわかるの?」


「ゲロ!(分かるよ!)」


 俺は首を縦に振り、少女にわかりやすく伝えようとした。少女は驚きと喜びが入り混じった表情を浮かべた。


「わたしの言葉がわかるカエルさんなんて、すごいね! 誰かとお話するのなんて久しぶりで嬉しい!」


 久しぶり……? この子には一体何があったんだろうか。心の中に疑問が浮かぶが、今はこの子を安全な場所に連れて行くのが先決だ。


「ゲロ、ゲロゲロ(安心して、ここから連れ出してあげるからな)」


 俺は少女に向かって力強く頷き、再び手を胸に当てて「任せてくれ」というポーズを取った。少女はそのジェスチャーを見て、ほっとしたように笑顔を見せる。


 まずは顔も汚れているし、服もボロボロだから、洗ってあげないとな。


「ゲロゲロ(さあ、一緒に行こう)」


 確か近くに川があったよな? そこを目指すとするか。







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