第19話 隼の剣士

 氷点下のブリザードテンペストの脅威はまさに目に見える形で迫ってきていた。白い霧のような寒波が、まるで生き物のように大地を覆い尽くし、触れるもの全てを凍りつかせていく。その霧が近づくたびに、肌に刺さるような冷たさが増していく。


「急いで! 寒波が来やす!」とダリエルが叫ぶ。


 リリカも必死の形相で走り続ける。

 背後には白い霧が迫り、まるで生き物のように俺たちを飲み込もうとしている。

 俺は彼女の手をしっかりと握り、ダリエルの後を追う。


 しかし、思ったよりも氷点下のブリザードテンペストの速度は速く、たまに後ろを振り返り確認すると、じりじりと俺たちとの距離を詰めてきているのが分かる。


(このままじゃリリカが持たない、なにか……なにかないのか)


 俺は走りながらもこの状況を乗り越える策を考える。


 くそっ、賢者のような思考加速のスキルが欲しい! でもそんな事を考えても無駄なのは俺自身が重々承知している事だ。


 まず俺のスキル、素早さ強化クイックムーブは俺自身にしか効果はないので無理……そうか!


 俺はマントを魔法のポーチにしまい、スキルの微蛙化マイクロフロッグを解除して元のケロキングの大きさに戻る。


「カエルさん、大きく……なったね」

「カエルの旦那、なにか策があるんですね?」


 リリカとダリエルは息を切らしながらも、俺の大きさに驚いた顔をしている。


「ゲロゲロ!ゲロ!(説明している時間はない!行くぞ!)」


 リリカとダリエルを素早く背中に乗せた。そして、素早さ強化クイックムーブを全力で発動させ、一気に洞窟へと向かって駆け出す。


 凍てつく風が肌に刺さってくるけど、リリカとダリエルの安全が最優先だ。俺の大きな体が冷たい風を遮り、彼らを守る。


「カエルの旦那、速い! すごい速さだ!」


 ダリエルが驚きと興奮を混ぜて叫ぶ。


「カエルさん、ありがとう! これなら絶対に追いつかれないよね!」


 リリカの声が背中から響き、俺の速度がさらに加速する。


 背後の白い霧はますます迫ってくるが、俺の速度はそれを凌駕している。

 リリカとダリエルの重さを全く感じず、軽々と駆け抜ける。


「あと少しだ……洞窟が見えやす!」


 ダリエルの声が希望に満ちている。洞窟の入口が視界に入ると、俺は全力を振り絞って駆け込んだ。


「ゲロゲロ!(このまま突っ込む!)」


 洞窟の中に飛び込むと、背後の白い霧が入口で止まり、冷たい風が背中を打ちつけた。寒波は洞窟内には入り込めず、俺たちは無事に避難できた。


「ふぅ、間一髪ってこのことでさぁ……」

「カエルさん、ありがとう……本当に助かったよ」


 俺は彼女たちの無事を確認し、安堵の息を吐いてスキルの微蛙化マイクロフロッグを発動していつもの大きさに戻った。


「ゲロ、ゲロゲロ(みんな無事だな、少し休もう)」


 俺はリリカとダリエルに手と指を大きく広げて「待って」と伝え、魔法のポーチにしまってある予備の防寒着を簡易的な敷物にした。


「休もうって事かな?」

「ゲロ、ゲロゲロ(あれだけあの極寒の中で走り回ったんだ、体力を回復させないと)」


 俺が二度大きく頷くとリリカとダリエルは腰をおろした。


「本当に寒かったね、カエルさん。こんなに寒いのは初めてだよ」


 ダリエルも防寒着をしっかりと巻き直しながら同意した。


「ああ、ここの寒さは尋常じゃねえ。だが、カエルの旦那のおかげであの見たら死ぬと言われている、氷点下のブリザードテンペストからも逃げ切る事ができたんですぜお嬢ちゃん」


 俺は軽く頷き、魔法のポーチから温かい飲み物を取り出し、リリカとダリエルにそれぞれ渡すと、二人は嬉しそうに受け取った。


 やっぱり準備は肝心だ、準備はしすぎということはないんだ。


「これ、なんだかとっても温かい……ありがとう、カエルさん」

「これで少しは体が温まりやすね。こっからは一本道だから問題はないかと思いやすが……なにしろ大自然はモンスターより何考えてるか分かんねぇからタチが悪い」


 俺は洞窟の奥を見つめ、考えを巡らせていると、リリカがなにかを見つけたようで駆け出す。

 なにかを見つけたリリカは無邪気な笑顔でその見つけたものを拾い、俺たちに拾ったものを見せてきた。


「カエルさん、おじさん、なんか豪華なバッジ? みたいなの見つけたよー」


 俺たちはリリカの手の中にある豪華なバッジを見つめた。それは確かに南の大陸の王国の紋章が刻まれたものだった。


「このバッジ……どうしてこんなところに? これはサラフェイン王国の紋章ですぜ」


 バッジの表面は寒さで少し凍りついていたが、その輝きは失われていなかった。紋章は王家のもので、見たことのあるデザインだった。


(これを持っていた者がここを通ったのか、それとも……)


 リリカは興味津々にバッジを見つめ、「カエルさん、おじさん、これってお宝なの?」と無邪気に尋ねた。


「いや、お宝というより、重要な手がかりかもしれやせん」


(手がかり……か)


 俺はスキルの振動感知バイブレーションセンス、野生の視覚ワイルドビジョンを全力で発動した。


 このスキル二つの全力なら目に見えないものまで見える、そんな気がした俺はさらに集中を高める。


(やっぱり、あれがある。という事は……)


 この極寒の地に似つかわしくない、それがそこにはあった。


見つめる先が気になったのか、ダリエルが視線の先へ行き、同じものを見つけた。


「カエルの旦那……この洞窟はあっししか知らねぇはずなんですが……」

「ゲロ、ゲロゲロ!(大丈夫、俺はダリエルを信じてるから!)」


 ダリエルの言葉を聞き、胸に手を当てた俺のジェスチャーでダリエルは分かってくれたみたいだ。


 俺が、そしてダリエルが見たのは馬車の車輪の跡。


 組織Dのアジトへと続く道に紋章入りのバッジ、そして馬車の痕跡、それはすなわち南の王国のサラフェイン王国が組織Dと何かしらの関係を持っているという事だ。


「どうしたの? おじさん、なんかむずかしい顔してるよ」


 リリカが心配そうに尋ねる。ダリエルはバッジを手に取り、しばし考え込んだ後、俺に目を向けた。


「カエルの旦那、これは大変な事実かもしれやせん。サラフェイン王国が組織Dと関わっているとは……」


 ダリエルがむずかしい顔をするのも当然だ。

 俺たちは今から組織Dと真っ向でぶつかりに行く最中なんだから。


 サラフェイン王国が組織Dと繋がっていると仮定した場合、俺たちがダリエルの家族、そして捕らえられている人々を奪還する作戦が成功したとしても、サラフェイン王国がなにか因縁をつけてくるかも知れない、というかあの王なら確実にそうする。


 そうなると、リリカ、ダリエルは良くて指名手配、悪くて懸賞金がかけられてしまう。


 そんなのどっちも到底許せることではない。


 王国相手だろうが俺から何も奪わせはしない。


 たとえたった一人で王国と戦争になる事になってもな。


「ゲロ!(見ててくれ!)」


 俺はリリカの短剣を抜き、華麗な剣舞を披露した。

 闘技大会でこの剣舞を披露した際、観客からは「まるで舞踏のように優雅で、その刃が輝きを放ちながら空中で軌跡を描く様は、漆黒の闇に一瞬の光が舞い降りたかのようだ。まるで星の光が踊っているようだった」と称賛された。


 この剣舞の名を観客たちからの声から、星光のスターライト・ダンスと名付けている。


「カエルさん、その短剣……まるで生きてるみたい……」


 リリカの声が驚きと共に響いた。


「カエルの旦那、これは一体……」


 ダリエルも言葉を失っている。俺は彼らに向かって力強く頷き、短剣を再び振り上げた。


「ゲロ。ゲロ、ゲロゲロ!(俺はここにいる。俺たちに仇なすものは、俺が全て叩き潰す!)」


 その瞬間、洞窟の壁に反響する俺の声が力強く響き渡った。俺はリリカとダリエルに背を向け、洞窟の奥深くへと進んだ。

 この戦いがどれほど厳しいものであろうと、俺は決して引き下がらない。

 彼女らを守るためなら、どんな犠牲も厭わない。


(あれ? 俺って勇者……だよな? なんかだんだんと発想が魔王のそれに近づいているような……)


 モンスターの体に慣れてきたのか、それとも別の起因かは分からないけれど、転生前とは考え方も少し変わってきているみたいだ。


 アリミ、アリコ、アリミア、リルカ、ダリエル、みんなを守りたい。でも手の届く範囲しか守れないのが歯がゆい。


 ≪虫の報せ《バグシグナル》が発動しました≫


 唐突に敵や危険を感知するスキルの虫の報せ《バグシグナル》が発動する。


(次から次へと……なにがきたって、俺は、やるだけだ)


「なんだなんだ? 誰かに見つかる前になくしたバッジを捜して来いって言うから来てみれば……もう見つけられてるし」


 ダリエルの表情が一瞬で険しくなる。


「これは……あんた、サラフェイン王国の戦士長? いや、南の大陸一の剣士と呼ばれる隼の剣士か」


「そうだ。俺が隼の剣士だ。お前たち、こんなところで何をしている? 死にたくなければさっさと答えろ」


 リリカとダリエルを守るため、一歩前に出て短剣を構えた。


「ゲロ!(答えるのはお前だ!)」


 ピクッと隼の剣士の眉が一瞬動く。


「カエル……? なのにその構えは……」


 隼の剣士は俺と全く同じ構えを取った。


「はっ! たかがカエルのモンスター風情が、この構えをとるとはな! 身の程をわきまえろ!」

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